嶋津隆文オフィシャルブログ

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NHK「あまちゃん」が終わってしまいました

2013年09月30日 | Weblog

NHKの朝の連ドラ「あまちゃん」が今日終わってしました。寂しいものです。それにしても日本中をお祭り騒ぎにしたこの人気ドラマ。その終焉に際し感想を言わないのは非国民ではないか(笑)などといった雰囲気を感じ、私めも一言ブログにアップする次第です。

「あまちゃん」の人気の所以はなんでしょう。多くの人がそうであるように、私もあの軽快なドドドッドというテーマ音楽にまずは魅せられました。そしてアキちゃんの笑顔に、太巻のあくの強さに、クドカンの軽妙な脚本にすっかりやられてしまいました。

しかし私にとって一番印象的であったのは、時々挿入されるパラパラ漫画です。あの絵の醸し出す柔らかさ、分かりやすさには舌を巻きました。聞くところによるとあの漫画を描いたのは鉄拳というお笑い芸人だとか。いやはや貴重な存在です。

そのパラパラ漫画によく出てきた「潮騒のメモリー」の一場面、「その火の上を飛び越えてこい」のシーン。いうまでもなく三島由紀夫の小説「潮騒」からの借用です。その舞台である神島は私のふるさと渥美半島の目の前に見えます。それだけに「潮騒のメモリー」は三島の「潮騒」であり私たち「渥美半島」の物語のようにも感じるのです。

そうなのです。「あまちゃん」は東北を舞台とするドラマではありますが、私たち「渥美半島」の人間には、自分たちのふるさとを舞台にしたドラマでもあったのです。我田引水と言われようがどうしようが、それが「あまちゃん」に大いに親近感を覚えた所以であったと私は思っているのです。


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ふるさと田原城にて仲秋の名月を堪能する

2013年09月22日 | Weblog

がんじがらめの役所のスケジュールの中に過ごしていると、空の大きなことも星の広がっていることも忘れる昨今です。しかし昨夜は違いました。仲秋の名月です。
    
渡邉崋山にちなむふるさと田原城でも月見会が持たれ、なんと300人近い人たちが城跡を訪れました。私もその一人として城に足を運び、会場でスピーチを終えた後、三味線の演奏を聞きながら空に煌々たる月の光に浸りました。

そうそう、自分はかんじがらめのスケジュールの中なんだ。…そんな自嘲的な呟きからふと口に出るのは、尾崎放哉であり種田山頭火というものです。あの自由奔放な生き方と自由律の句。そういえばこんな句がありました。

こんなよい月を一人で見て寝る(尾崎放哉)
鎌倉はよい松の木の月が出た(種田山頭火)

いい句です。しかし言うまでもなくこの両人とも変人として疎まれ続けられました。自由さとはやはり反社会的な営為なのかもしれません。そんな自由はとても選択できるはずもない。そんなこんなと考え始めると、積み重なっている疲れなどいつ迄もとれることはありません。

 


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台風18号の暴風の中で思う和辻哲郎『風土』

2013年09月16日 | Weblog

気象庁データ

現在9月16日の午前8時です。渥美半島は台風18号の目に入りました。暫くすればまた叩きつける激しい風雨になることでしょう。昨夕から田原市役所で緊急配置体制の緊張の中にあり、息を凝らして台風の過ぎるのを待っています。

津波、竜巻、豪雨、そして台風。立て続けに生じる昨今の天災に、改めて古くから苦しめられてきた日本人の風土に対する思いを想像するというものです。

そういえば哲学者・和辻哲郎はその著『風土』(昭和10年)のなかで、日本の風土と日本人の心情について、「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡(てんたん)」という言葉で表現しました。

モンスーン的な気候や台風など、自然に対して忍従せざるをえなかったことが、日本人の気質形成に影響しているというのです。「豊かに流れる感情がひそかに持久しつつその持久の変化の各瞬間に突発的に激情を生み、突発的な昂揚の裏ににわかにあきらめの静けさをもつこと」と規定しました。

その和辻の「風土が人間に影響する」という思想を、悪しき環境決定論であるとか天皇制肯定論になっているなどと批判する人もいます。しかしこうした機械的な思考に拘ることなく、和辻の指摘の中に日本人の自然に対するしたたかさを、肯定的に汲み取りたいと思うものです。


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「2016年でなく2020年で良い」と石原知事

2013年09月11日 | Weblog

写真:「メイン会場デザイン」

アルゼンチンでの東京五輪決定の瞬間は間違いなく感動的でした。経済の不況感や原発事故の絶望感、高齢化社会の沈滞感が漂ってばかりの日本人が、あんなにも歓喜した姿を見せたのは、それこそ何年ぶりだったでしょう。

それにしても思い出すのは10年ほど前のことです。当時、東京都庁の生涯学習スポーツ部長のポストにあった私は、石原慎太郎知事から「オリンピックをやることとした」との話を聞いたのです。

突然のことに驚きました。しかもこう一言が加わっていました。「2016年は難しいと思う。だから2020年を目標とするが、2016年にも立候補するということだ」と。

えっ2016年はダミーなの? 何よりも10年後の開催のことがそんな思い通りにコトが運ぶのだろうか。第一、石原都知事はその頃は知事を引退しているはずではないか。大いに訝しがったものでした。

あれから10年。果たして2020年のオリンピックが東京に決まりました。その喜びもさることながら、あの石原慎太郎知事の、往時の長期的戦略というか動物的嗅覚というか、その構想力に改めて感じ入ってしまう昨日今日というものです。


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宮崎駿監督で思い出す「猫バス」モノレール騒動

2013年09月04日 | Weblog

宮崎駿監督が引退を表明しました。惜しまれる声がテレビで流れますが、しかし最新作「風立ちぬ」を見終わった多くの人は、たぶん私同様にその気配を感じ取っていたのではないでしょうか。

もののけ姫、千と千尋の神隠し、天空の城ラピュタ等など。確かにこれら作品はいずれも大空のように雄大で爽快で、他方で常に闇のおどろおどろしさを並存させていました。

しかし「風立ちぬ」は爽やか過ぎました。いつも味わうゴツゴツ感がなかったのです。「あっ、こじんまりと“完成”させてしまった」と思わず口走ってしまったものです。こだわりの強い宮崎監督。こだわりを貫くには72歳という年齢は些か重かったのでしょう。

こだわりの宮崎駿と言えばこんなことを都庁の折に経験しました。

ある時、多摩モノレールの車体のデザインを、宮崎作品の「猫バス」にしようと交渉に行ったのです。しかし監督からははっきりNOとの返事でした。「猫バスは子供たちにとっては無限に柔らかいメージでなくてはなりません。しかしモノレールの車体の金属感は、どうしてもその柔らかさを維持できません」。

そのこだわりに舌を巻きつつも、一人の芸術家の姿勢の貫きを見せられ、大いに納得したというものです。それにしてもこだわり貫くというのは、やはりなかなかシンドイもののようです。


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