嶋津隆文オフィシャルブログ

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神の国に神はおられないのか、ネパールの大地震

2015年04月28日 | Weblog

【カトマンズのスワヤンプナート仏塔】

ネパールで大地震があり数千人の人たちが亡くなったとのニュースが流れています。大地震という言葉は、私に津波の直後の女川町で嗅いだ異臭を思い起こします。同時にカトマンズで嗅いだ強烈な異臭を思い出します。あらゆる建物や動物を水と泥でかき回して腐敗すると、こんなにも似た臭いを生んでしまうものかと、やりきれない悔しさを抱いたものです。

カトマンズを訪れたのは3年前の2012年3月のことでした。神々の住む美しいヒマラヤの一方で、地上の街カトマンズは人間の汚濁の中にありました。川という川には汚物が散乱し異臭が漂い、また道という道には車とオートバイが溢れ、大気の汚れに誰もがマスクを付着せざるを得ない状態でした。
「明らかにインフラが足りないのです」。そう地元の通訳ガイドが嘆いていました。「道路も水道も下水も何もかもこれからです。そのためには外国資本が必要であり、政権が安定し、憲法制定が行われなくてはなりません」。
ネパールは20年前に立憲君主制となり、2008年にはその王政さえ廃止され民主共和制へ移行しました。しかしマオイスト(毛沢東主義者)と議会派の内紛状態は解消されず、他方で中国、インドという周辺大国の進出に脅かされていたのです。
そうした人災というべき政治不安のなかでのネパールでの天災です。神の国に神はいない。そんな残酷な溜息を洩らさざるを得ない今次の大地震というものです。


地方分権は国家弱体化の装置だとの指摘に学生動揺

2015年04月23日 | Weblog

「愛知大学記念館」

毎週火曜日は愛知大学(豊橋)で地方自治の講座を担当しています。地域政策学部の学生を中心に、その数およそ100人という大所帯です。

100人もいれば授業態度もいい加減かと思えば、殆どの学生達の熱心さに驚かされます。私語がない、居眠りがない、遅刻がない。そして何よりも講義への食いつきがいいのです。

その食いつきのよい学生達が、ひときわ私の発言に興味を示した場面が一昨日の教室でありました。それは私がこう指摘したときのことです。

「皆さんは地域政策学部の学生であるし、それだけに地方分権は正義、中央集権は悪弊と考えているでしょう。しかし国家という視点から考えると、地方分権が悪、中央集権が是ということもあるのです」。

その例として挙げたのはドイツの話し。ドイツでは連邦で法律を制定する場合、16の州代表者から構成される連邦参議院の同意が必要とされる。そのため戦後半数近い連邦法がここで拒否され、国としての諸改革の足を引っ張って来ているという内容です。

ベルリン州の私の知人もこう言っていたと付言しました。「連邦参議院制度は第二次世界大戦後に、連合国が敗戦国ドイツに対し、法手続きを複雑化して、再び強いドイツをつくらせないために設けたもの。そう僕らは考えています」と。

地方分権を国家主権あるいは中央集権と対峙させ、極端に地方分権至上主義に立つことは殆どアナキズム(無政府主義)に陥る危険性があるとも話しました。

地域政策学部の学生達にとって、地方自治の否定ないし相対化は青天の霹靂であったようです。しかしその学生達の動揺の大きさには、むしろ教壇の私の方が動揺するといった講義風景でした。


サンデー毎日が使い始めた「人生100年時代」

2015年04月17日 | Weblog

先日の朝、新聞を開き思わずオッと声を出してしまいました。サンデー毎日の今週号の表紙です。「人生100年時代を豊かに生きる」。人生80年でなく、人生90年でもなく、いよいよ大胆に人生100年時代と言い切っていたからです。

私が政府のシンクタンクであるNIRA(総合研究開発機構)に身を置いたのは30年前の1986年。当時の下河辺淳理事長から「人生80年時代の社会システム」について研究せよと指示されました。当時は人生60~70年の感覚の時代。しかし迫る高齢化社会を前に既存の社会制度をどう改革していくか、強い危機感があったのです。

そして今、わが国の平均余命は男80.21歳、女86.61歳(平成25年厚労省)となりました。もっともこれは無機質な平均の数値です。50歳の坂を越えたそこここの日本人は中々死なない時代になっています。それをサンデー毎日は人生100年時代になったと突っ切ったのです。高齢化社会の深刻化を考えれば、実に正鵠を得た表現というものです。

しかし超高齢化社会は個々人にとって本当に豊かか不明です。両親の面倒見を抱える子供や孫たち、社会の拡大するコストを負担する次世代の若者。彼らの高齢者への反発は日増しに大きくなっているのです。

「死ぬことを期待される世代」。特に大量の高齢者層となる団塊世代は大いに迷惑視されます。早く逝ってくれればいい。そうした気運からひょっとしたら現代の姥捨山が再現される日が来るかも知れません。この懸念を全くの空想だと笑い飛ばす、そう断言できる人はいないはずです。


沢木耕太郎『深夜特急』と自著の類似性に苦笑する

2015年04月13日 | Weblog

「沢木耕太郎の旅のエッセイがとても好きなんです」。職場の若い友人がそう語って薦めたのが『深夜特急』でした。退職を間近にした私にはその時の彼女の目の輝きが印象的で、思わず手にしてみようという気にさせられ、文庫本6冊の読破にこの週末は挑みました。

沢木耕太郎は同じ昭和22年の生まれ。長身でその颯爽とした後姿には学生当時から嫉妬していたものです。しかも浅沼稲次郎刺殺とその犯人少年を描いた『テロルの決算』を20歳代で書きあげた筆力に圧倒され、その以後無意識のうちに敬遠してきた存在です。

30年ぶりに読み通してみて、遅ればせながら沢木耕太郎の視角と表現がひどく自分に類似していることに驚かされました。時代というものは確実にその世代の発想や行動を規定するようです。

香港―マカオ―インド―ネパール―シルクロード。そして後半はトルコ―ギリシャ―ローマ―ロンドンと続く沢木耕太郎の『深夜特急』の旅。その軌跡はしかし、前後して訪れる自分の旅先と大半が重なるのです。そしてその旅の出来事をなぞりながら私が著したのが『どこで、どう暮らすか日本人』。沢木耕太郎同様に、バブル崩壊前夜の日本にあって、自分なりに文明の光と影を見定めようとした試みでした。

もちろん沢木耕太郎の爽やかな語り口とは異なり、どこか衒いのある私の論理展開には未熟さがありましょう。しかし30年の時空を超えた今、ちょっと二つを並べてみるのも一興ではないかと思いつきました。その類似性や如何でしょう。

「風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。そうやって〈私〉はやっとインドに辿り着いた。カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活を体験した。ベナレスでは街中で日々演じられる生と死のドラマを眺め続けた。そんな日々を過ごすうちに、〈私〉は自分の中の何かから、一つ、また一つと自由になっていった――」(『深夜特急』)。

「アンデスの風の中。クスコからマチュピチュの遺跡に向かう電車の窓から昔ながらの土づくりのインディオの家々を見た。ふと気がつくといずれも屋根の上にポツンと小さな動物が置かれている。あとで聞くと豚をあしらった置物で、豊かになることを祈るものだという。黄金の国の末裔が手のひらの上にのる程の豚の置物に豊穣の思いを込めるというのだ。文明というものが辿る盛衰の歴史と民族が営む喜びと悲しみのあることを、思い切り知らされた旅であった」(『どこで、どう暮らすか日本人』)。

『深夜特急』(新潮社)の出版は1986年、『どこで、どう暮らすか日本人』(TBSブリタニカ)の出版は1988年のことです。


この4月は第3の人生の春か、第4の人生の春か

2015年04月08日 | Weblog

【京都嵯峨野(本人撮影)】

今週号のサンデー毎日の特集記事で『人生100年時代を豊かに生きる』という文字が目に飛び込んできました。そうかいよいよ人生100年時代と表現する時代感覚になったんだ、と感慨深く感じたものです。

1980年代後半に、NIRA(総合研究開発機構/政府のシンクタンク))に研究員として籍を置きました。その時の中心的な研究テーマが「人生80年時代の社会システムの構築に関する研究」。まだ人生60年、70年の感覚の中でしたから、何を事大主義的に取り上げるのだとの批判もありました。

カネと身体と生きがいが長い人生の三種の神器。この研究チームはそう提言しました。更にわずか半世紀にして人生は20年も伸長し、人生100年の時代となったのです。いよいよもって日本人は死なない時代になりました。その死なない人生の中で、カネと身体と生きがいをどう担保するか。前期高齢者の範疇に入ってみると結構重いものがあるというのが実感です。

そんな中での新年度が始まりです。この4月は私にとって第3の人生の春か、第4の人生の春か、それとも本格的な秋かと呟いてみる昨今です。


3月で田原市の教育長を辞しました。4月からは4つの顔を持っての生活になります。


1つは神奈川の松蔭大学で地域行政論などを数コマ担当します。2つは愛知大学で公務員論を教えます。3つは田原市博物館の特別顧問として故郷の文化行政の一端を担います。4つはNPOフォーラム自治研究の理事長として様々な地域の活性化に尽力したいものと考えています。

それにしても生きがいの基本はやはり大学でしょうか。先般も入学式があり、第一回目の講義も始まりました。若い学生たちは確実に生の息吹を発するもののようです。その証拠に、大学に行くたびに間違いなく“元気”を吸収している自分を感ずるのです。さあ人生100年まであと30年余。もう一踏ん張りも二踏ん張りもしてみることといたしますか。