嶋津隆文オフィシャルブログ

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足尾事件の田中正造の足跡を辿った年末

2012年12月30日 | Weblog

写真 : 田中正造像(佐野市郷土博物館)

年の瀬です。一年を振り返ってハタと思い立ち、田中正造の足跡に触れるべく、上州の空っ風が吹く12月26日、栃木県は佐野の翁のゆかりの地へと向かいました。

田中正造(天保12年~大正2年)はいうまでもなく足尾鉱毒事件に正面から挑んだ義人として歴史にその名を刻みます。その遺品が展示される佐野市郷土博物館、農民が決起し川俣事件の本拠となった雲龍寺、そして谷中村を潰し毒水の貯水池とされた渡良瀬遊水地など。これらを一日かけて廻ってみたのです。

というのもこの一年、成田闘争に生涯を賭けた山本雄二郎の評伝を書きつづってきました。それだけに成田闘争と山本に影響を与えた田中正造の足跡は直に確認しておかねばならないと、遅ればせながら思い立ったからなのです。

しかしそのゆかりの地を廻りながらとんでもないことを考え始めました。田中正造の献身的な業績に誰もが感動するのは当然です。が、その一方で、当時の明治政府のしたたかさにも着眼してよいのではないかと云うことです。

直訴した田中を狂人扱いして世間の鎮静化を図った手法や、渡良瀬流域の農民よりも日露戦争の軍備のために足尾銅山を残すとした判断。残酷な話ではありますが、当時の状況下で政治的、軍事的にはやむを得ない選択ともいえるのではないか。そう思えてしまったのです。

人々は田中正造を讃え、他方で日露の勝利を讃えます。この間にある矛盾に気づくことはほとんどありません。いつの時代も人々は勝手なものであるようです。


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ユダヤ人は絶対忘れない。日本人はすぐ忘れる。

2012年12月25日 | Weblog

写真:「マサダ砦と死海」

今日は天皇誕生日の祝日。しかしXmasイヴ。もちろん実際の天皇のお生れは昨日ですから、ちょっとばかりクリスマスに関する雑感を記しても許してほしいものです。

Xmasイヴは日本では「前夜」と訳されます。しかしこれはカトリック暦の身勝手さです。というのはユダヤ暦では日没をもって日付は変り、この日没からクリスマスは起算される。即ちXmasイヴは既に25日なのです。

このことをニューヨーク駐在時代にユダヤ人の知人、ナンシー・リー女史から知らされました。彼女は欧米ナイズされている日本のことを難じてもいたのです。その折り、もっと驚かされたことがありました。

私がその席で、イスラエルは死海のほとりにあるマサダの砦を訪れたことを話題にしました。ユダヤ王国がローマ軍によって滅ぼされ、それ以後ユダヤ人たちは世界の各地に散っていくことになった歴史的な場所。紀元前73年のことです。

しかしナンシー女史は気色ばみました。そのマサダの滅亡がいかに民族にとって悔しいものであったか、自分たちにとって辛い事件であったか、涙を浮かべて語ったのです。2000年前は歴史ではなく、彼女たちにとってはほんの昨日の生の出来事なのです。

時空を超えて怒りや憎悪を持続するエネルギー。圧倒されました。こうした性向は日本にはありません。わが愛すべき日本人はこの年の瀬、一年を「年忘れ」と称して切り離し、新しい正月を迎えようとしているのです。民族の違いと云うものを思い切り知らされる、Xmasイヴにちなむ想い出です。


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米軍への違和感は否めない、しかし国防軍とは

2012年12月20日 | Weblog

写真:「相武台の陸軍士官学校(米軍HPより)」

衆院投票日を前にした先週末、座間市でのシンポ参加で相武台駅に降り立った際、ふと思い立って米軍座間基地へ向かいました。他でもありません、父賢輔が昭和16年に入学した陸軍士官学校の跡を目にしておきたいと考えたからです。

キャンプ座間。在日米軍の陸軍司令部が置かれている重要基地です。この中に旧校舎はありました。鉄条網に囲まれたそのキャンプの入り口で、せめてモニュメントだけでも写真に撮りたいと掛けあいました。ダメでした。

突然の私的行動ですから、当たり前といえば当たり前の拒否というものです。しかしそれでも帰路では沸々と怒りがわいてきたことは否めません。国土が同胞でなく米国によって守られていること、さらにその米国によって日本の歴史まで管理されていること。この2つが強烈に意識されたからです。

今回の衆院選挙では、民主党の外交や安全保障の失敗とも絡み、憲法改正が論争の一つとなりました。一部には平和憲法を守ると称し、無防備都市宣言まで出そうといった現実無視の政党もいます。それだけに国防重視の主張は当然のものといえましょう。

しかしながら「国防軍」との自民党の提唱となると、その響きにふいに違和感を覚えるのはどうしてでしょうか。戦後民主主義教育を受け続けてきた団塊世代の、トラウマのようなものかもしれません。理論では分かっても皮膚ではすっと受容されないのです。時代の申し子とはこういう感覚を言うのかもしれません。


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松本洋平(19区)、加藤義隆(1区)の若い気概

2012年12月13日 | Weblog

写真:「国会議事堂」

総選挙の投票日が目前です。そんななか、友人知人の候補者のことが気になり、それぞれの選挙事務所に足を運びました。

一人は東京19区の松本洋平(自民)。銀行勤めをやめ、30代の初めに一人品川の駅前で政治改革を訴え続けていたところを自民党の目に留まりました。衆院議員に当選。しかし先の選挙では民主党ブームをまともに受け落選。その間も一貫して空手形のマニュフェストを難じ、「責任ある政治」の大切さを訴え続けています。39歳。

花小金井駅近くの選挙事務所は、スタッフたちの大きな声が行き交い、明らかに勢いがありました。下積みの丁寧な地元活動と民主党の大失態で、間違いなくいい風が吹くものとの期待が漂っていました。

もう一人は東京1区の加藤義隆(維新)。一橋大院卒。日銀をやめ、今回の石原・橋本の「豊かな日本を」との心意気に動じたのです。数ヶ月前に、私の友人でもある父親を亡くしました。しかし消沈する暇もなく、新しい活動の場を求めたのです。38歳。

東京1区は9人の候補者が立つ、日本一の混戦区です。しかも海江田万里などの強力な存在が立ちはだかっています。しかし世直しをしようとの気概に、事務所には若い緊張感があふれていました。

そういえば先週町田市の自由民権資料館を訪れました。明治初めの改革を推進した武相の運動家たち。その若い眼光鋭い表情には、強烈な世直しの気概が溢れていました。そしてそれと同様の気概を、この39歳と38歳と精鋭から感じ取ったと云うものです。


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城市創氏「お別れの会」で突然の夭逝を皆で悼む

2012年12月07日 | Weblog

写真:「城市創ジェイクリト社長」

畏友、城市創(はじめ)さんが亡くなって一か月。「お別れの会」が神田の学士会館でありました。中国電力の広報誌「碧い風」や日観協の季刊「観光とまちづくり」などを編集する、ジェイクリエイトの社長です。200人を超える知人が集まり、彼との別れを惜しみました。

そこでのスピーチを指示された私は、以下のような語りを彼の遺影に伝えました。少しでも彼の心に僕らの失望の念が伝えられればと願ったものです。

「城市さん…。あなたが逝かれてもう一か月がたってしまいました。

そちらでは何をやっておられますか。
大好きだった益田の先輩、徳川無声さんにはお会いになりましたか?
新年を迎えるこの季節ですから。来年度の季刊「観光」や「碧い風」の企画を練っておられるんでしょうか?

そんなあなたの近況が聞きたくて、今日はこんなに仲間が集まりました。
それなのに、あなたの生の声が聞こえません。
残念です。寂しいです。

それにしても皆な、あなたの突然に逝かれたことを怒っています。
手がけていた仕事が山ほどあり、皆な、あなたをとても頼りにしていたのに、突然に姿を消されたのですから…。ご家族だけではありません。

でも今日はあなたが60年の間につちかった友人たちが集まりました。
この名簿を見て下さい。あなたの60年の笑顔と汗で結びついた貴重な仲間です。

この仲間は、あなたが残してくれた財産です。そしてこの「島根のご縁」を、今後僕らが大切に活かしていくことを、あなたにお伝えします。それが残された僕らの、あなたに対する恩返しだと思っています。

城市さん…、僕らは、あなたが、大好きでした。
どうぞ、ゆっくりお休みください。」


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居並ぶ11人が示す2大政党制幻想と大衆迎合主義

2012年12月02日 | Weblog

写真:香港の夜店風景/本人撮影

衆院選の告示を前に、各政党の論戦が連日放映されています。昨日も行われた討論会で、11人の党首が押しくら饅頭をするようにひな壇に並んでいました。

しかしこのずらっと並ぶ11人もの党首の姿を見ると、平成6年に「政治改革の大合唱」で導入された小選挙区による2大政党制といったものが全く幻想であったことが分かります。価値観が多様化する中で、YESかNOかの白黒論ではとてもモノゴトは収拾できないのです。

しかしかと言って比例代表制(だけ)での小党乱立は政治的混乱を招きます。わけても選挙を前にポピュリズム傾向が肥大化している昨今、耳触りのいいマニュフェストばかりが踊る事態が、極端な多党化を招いているとも思われます。

例えば子ども手当に年31万円余をと主張をする党が急に登場しました。民主党の子ども手当の失態を見てきたにもかかわらずです。その他、反増税や反原発など、思い付きや願望だけで集票を図ろうとする行動が後を絶ちません。責任を持たなければ10人が10人、好きなことを主張できるというものです。

キラキラする子供だましのガラスの宝石をならべ、親子客を招く夜店の連なり。昨日今日の小党乱立に、街の場末のこうした風景を連想してしまうのはうすら寒い限りです。


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