嶋津隆文オフィシャルブログ

嶋津隆文オフィシャルブログ

満州国切手の原画作成もしていた植物画家の太田洋愛

2014年12月26日 | Weblog

【内藤陽介ブログより】

日本のボタニカルアートの父といわれる植物画家の太田洋愛(明治43年~昭和63年)は田原市の出身です。理科教科書の植物挿絵の80%は彼が描いたとも言われます。その郷土の先人の生涯を整理する作業を進める中で、こんな一文に出会いました。

「郵便学者・内藤陽介のブログ」からです。郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し研究・著作活動を続けている人物。切手などに関するその膨大な著作には驚かされますが、そのなかにこう記述されているのです。
    
「太田と満洲国の郵政との関係は、1940年の溥儀訪日の記念切手の原画を手がけたことから始まります」。

「太田の手がけた原画は、1935年の溥儀の最初の訪日時に、つがいの鶴がお召艦“比叡”上空に飛来したことをとらえ、溥儀が「禽獣にいたるまで日満両国の親善を喜ぶものにして、天地の気と人と物と自ずから相通ずるものあり」と発言したというエピソードにちなむもの。切手では、鶴とともに、満洲国の軍艦旗と日本の海軍旗章の一つである長旗を配することで、鶴が“比叡”の上空に飛来したことが表現されています」。

「この切手が好評だったこともあり、以後、太田は「臨時国勢調査紀念」、「日本紀元二六〇〇年」(以上、1940年)、「建国10周年」(1942年)など、次々と満洲国の切手の原画を手がけることになりました」。

当時、太田洋愛は大陸科学院による満洲植物図鑑編集事業のため、満洲全域を旅して七百数十種類の植物画を制作しています。終戦間際の昭和20年8月1日、陸軍衛生一等兵として応召。すぐにソ連に抑留され、4年余の強制労働を強いられることになります。

近現代史そのもののような太田洋愛の人生です。それにしても太田の、郵便切手に絡む思わぬ経歴を知らされ、あらためて「人の歴史あり」の言葉を実感する年の瀬です。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

27校を15校に統合する学校全体配置計画を発表

2014年12月19日 | Weblog

今回はちょっと戸惑いながら、自分の仕事の話を載せます。今日記者会見し、田原市の学校配置計画を発表しました。27校ある田原市の小中学校を半分近い15校に統合するもの。多分これほど大きな改革は全国的にもないでしょう。

学校の統廃合は否応なく地域のコミュニティや生活ぶりを変えます。そうとは言え、どうしても子どもの未来を考えねばならないとの私の改革への心情を知ってほしいもの。そう考え、以下に計画の私の冒頭文を掲載します。

田原の子どもたちの未来のために

昨日今日、市役所に届けられる出生届の状況を見ていると愕然とします。田原市における小学校入学が予想される子どもたちの数の少なさです。例えば亀山小では4人(1歳児)、高松小は7人(2歳児)、六連小8人(5歳児)、若戸小8人(4歳児)、大草小9人(3歳児)、清田小9人(2歳児)といった事態になっているのです。

子どもたちには友達が大切です。未来を担う子どもたちは、限られた小人数のなかで育つのでなく、様々な個性をもったより多くの友達に囲まれるなかでしっかりと社会性をつけなくてはなりません。「小中学校の小規模校化の解消」。これが私ども教育委員会の学校再編の出発点であります。

平成25年4月に、教育委員会として小中学校の「再編の基本方針」(第1次方針)を定め、地元と繁く話し合いを重ねて参りました。そこで多くの方々の理解をいただき、和地、堀切、伊良湖の3小学校の統合が合意されました。野田中の田原中への統合も決まりました。また他のいくつもの校区で再編に向けた「学校を考える会」も発足されました。

こうして積み重ねられた地域の中での様々な意見を受け、私ども教育委員会は今次、田原市の「学校再編の全体配置計画」(第2次方針)をお示しすることといたしました。もとよりこの計画は議論のたたき台であり、これをもとに地元の皆様との議論を重ね、小規模校の早期解消を進めて参りたいと考えております。

米国の社会学者のマーガレット・ミード女史は、「未来とは現在(いま)である」と語りました。未来を担う子どもたちの教育環境はまさに現在(いま)、整えなければなりません。市民の皆様方のご理解をお願い申し上げる次第です。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早大のクラス担任の加藤諦三先生と懐かしく歓談する

2014年12月16日 | Weblog

写真:加藤諦三HPより

先週の土曜日、田原市のPTA連合会大会に講師として招いたのは早稲田大学の加藤諦三名誉教授。演題は「子どもの心をくみ取る ~子どもの行動の裏にある心とは」。会場には400人程の保護者と教員が集いました。

加藤教授は1938(昭和13)年生まれで東大教養学部卒。ニッポン放送の「テレフォン人生相談」のパーソナリティとしても有名です。膨大な著作を執筆しており、その数600冊を超えると言っておられました。

それにしても諦三先生と私は決して浅い縁ではありません。実は50年度ほど前に早稲田大に入学したおりのクラス担任であったのです。法学部6組。しかもそこは諦三先生にとっても教員として始めて担ったクラスでもありました。「来秋から私の息子が私の代わりにこのクラスの担任になる」。こう父親の加藤先生から突然聞かされて、我々はあっけにとられたことを覚えています。

しかし当時は全共闘時代の最盛期です。早大全共闘も結成され、翌年には東大安田講堂の籠城がありました。ストライキが行われ、わがクラスもばらばらとなり、諦三先生とも遠くなっていきました。

再会するのは30年後になってのこと。私が東京都庁の生活文化局総務部長のとき、東京都の青少年問題協議会の会長として諦三先生をお願いすることとなったのです。あの人懐っこい笑顔は少しも変わってはおりませんでした。

さらにそれから10年。今回ふるさとの田原で講演者としてお会いすることとなったのです。つもる話があるのは当然です。新幹線が到着する豊橋駅に迎えてから講演会終了するまで、あれやこれやいっぱい歓談することになりました。学生時代から半世紀の幾つもの風景が俎上に乗り、ほろ苦くもまことに懐かしい一日でありました。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の渥美半島めぐり”、私の場合の案内コース

2014年12月10日 | Weblog

12月6日~7日に東京からの友人たちがわが渥美半島を訪れました。その時の2日間の案内メニューです。東京からこれから訪問する人たちにきっと参考になることでしょう。渥美半島(田原市)の大小の宝モノ巡り案です。

12月6日(土)
 
東京発 8:33(ひかり)―豊橋駅―(渥美線)―三河田原駅着10:50

(午前)
①安藤忠雄設計の三河田原駅を案内/永瀬狂三宅(京大時計台設計者)を訪問
②田原市博物館(田原城址)を訪問/渡邉崋山の菩提寺(城宝寺)、崋山神社参拝

(午後)
①田原市役所を訪問(市政案内、観光ガイド案内)
②光浦靖子/大久保佳代子の実家界隈を通過
③伊良湖岬周辺の散策

(注)・恋路が浜と「椰子の実」(島崎藤村、柳田國男)の舞台周遊
   ・伊良湖の灯台と「潮騒」(三島由紀夫)、歌人磯丸の舞台散策
   ・西の浜海岸のドライブとエグザイル風車、中電火力発電所を通過

④伊良湖ビューホテルに宿泊

(注)・5時頃 チェックイン(一泊2食@16400円 バイキング)
   ・伊勢湾と海上の夕日風景を堪能

12月7日(日)

(午前)
①朝食後にドライブ(伊良湖の陸軍試射場跡、日本一のキャベツ畑の案内)
②豊川用水の関連施設案内(初立ダム、東大寺瓦遺跡)
③田原市最高峰の蔵王山展望台へ
(三河湾、トヨタのレクサス工場、メガソーラー基地、風力発電など眼下)

(午後)
①地元出身のヤクルト小川康弘投手の歓迎会に飛び入り参加
②昼食(地元名物のしらす丼、あさり丼、穴子丼など堪能)
③太平洋ロングビーチ(サーフィンメッカ)、温室群(渥美マム)を周遊

三河田原駅発16:02― 豊橋駅16:47 ―(ひかり)―東京駅着18:10


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥生の登呂と縄文の渥美半島をリンクする構想

2014年12月02日 | Weblog

静岡県HPより

先週の土曜日に、静岡の登呂遺跡を訪れました。教科書で知ってから60年経っての初めての訪問です。

いうまでもなく登呂遺跡は弥生時代後期に属し、1世紀ごろの集落と推定され、農耕を示す水田の発見で全国的に知られる遺跡。高床式倉庫、祭殿、水田跡が史跡公園として開放されています。

その折、一緒に行った同僚がこう呟きました。「弥生の登呂と縄文の渥美。この2つを日本列島の文明発祥の東海道ステージとして発信できないか」と。

晴天の霹靂です。確かにわが渥美半島は縄文文化の宝庫。考古学上も極めて貴重な半島となっています。例えば吉胡(よしご)貝塚。縄文時代の後期・晩期を中心とした日本を代表する貝塚遺跡のひとつ。これまでの発掘調査で341体もの縄文人骨が出土し、考古学・人類学の研究に大いに貢献してきました。

なるほど、この弥生、縄文の二つの文化をリンクさせようというのです。ふーむ。考えても見れば弥生の登呂と渥美は距離にして100㎞、車で2時間ちょっと。浜名湖を楽しみ、その後に伊良湖岬から伊勢神宮への旅も可能です。歴史軸はどんどん伸びます。

時空を超えて甲と乙を結ぶ。こうした広々とした発想には何ともわくわくとするものがあるようです。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする