嶋津隆文オフィシャルブログ

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民主党よ、もうマニフェストは無視されたし

2009年08月31日 | Weblog

写真:民主308議席

308と119。民主の大勝、自民の大敗です。それは社保庁の年金混乱などで、全国民に広がった生活不安が一気に現実化したことによるものです。その不安に明確に対応できない自民への不満が、民主による政権運営への不安より、優先したというものです。

しかし自民は崩壊し、民主政権が今日明日にも発足することとなりました。今度は民主党の政権運営への不安が一気に現実化してくるというものです。鳩山由紀夫はテレビで「マニフェストで示した形を必ず実現していきたい」と口をすっぱくして言っています。しかしこの際、もう選挙に勝ったのだから、そんな口当たりの良いことは言わないことが大切だと、警告しておきます。

あの夢のマニフェストを、そのまま愚直に実行してしまっては、国は大混乱に陥るというものです。子ども手当、農家への個別補償、高速道路の無料化、高校の授業料の無料化等などといったバラマキ総額は20兆円弱。この支出を、例えば消費税でまかなうとすると、今の5%を25%に上げなければやっていけないのです。強額の負担です。国民の猛反発を受けないために、新政策は小出しに小ぶりに、ポーズだけをとっていくことこそ肝要です。

また民主党は国家公務員の給与を20%削減するとしています。しかし公務員の大半は自治労の組合員です。民主の足元を支えてきた彼らに、そんな数字を飲ませようとしては政権自体が揺らぎます。かつて革新の美濃部都政は、給与削減に反発した社会党らの組合員によって罵倒されながら崩れて行きました。思い出してほしいものです。

民主党は官僚つぶしも威勢よく叫んでいます。確かに外郭団体の削減や高額の連続退職金などは撤廃すべきです。しかし300人余の人気投票集団が、行政テクノクラートを敵に回してどんなチエと理論を展開できるというのでしょう。例えば来月には国連総会があります。その首相演説と外交戦略を、外務省の官僚でなく、1か月前に声のかかった素人メンバーで作成しようというのでしょうか。役人は国のために上手に使われることを待っています。彼らはつぶさず、堂々と使い切ればよいのです。

そんなこんな、民主党の政権運営は不安ばかりです。それだけに声高に主張しておきましょう。民主党よ、マニフェストに拘泥してはいけない、マニフェストは選挙に勝つためだけの紙切れと割り切って今後はこれを無視しようと。国民の将来と民主党の存続のためにも、口当たりのいい「覚せい剤」は、1日も早く捨て去ることが大切なのです。


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「食のまちづくり」事例に感動した自治体学会

2009年08月27日 | Weblog

写真:松平春嶽らの福井城址(本人撮影)

幕末期の松平春嶽で名高い福井には、一度ゆっくり訪れてみたいものと思っていました。ちょうど自治体学会の今年の全国大会が8月末にあり、これ幸いに越前に向かいました。やや時間のゆっくり流れる福井の地での、大会の統一テーマは「地域の再生」でした。

興味深い分科会が幾つもありました。「議会の政策能力」とか「ふるさと政策を考える」、あるいは「ローカルマニフェスト」等などです。その中で私の選んだ分科会は、「地域資源を活かす~食・文化・くらし」というセクションでした。しかしこれがまことにラッキーな選択となったのです。

全国的に注目されている、小浜市での「食のまちづくり」の事例の報告があったからです。人口3万人余の自治体の取り組みですが、実に感動的な内容でした。ちょっと案内しておきましょう。

小浜市が、若狭湾からの資源である魚介類や有機栽培での農産物を活用し、「食によるまちづくり」をめざそうというこの取り組みに本格的に着手したのが平成13年。全国初となる「食のまちづくり条例」なるものまで制定しての出発でした。

しかしポイントは落ち込んできた産業の振興という面よりは、子どもや年配者を対象とした「食育」という面からの活発な事業展開でした。とくに話題を呼んだのが子どもたちの料理教室「キッズキッチン」です。子どもに料理や食生活について体験を通じて興味をもたせるだけでなく、子どもが変われば親も変わるという視点からの運動なのです。

子どもだけではありません。各ライフステージに応じた「食育」も展開しているのです。50歳以上を対象にした料理教室「男子厨房」や、高校を卒業してふるさとを離れる若者向けの料理教室「新生活応援隊」といった取組みも紹介され、新鮮でした。こうした食文化での開拓が、食の産業の振興に自ずと連なっていくことも理解できるというものです。

紹介者は小浜市食のまちづくり課の中田典子さん。「食のまちづくり」を担う中心人物の一人です。このスレンダーで整った顔立ちの彼女の、実に熱のこもった講演には、会場の多くの人も魅せられました。食への着眼もさることながら、やはりまちづくりは人なんだということも実感させられたのです。

“小浜市はオバマ氏”だけでは決してないのだ! こう囁いている隣の参加者たちに、思わず苦笑してしまったものでした。

コメント (1)
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『海軍反省会』の131回に及ぶ証言録に驚く

2009年08月18日 | Weblog

日本の夏は毎年、広島長崎の原爆投下日に始まって終戦の8月15日に至るまで、幾つもの戦争関連特集の番組がテレビ、新聞で組まれます。南方での生死をさまよった兵士や沖縄戦での住民の血を吐くような言葉の重さに、金縛りにあってしまうような緊張感をこの夏ももたされ続けたというものです。

その中でとりわけ関心を持ったのが、NHKが3日間にわたり放映した『海軍反省会』の記録でした。天皇の統帥権そのものとして、圧倒的な権限を行使した軍令部。そのメンバーである海軍将校たちが戦後、20年以上131回かけて話し合った証言録です。PHP研究所から資料集としても出版されました(514ページ、4200円)。

戦争遂行能力がないのに決定した日米開戦の経緯や、特攻という精神主義的な戦術に拘泥していく組織風土が、いやおうなく浮かび上がってきます。にも拘わらず多くのメンバーの、自身や軍令部そのものを断罪するといった姿勢が希薄なことに、気が滅入りました。

終戦後に、日本人「一億総ざんげ」論を口にした人物がいました。これは明らかに問題です。軍令部上層部など、数百万人という死者を出した責任者はこれを特定すべきだったのです。(天皇が平和主義者であったことは真実にせよ)天皇も責任を表明して退位すべきであったのです。いや日本軍や政治家だけではありません。必要のない原爆投下を決定した米国の責任者なども追及される例外ではなかったはずです。

今回の『海軍反省会』証言録だけでなく、昨今、戦前資料の公表や戦争証言の公開が積極的に行われてきています。とても重要なことです。これまでのように右派や左派の政治主義的な思惑に惑わされることなく、真実を客観的に明らかにできるからです。とくに軍であれ党であれ、組織における責任問題を明確化していくことは、人としての心の闇の部分をえぐる事となるだけに、何とも興味ある作業といえるのです。

それにしても戦後教育の私たちは、戦前=軍部と右翼の暗黒時代、戦後=米国と左派の解放時代という単純な構図に長いこと浸ってきました。しかし現在から過去を糾弾するといった時空を超えたアナクロニズムに陥らず、歴史と社会はその時の実態を勘案しつつ冷静に評価してみないといけない。『海軍反省会』証言録は、私たちにそう伝えているように思えるのです。

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やはりおかしい“笛や太鼓”騒動の裁判員制度

2009年08月11日 | Weblog

飛び込んできた酒井法子の薬物騒動や大原麗子の腐乱死のニュース。そのために一挙に影が薄くなりましたが、先週末に初の裁判員制度による判決が出されました。隣人の主婦を殺害した72歳の男の事件で、求刑懲役16年を15年にしての判決でした。堀田力元検察官らも含め多くの傍聴した人たちからは、閉鎖的な法廷のありようが大きく変わったと、反応は頗る好意的でした。

「検察官も弁護士も専門的な言葉を避け分かりやすくなった」、「法廷の場だけですべてがやりとりされ、全体像がつかみやすくなった」、「4日間という審議期間は適切だった」云々というものです。

なるほどと、感心する人がいるかもしれません。しかし私は、だからこそ裁判員制度は絶対におかしいと思うのです。

こんなに簡単に法廷のありようが変わるのであったら、なぜ自分たちだけで改革する努力をしなかったのかということです。100年もの長きをギルド的な閉鎖性を続け、10年や20年という気の遠くなるような審理時間にも鈍磨してきた司法の体質。どれをとっても現代の感覚とずれていたのは事実です。

しかしその改革を自らせず、裁判員制度というしくみを掲げることで、強制的に国民を総動員し、自分たちの法廷の有様を改良し始めたというものです。これは明らかに身勝手というべきでしょう。膨大なコスト(税金)と全国民の生活を巻き込んでの、“笛や太鼓”の大騒ぎをしての、たかだが法廷審理の部分的改変なのです。


今回は被告が事実を争わない単純な事件でした。ある裁判員は判決後の記者会見で、「見ず知らずの人と濃厚な時間をもてて一体感ができ、愛着を感じた」とさえ言っていました。浅はかというものです。事件が単純なものだから「楽しめた」のかもしれません。しかしこれがもし、少女を眼球をえぐり身体を刻むような残忍な事件であったら、死刑の判決を下さざるを得ないような事件であったら、こんなノー天気な発言をしておられるでしょうか。

裁判制度は始まってしまいました。しかし、今回のような小レベルの審理の改良で大喜びするのでしたら、今後数回の裁判実績があれば十分というべきでしょう。そこでの「大成果」を得たことを花道に、この制度はやはり早期の終焉を図るべきものなのです。

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原爆の日に想うコッチNY市長の露骨発言

2009年08月06日 | Weblog

今日は広島の原爆記念日です。オバマ大統領の核廃絶発言があっただけに、広島、長崎では例年になく核廃絶への動きが活発だと報道されています。無差別に14万人もが焼殺された残酷さを思うと、この行為への嫌悪感を改めて抱かないわけにはいきません。
毎年、この広島の記念日が来ると必ず思い起こされることがあります。もう20年も前になりましょうが、私が東京都の駐在代表として姉妹都市ニューヨークの市役所に赴任した時のことです。着任挨拶にいった当時のコッチ市長は大いに歓迎してくれたものの、その部屋から出る際、前任者がこう教えてくれました。
先日、あのコッチ市長に広島の市長が会いに来たんだよ。しかし市長室に入った広島市長はコッチさんに握手を求めたんだが、何とコッチは握手を拒みこう言ったんだ。

「貴殿(広島市長)は核廃絶を主張しているというが、イスラエルが核を持つことにも反対なのか。納得できる理由を聞けない限り、私はあなたの表敬を受けるつもりはない」。いやあ、びっくりしてしまったな。
コッチ市長は強烈な個性を持つユダヤ人として有名でした。イスラエルがアラブとの対立の中で自己防衛のため核保有することは当然であり、日本人の凡庸な平和主義というものの甘さが許せなかったというのです。しかし表敬訪問の場での突然のこのシビアな発言に、広島市長はしどろもどろするばかりだったというのです。
最近の新聞によると、米国でのアンケートではいまだに原爆投下は当然でという人々が61%(必要なかった20%)もいるとありました。多くの日本人も、悪いのは戦争であり、その戦争を起こした日本側であって、原爆は戦争終結のためにやむを得ないものであった。そういった雰囲気が長いこと醸成されてきていることは否めません。
しかし参戦というソ連の介入を回避させる戦略的視点や、原爆の効果を実戦で試したかった軍事的視点が、米国の原爆の投下理由だと今日では定説的です。かように責任は米国にあるにも拘わらず優しい日本人は、被爆責任は日本にあると責め続けているのです。その主客転倒した曖昧さが、漠然とした平和主義を日本に蔓延させ、現実主義者のユダヤ人市長に冷笑される事態を生んでいるのです。8月6日が来ると、いつもこうして苦々しい気持ちになるのです。

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衆院選前に放映されるドラマ“官僚たちの夏”

2009年08月03日 | Weblog

日曜の夜は、TBSの社会派ドラマ“官僚たちの夏”(城山三郎作)を興味深く見ています。昨夜もそうでした。昭和30年代の通産省を舞台に、米国企業の進出を警戒して繊維、自動車産業などを守ろうとする国内保護派と、国際通商派との相克を描くドラマです。佐藤浩市(通産官僚・佐橋滋)や北大路欣也(首相・池田隼人)の出演で骨太感、十分です。

それにしても、このいささか“官僚礼賛”めいたドラマが、もうじき行われる衆院選の前に放映されることに苦笑しないわけにはいきません。「官僚支配の政治を断固、脱却しよう」と勢いよくスローガンに掲げる民主党。しかしドラマは、この民主党の“悪者”づくり戦略に、明らかに冷や水をかけるものであるからです。

「自分たちは国家に雇われているのであって、大臣に雇われているのではない」。こう嘯く官僚の自信と傲慢に辟易するフシはないわけではありません。しかしこの認識は基本的に正論です。大久保利通が明治初めに官僚制を立ち上げたのも、政争に翻弄されずに政策を粛々とこなす組織の存在が近代国家には必要だとしたからです。換言すれば猟官制の危うさを警戒したのです。

官僚とその組織は、決して“潰す”対象であってはならないのです。あの大量の能力は、うまく使い切ってこそ国家のために生きるのであって、腐らせ、萎縮させ、反発ばかり起こさせては社会的に何とも“もったいない”というべきなのです。

はびこる官僚の汚職や天下り先での優遇措置など、国民から見れば極めて不快なことは当然でしょう。ドラマ“官僚たちの夏”の示す“志の高さ”といったものが多く失われたのも事実のようです。しかし彼らのテクノラートとしてのストックは、有用なシンクタンクと考え、その活用こそ図るべきものと思うのです。

そういえばドラマに出てくる女性の初代、2代の通産官僚がいます。実名でいえば坂本春生(元西武百貨店副社長)、あるいは川口順子(元外務大臣)の二人です。実はこの二人とも、私が都庁から出向していたNIRA(総合研究開発機構)に通産省から出向してきていた先輩なのです。それだけにドラマには一層親近感を覚えてしまいます。

いやいや、そうだからといって、贔屓で通産官僚の皆さんの肩を持つわけではありませんので、決して誤解などありませんように!(笑)

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