嶋津隆文オフィシャルブログ

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摩文仁の慰霊の丘に置かれた岩木山の岩リンゴ

2011年05月31日 | Weblog

写真:青森県の慰霊の塔とリンゴの碑

先週末は那覇での地方財政学会に参加し、エクスカーションで普天間、嘉手納、名護のキャンプシュワブといた米軍基地を視察しました。それだけに沖縄を離れる日に、どうしても摩文仁の平和公園に足を運ばねばいけないと思い、そこに向いました。

摩文仁はいうまでもなく沖縄戦での最後の激戦地で、今は犠牲者の慰霊の地となっています。太平洋を見下ろす敷地に、亡くなった人々の墓標が押し寄せる波のように広がり、苛烈な歴史を余すところなく示していました。

そのなかで予想していなかったのは、全国各県の慰霊の塔群の存在です。例えば静岡は富士山の形を組み込んだ碑を、あるいは三重は伊勢神宮の鳥居を配置するなど、各県が競い合うように、それぞれの出身者の故郷を想起する場を作っていたのです。

私にとっての圧巻は青森県の碑でした。目に飛び込んできたのは入口におかれた大きなリンゴです(写真参照)。しかもそのリンゴが岩木山の岩で作られたとの説明に驚かされました。

「津軽の人は、岩木山が見える限りそこを津軽平野と呼びます」。それほどまでに津軽の人は、岩木山に誇りと愛着を強く持っていると言われます。そのことを知る青森県が、名産のリンゴの碑を作るのに、岩木山の岩をわざわざ沖縄に運び、同郷の人々への供養をなしたというのです。その配慮に目を潤まされました。


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不思議にも俳人石毛博道と歌人坂口弘が重なる

2011年05月26日 | Weblog

写真:石毛博道『草矢射る』と坂口弘『常しへの道』

長い成田闘争を強いられた芝山町の石毛博道氏。熱田派の元の事務局長。過日、成田の共生委員会の建物で彼と話しあう機会を持てたこともあって、このところ、その句集『草矢射る』を少しづつ読み進んでいます。

寒風の中ゆく時も顔をあげ
人間がいっとう怖い木の実落つ
草薙(くさなぎ)という敵がくる虫達に

土地収用の強制執行が行われ、それへの激しい抵抗を展開している頃の作品でしょうか。その句風はどれも大地を感じさせ、言い知れぬ安堵感を味わわせるようです。しかしこの句集から、ふと連合赤軍の坂口弘死刑囚の歌が想起されてくるのは不思議です。坂口弘歌集『常しへの道』にはこんな歌があります。

これが最後
これが最後と思ひつつ
面会の母は八十五になる

牢のわが消息を知り
まだ生きてゐるかと思ふ
人のあるべし

共に時代の苛烈さを背負っていることが、この二人の作品イメージを結びつけるのかも知れません。あるいは己や社会を透徹するかのような哀しさが、共通して感じられるためかも分かりません。それにしても同世代人に成田と連合赤軍は、過去でなく、いつまでも同じ時間帯にあることを痛感させられるというものです。


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この不安感は何だろう、高1女子殺害の有罪判決

2011年05月19日 | Weblog
写真:異国の丘・岸壁の母の記念碑
(舞鶴と聞くとどうしてもシベリア抑留を想う)

昨日今日、筆力のある若いジャーナリスト、門田隆将の著書を読み続けています。先般ブログに取り上げた「この命、義に捧ぐ」(5月5日ブログ)のあと、「風にそよぐ墓標」(日航機墜落事故)、「裁判官が日本を滅ぼす」と進んでいます。

裁判官の問題性を追った、この「裁判官が日本を滅ぼす」のせいでしょうか、昨日京都地裁で出された、舞鶴市での女子高生殺人の判決に思わず目が行きました。そして何ともいいようにない不安感を持たされました。

被告(62歳)は捜査段階から犯行を全面否認し、判決を受けた当日も、「自分は無罪だ!」と叫びながら退廷したといいます。何よりも気になるのは、凶器などの直接証拠がなく、目撃者証言など検察の積み上げた状況証拠による評価に立って有罪とされたことです。

・・こういうパターンが一番怖い。率直にそう感じさせる空気があります。控訴審での審理を待つしかないでしょうが、足利事件の様な悲劇が生まれないことを念じたいものです。

それにしても裁判官の資質を指弾する門田隆将の「裁判官が日本を滅ぼす」は迫力があります。例えばその中で扱った、女子高生への痴漢事件などは強烈でした。

電車内で痴漢をしたというサラリーマンの裁判です。しかしその被害女子高生が一年で5回も痴漢を捕まえ、そのつど数十万円の慰謝料を得ていたことが発覚するのです。サラリーマンの痴漢事件はでっち上げだと無罪にされます。

ところがこの刑事判決の直後に、くだんの女子高生親子に損害賠償の訴えを起こしたサラリーマンは、民事裁判官から逆に「痴漢をした」と認定されるのです。この差異を、単に杓子定規に、民事と刑事は違って当然などと嘯くとしたら、やはりこの国の司法は病んでいるという他ありません。


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成田闘争の足跡と今日の到達点を垣間見る

2011年05月13日 | Weblog



写真:完成直前の「空と大地の歴史館」展示室 本人撮影

昨日は雨の中を、成田に足を運びました。成田空港問題の解決に尽力し、昨年亡くなった郷土の大先輩・山本雄二郎さんの追悼本の資料収集のため、成田空港会社(NAA)や反対同盟のメンバーに会いに出かけたのです。

成田共生共栄会議の事務所では、熱田派の事務局長であった石毛博道さんに会いました。山本先生から年賀状や会議の進め方のきめ細かい指示ファックスなどを見せられ、山本先生のこの成田の地への溶け込み方と真摯さを、目の当たりに見せられたものでした。

その後でNAAの手配で、「成田空港 空と大地の歴史館」を案内してもらいました。この施設は6月のオープンを控え、成田空港問題の歴史を後世に伝えるための施設として、建設されるものです。

展示室の中央には三里塚の村にそびえていたクヌギの木が立ち、周辺には「流血の日々」、「成田開港までの長く重い時間」、「地域に差す光 円卓会議」などといったコーナーが予定されていました。

半世紀にもわたるあの激烈な闘争の歴史が収蔵されるには、いかにも小ぶりな建物ではないか。そう戸惑っていると、私の気配を感じ取ったのでしょう、NAAの若い担当者が、こう言いました。「『小さく産んで大きく育てる』、これが山本先生の言葉でしたよ」と。

成田の共生会議あるいは共生共栄会議の代表として10年以上、困難な成田問題の収束を地道に図ってきた山本先生ならではのヒトコトと、改めて頭が下がる思いでこの地を後にしたものです。


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「国立市は「違法」を解消した」と産経社説

2011年05月10日 | Weblog

市長選から半月。そろそろ国立市のことは食傷気味となっています。

しかし昨日の5月9日付けの産経新聞は、正面から住基ネット切断の違法性を指摘し、今回の市長選の結果と速やかな接続を表明した新市長の方針を評価する社説を載せました。

よく問題点と意義が整理されており、また我が意を得たりの思いもあって、今日のブログに掲載します。


 


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『この命、義に捧ぐ』を感動して読み終える

2011年05月05日 | Weblog

写真:根本博陸軍中将(北支那方面軍司令官)

選挙疲れの残るこの連休は、読みたかった門田隆将の著作を読んで過ごそうと、最初に手にしたのは『この命、義に捧ぐ』でした。台湾を救った陸軍中将根本博の軌跡と副題に添えられます。

根本中将は、昭和20年に終戦の詔勅を受けながら武装解除せず、4万人の在留邦人を内地に無事に帰還させた北支の司令官です。このことは、武装解除したばかりにソ連に蹂躙された満州の関東軍司令官の例を考えれば、大変な決断であったことが分かります。

しかもその根本は、邦人4万人の帰国を諒とした中国(蒋介石)に恩返しをするとして、戦後の昭和24年になって、密かに台湾にわたり金門島の戦争に参加します。そして軍事顧問として、中共軍の攻撃を阻止し、台湾が中国大陸の一部に国境を画する今日の礎をつくったのです。

何とも清々しい、しかし苛烈な軌跡を描き続けたこの人物像を、素直に感動して読み終えました。日本軍極悪論のような長いこと喧伝された歴史観のもとで、人間の生き方を浅薄にしか捉えられなくなっていた自身の不明を、改めて恥じることにもなりました。

それにしても読み終えて、ふっと過日の国立市長選が頭をよぎります。この4年、ひたすら国立の市政是正のために地道な活動を重ねてきた「くにたち政治経済研究会」。そのメンバーの根気には、根本中将の「義」の心に及ぶべくもないにせよ、この中将の心意気に通じるものを感じ、頭が下がるというものです。


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