嶋津隆文オフィシャルブログ

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臓器売買の映画『闇の子供たち』を見る

2008年09月29日 | Weblog

『闇の子供たち』。この映画をどうしても見なくてはと、上映最後の日に映画館に駆け込みました。監督坂本順冶。主演は江口洋介、宮崎あおい。そして原作は「血と骨」でも話題を呼んだ梁石日。2時間18分の長編です。
 
吐き気を催す場面が、おびえる子供たちの涙の顔を容赦なく踏みつぶすように幾度も繰り返されます。スピルバーグ監督のユダヤ人虐殺を扱った『シンドラーのリスト』や、若松孝二監督の14人リンチ殺人の『実録・連合赤軍』の残忍シーンをはるかに凌駕する映像が続くのです。

テーマは、外国人の犠牲になるタイの子供の幼児売春と臓器売買。

性玩具として欧米人や日本人に弄ばれる幼い子供たち。貧しい山奥から人身売買で都会に運ばれ、やがてエイズにかかり、黒いビニール袋に入れられてゴミ収集車に投げ込まれていく少女も描かれます。

臓器移植の提供者として、時に生きたままその心臓を取り出される子供も登場します。しかも臓器提供者が誰であれ、ひたすら我が子の命だけは救いたいと願うのは商社勤務の日本人夫婦なのです。臓器売買のブローカーに5000万円を払ってでも我が子の代替臓器を求めるという絶望的な構図を、一人の日本人記者の取材を媒介にして描いていくのです。

臓器移植といえば、中国での臓器売買が話題となっていることも最近耳にしました。中国には年間一万人におよぶ死刑囚が出ます。その臓器に着眼したブローカーたちが、外国からのリクエストに一個数百万円を得るために動いているというのです。逼迫する臓器不足の中で、闇の臓器マーケットは異常な展開を見せているのは間違いないようです。

世界的に臓器供給は困難な状態にあります。とりわけ、わが国での臓器提供者の数は圧倒的に低く、7700人の人が手術も受けられずに苦しんでいるともいわれます。であれば、この映画のような惨劇は今後もなくなることはないでしょう。

かといって、死後の自分をほとんど想定しないできた多くの日本人に、自分の臓器の行方を即時に決定させようとすることは過激です。ドナーを強制されることに、大半の人がとまどうことは否めないからです。

しかしひょっとしたら、と思ったのです。ひょっとしたら早晩大量にあの世に行くことになる我々団塊世代の、死ぬまでに決着をつけなければならないもうひとつの課題がここにもあるのではないか。ふいにそう思いついて、重い気持ちをさらに重くして映画館を後にしたものでした。


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大学が始まった。学生の若さが眩しい。が・・

2008年09月21日 | Weblog

長い夏休みが過ぎ、いよいよ20日から新しい学期が始まりました。厚木の松蔭大学のキャンパスは小高い山の上にたっているせいか、既に樹木の葉も色づきました。しかしキャンパスには学生たちの華やいだ声が響き、その息吹きに私自身も若返るような気持ちになっています。

夏には運転免許証を取得したという学生、パソコンに挑戦したという学生、アルバイトに終始したという学生。いつもの変わらぬ休み明けのキャンパス風景のはずが、こうして聞こえる平板な会話にさえも、いやに心が弾むのは加齢に伴う生理的な反応のせいかも知れません。この若者たちが巣立つのに、教えるべきこと、伝えるべきことは極力教え伝えようと、変にストイックに感じてしまうのも不思議なものです。

この8月、芥川賞を受賞した中国人女流作家・楊逸の「時が滲む朝」を読みました。やっとの思いで入学した大学を天安門事件に関係して退学させられ、日本にきた若者の軌跡を描いた佳作です。文化大革命や天安門事件を背景に、中国の若者の絶望と希望の交錯した心情が、同国人によって直接話法的に伝わってくるのですから何とも新鮮でした。

天安門広場(1990年)を忘れないとし、「あんなに我を忘れて全身全霊で頑張ったことは、それまでなかったし、その後もないからだ。そのことは確かだ。」と語る。しかし同時に、「それが何のためだったのか考え始めると、切なさが体の奥から湧いてくるのだが・・」と登場人物は呟いています。

学生時代の空虚さは、私たち団塊世代も久しいこと抱いてきたものです。多くの友人が70年の学園紛争を駆け走り、そして「考え始めると、切なさが体の奥から湧いてくる」思いをずっと引きずってきているのです。とりわけ当時の、ほとんど深く思考することもなく、感覚だけで動いた行動を思い返すにつけ、苦々しさは払拭できるはずもないのです。

若いころの軽薄さはほとんど絶望的です。しかしその軽薄さとは、若者には必ず通過することを避けられない過程なのでしょう。その時、もし教師にできることがあるとすれば、事前の指導というより、結果としての苦痛を少しでも学生と共有することだけかも知れません。そうした営みを、時空を超えたキャンパスで行うとすれば、それはそれで団塊世代の一つのオトシマエのつけ方ではないだろうか。そんなことを研究室の窓から大山を見上げながら思う、新学期の昨今なのです。 

(写真は岡山県・閑谷学校/9月10日撮影)


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太地喜和子と赤とんぼ♪、龍野を歩く

2008年09月12日 | Weblog

「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」が封切りされたのは昭和51年。舞台は播磨の小京都といわれ、童謡の里とも呼ばれる龍野(合併で「たつの市」)でした。本作のヒロインは地元芸者ぼたんに扮した太地喜和子で、その形容しがたい色っぽさに魅せられ、いつか一度はこの地を訪れたいものと思っていました。

ぼたんは男に騙されながら、寅さんの気遣いに触れこういうのです。
私、幸せや 
とっても幸せ
もう二百万円なんか いらん
私、生まれてはじめてや
男の人のあんな気持ち
知ったん

ずっと耳に残っていたこの名セリフを繰り返しながら、30数年ぶりの願いを叶えるべく、今週のなかばに胸をときめかせて播磨に向かいました。もっともこの龍野が日本観光協会より優秀観光地として高い評価を受けており、じつは大学の観光教材として活用できないかを直接検証してみようという、卑しい(!)商売上の思いもあっての旅でしたが。

龍野は脇坂藩5万石の城下町です。白壁の土蔵が多く残り、哲学者の三木清、「ああ玉杯に花受けて」の矢野勘冶、そして赤とんぼの童謡を作詞した三木露風らを輩出した文化の町でもあり、また産業も醤油、そうめん、皮革などで発展してきた町でもあります。

しかしたつの市役所で観光課長にヒアリングをするうちに、この町の面白さは単に過去の歴史や文化資源によるものではないことを知らされました。町のお寺さんや商店街などが協力し、町全体をレトロな町として紅葉とともに満喫してもらおうとの「オータムフェスティバル」、デザインを勉強する地元高校生や皮革業者などが一緒になって実施する「皮革まつり」など、市民参加による様々な手づくりイベントが人気を呼んでいたのです。

観光資源としてのハード(建物、町並み)を基礎としながらもソフト(イベント)を工夫すること。いまや観光地の勝負の岐路は、こうした地元人のチエと工夫がなければ観光地としての勢いも魅力も維持できないことを知らされたのです。

それにしても、48歳の若さで逝った太地喜和子は、そもそも高校の時にオーディションの応募し、スターの座を確保した人です。そしてその出身校が他ならぬ我が松蔭学園であることを教えられ、無性に納得し、彼女を恋人のように感じながら散策してきた旅でもありました。


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お盆の季節に思う、葬送の自由というもの

2008年09月04日 | Weblog


お盆の季節に思う、葬送の自由というもの

 
(月刊「地方財務」(ぎょうせい)9月号【シリーズ】もう一つの団塊世代論③より転載)                                 

1 心なごむバラの霊園「ふれあいパーク」 
東京の郊外に「ふれあいパーク」という人気の霊園がある。お盆を前にその一つを小平に訪れてみた。生垣とバラの花に囲まれ、せせらぎの水音まで工夫されていた。しかも墓石も従来の三段墓の形態でなく大半は洋風の平板版だ。なるほど人気を得るのも当然である。従前の苔の生えた暗い墓地のイメージと離れ、開放的で心なごむ空間といってよい。現にこの墓地には団塊世代を中心に多くの申し込みがなされ、ちょっとしたブームになっているという。 
形式だけではない。墓はかつての先祖代々の家墓から、個人を葬る個人墓ないしは夫婦墓に移行しつつある。それに伴い内容も大きく変容してきている。現にその霊園でも「○○家の墓」というものは10%程度と少なく、「風立ちぬ いざ生きめやも ○○夫」など自分の好きな言葉とともに、その故人名が正面に刻まれているものが多い。あるいはまたシングル女性たちのための語らいの共同墓地を設けるとともに、夫の親などと一緒の墓に入ることを拒む女性へのサービスも行っている。
なるほど、戦後の個人尊重主義としての、「私らしさ」を求める風潮は、いよいよ大きく墓にまで波を寄せてきたかと感心したものである。

2 葬送の自由は大切にされるべきであるが 
現在わが国の死亡者数は年間約100万人である。これが団塊世代の死亡が本格的に始まる2035年頃には年間180万人とほぼ倍増する。その結果、大量の墓地需要が生じる一方、実に多様な葬送の形式が選択されることになると予想される。その前触れが「ふれあいパーク」のような試みといえよう。現にこの霊園を企画した㈱いせやの社長は昭和22年生まれの団塊世代の一人であり、同世代のトレンドを掴みマーケットとして成功させたと語っている。
しかし少し冷静になってみると、団塊世代が作り出す個性化や自由化を果たして無限に商業化し受容してよいのか、問題なしとしない。以前から話題になっているが、例えば散骨の様式を求める人は広がっている(都の調査では2~3%)。荼毘にふされた後、遺骨を砕き海や川に流そうとするものだ。またそれに類似するものに樹木葬なるものも注目を集めている。山全体を墓地とし、墓石を立てずその代わり桜等の樹木を植えるものだ。また愛妻を暗い土の中に埋めるのはいやだと、遺骨をマッシュし透明の丸いガラスケースに入れ、自分の身辺から離さない人もいる。 
しかし、と思う。一見ほほえましく思われる個人の行動だが、こうした傾向はやがて葬送の態様を一体どこまで変質させていくものだろうかと不穏になる。実際、驚いたことに、既に「自分の体はペットの熊に食べさせて欲しい」、「鳥葬が望ましい」という相談が寄せられはじめた時代になっているという(碑文谷創「「お葬式」の学び方」)。個人の意向を受容するあまり、公衆衛生上の問題や人々がもつ死穢意識を軽視する風潮が拡大するとなれば、それは危険である。

3 懸念される祖先崇拝の伝統の崩壊、地域環境の破壊 
確かに葬送の自由は、個性や個人の意思を尊重することで、「死」をば土に閉鎖された因習の感覚でなく、大きな開放感を与えつつある。しかしその一方で見捨てられていくもののあることを忘れてはならないのだ。都会での個人か夫婦だけの墓でありたいという。では田舎に残された両親の墓は誰が維持するのか。あるいは無縁墓とし荒れ放題の蛇のすみかにしてよいのか。かように伝統や環境、治安の崩壊という視点から、とくに地方の自治体に深刻な問題をもたらしかねないのだ。 
戦後すぐの昭和21年、行政は墓地に関し造成などの事業から事実上手を引く措置をとった。その結果、多くの宗教法人等が「事業型墓地」の造成事業に参入し、そのことが商業主義と絡み、墓地の需給を混乱させてきたといわれる。もし今後、行政が葬送の自由化というものを過度に尊重し、墓地造成と同様に無制限に放置してしまうとするなら、商業主義的混乱を生むだけでなく、明らかに多くの社会的、倫理的混乱を惹起しかねないのだ。戦後の向都性向のなかで都会に出た子供たちに、次々に見捨てられ始めた先祖の墓と土地。自治体はこうした視点にも留意して、昨今の団塊世代を中心とした墓地と葬送の動向を捉え、早めの墓地対策、土地対策を講じていく必要があるというものである。

写真:「小平ふれあいパーク」


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いよいよ出版しました『歴史に学ぶ地域再生』

2008年09月01日 | Weblog

ここ一年の間、資料を集め、長州の人々にヒアリングし、幾度も文を推敲してきた江戸の経世家の伝記がやっと発行となりました。その経世家とは村田清風(長州藩)であり、他の熊沢蕃山(岡山藩)、山田方谷(備中松山藩)、頼杏坪(広島藩)、朝日丹波(松江藩)とともに総勢5人が掲載されています。いずれもそれぞれの藩の行財政改革に取り組み、あるいは時代を見通す見識の深さによって、昔から多くのファンをもつ人物たちです。

タイトルは『歴史に学ぶ地域再生』。副題は「中国地域の経世家たち」。定価1400円、吉備人出版、260Pもの。発行日は平成20年9月1日で「腰巻き」で出版の趣旨をこううたいます。  
  現代に生きる地域再生のヒント!!
「地域再生が強く求められる現在、中国地域の経世家たちの
実績は地域活性化の実例として十二分の価値をもっている」

執筆は総論として作家の童門冬二さんが担当し、各論を以下の5人が執筆しました。全体の構成は次の通りとなっています。
   江戸時代の経世家に学ぶ      童門冬二 (作家)
   財政改革の実践者 山田方谷    野島 透 (財務省(方谷の直系子孫))   
   炎の理想主義者  熊沢蕃山    増矢 学 (中国電力エネルギア研究所)
   維新の礎を築く  村田清風    嶋津隆文 (松蔭大学)
   救民の経世家   頼 杏坪    花本哲史 (頼山陽史跡資料館)
   苛烈な改革家   朝日丹波    本郷 満 (中国地方総合研究センター)

私にとっては、はじめて執筆した歴史モノであるだけに、資料の難解さや人間関係の複雑さに手こずりながらも、わくわくしながら作業を進めることができました。勤務する大学が吉田松陰と絡むこともあって「えっ、松陰先生の大学ですか」と、山口県での現地取材が大変好意的に進められたことも予期せぬ楽しみでありました。

今次の作業過程で一番感じたことは、100年前も200年前も組織と人間というものは差異がないということでした。打算と嫉妬、理想と現実。幕末の藩の風景も現代の役所の風景も、基本的に少しも変わることはないのです。勿論、だからこそこういった歴史本が現在の人たちに常に興味深く読まれようとするのでしょう。“人間は進歩しないもの”と喝破した芥川龍之介の言葉が、いやに鮮烈に思い出される日々でもありました。

それにつけても一言! このブログを読んだ人は、必ず一冊購入して下さい(笑)。

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