嶋津隆文オフィシャルブログ

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早稲田大学バリケード内の山下洋輔ライブ

2022年08月04日 | Weblog

 突然であるが先月の7月12日、早稲田大学の大隈講堂で「村上春樹 presents 山下洋輔トリオ再乱入ライブ」が開催された。ご存じだろうか。
 えっ「再乱入」? このタイトルに思わず半世紀前にタイムスリップしたのは私だけではないだろう。山下は全国で全共闘運動が広がっていた1969年、早稲田のバリケード内に突入し、ライブ演奏する。ピアノは大隈講堂から当時の「反戦連合」メンバーらが運び出した。
 しかし山下のピアノ力と半世紀という時間はでっかい。このイベントをすっかり伝説に変えてしまった。
先月の早大でのイベント企画を担った村上春樹はこうメッセージを寄せる。
「1969年に早稲田大学四号館でおこなわれた山下洋輔トリオの「乱入ライブ」は、今では伝説の語り草となっています。オリジナルの乱入から既に半世紀以上が経過してしまったわけですが、大丈夫。ご安心ください。乱暴な精神はまだしっかり生きて、引き継がれています」(ライブ開催HP)。
 満員の大隈講堂の最後に山下洋輔は、「当時、権威あるものはぶち壊したい、単純にそう思った」と語り、村上春樹『ノルウエーの森』に出てくる「Memory is a funny thing」をソロ演奏した。
 しかしこの後の早稲田のキャンパスは悲惨だ。いやどこのキャンパスの同様であったかもしれない。セクトによる粛清テロが日常的になり、多くの友人や知人が命を失い傷ついた。ジャズの音色では消せない、酷い時代はほんの昨日のことである。




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何ということ、安倍さんが凶弾に倒れた

2022年07月11日 | Weblog


 安倍晋三元首相が逝かれてしまった。あっという間の数時間でのこと。しかし夜になってみると、何とも惜しい人物を失ってしまったものと、半端ない寂寥感が湧いてきます。
 最後に私が安倍さんの姿を見たのは、ちょうど1か月前の6月9日「石原慎太郎お別れの会」。呼びかけ人代表として安倍さんはこう挨拶していました。
 「石原さんが逝かれて1か月後、お母さまが逝かれたと長男の伸晃さんから連絡をいただいた。私が「後を追いかけたんですね」というと伸晃さんは「いえ、あれは父が呼んだのです」といわれました。それがお二人の姿なんだと、とても印象に残っております」。
 しかし私はこの挨拶を思い浮かべ、ひょっとしたら安倍さんも石原さんに強引にあの世に呼ばれたかもしれない。そう思い始めたのです。安倍さんが石原さんを頗る尊敬していたことは多くの人の知るところです。
 いや、そうとでも無理に考えなければ、こんな悲劇的な夭逝を強いられた安倍さんの無念を、説明できないではないか。そんなこんな心乱れる夜半というものです。


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作家&政治家の『石原慎太郎お別れの会』

2022年06月10日 | Weblog


6月9日、渋谷の東急ホテルでの「石原慎太郎お別れの会」に参列してきました。
会場の入り口に入ると、大きなスクリーンに文学を語る生前の姿が映され、その向かいの大きなパネルには著書300冊ほどが飾られていました。作家石原慎太郎の世界です。
 しかし遺影のある会場に入ると風景は一変します。上の写真をご覧ください。前列左から菅、森、一人おいて細田衆院議長、挨拶するのは岸田首相。1列、2列には現役の閣僚や国会議員、何人かの知事が並びます。完全に政治家石原慎太郎の世界です。
そして呼びかけ人代表で挨拶したのは安倍晋三。
 「石原さんが逝かれて1か月後、お母さまが逝かれたと長男の伸晃さんから連絡をいただいた。私が「後を追いかけたんですね」というと伸晃さんは「いえ、あれは父が呼んだのです」といわれました。それがお二人の姿なんだと、とても印象に残っております」。
 心温まる話です。しかし何と不遜なことでしょう、私めは、この挨拶を聞きながらも、もしこの会場にミサイルが撃ち込まれたら日本の国家機能は完全にマヒするなと、あらぬことを考えておりました。


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届いた『石原慎太郎 お別れの会』のご案内

2022年05月11日 | Weblog


連休の明けた5月10日、一通の白い封書が自宅の郵便受けに届けられました。

「  石原慎太郎 儀
  令和4年2月1日 89歳にて永眠いたしました
  ここに生前のご厚誼を深謝し謹んでご通知申し上げます
  また同年3月8日 長年連れ添った妻 典子も84歳にて永眠いたしました
  つきましては「お別れの会」を左記のとおり開催いたしますので
  ご多忙中 誠に恐縮ながらご来臨賜りますよう ご案内申し上げます
  令和4年5月

  日時  令和4年6月9日(木曜日) 10時~11時
  会場  セルリアンタワー東急ホテル 地下2階「ボールルーム」 」


そして石原4兄弟の名前が並びます。
形式的と言えば形式的と言える案内状です。
しかし文字通り夫のあとを追うように僅か1カ月で逝かれた典子夫人を記した1行に、その1行に改めて涙するというものです。


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「この公園の樹を切ると祟りがあります」

2022年04月04日 | Weblog


 NHKの「鎌倉殿の13人」に触発されたこともあって、30年ぶりに鎌倉を訪れ、ゆっくり春の一日を堪能しました。
 長谷寺から大仏へと巡りながら、ふと思い出して鎌倉文学館に足を向けました。というのはこの近くの公園で、30年前に地域研究の仲間と一緒に思わず声を上げた発見があったからです。茂った樹木に取り囲まれたその小さな公園の一角には、なんと、こんな立札が立っていたのです。 
「この公園の樹を切ると祟りがあります。鎌倉市教育委員会」
 
 いやあ驚きました。「祟りがあると伝わっています」といった柔らかな伝聞表現ではないのです。きっぱり「祟りがあります」と言い切り、しかも「鎌倉市教育委員会」と明記。爆笑しました。大らかな良い時代です。残念なことに今回向かったその公園は、場所さえ分かりませんでしたが。

 突然ですが昨日今日、国立市で「表現の不自由展」が開催され騒然としています。反日感情を醸成し住民間の対立を招く、こうした企画を拒めなかった行政。ここにははっきり、「祟りがあります」と立札を立てたいものです。


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弥生3月は別れの季節というけれど…。

2022年03月08日 | Weblog


どっさりと積み上げられたハサミの数々。
ここは福島県の檜枝岐(ひのえまた)村の「橋場のばんば」のお堂。縁切りの聖地としてマスコミに流れて有名になり、昨今は供え物のハサミが異様な山をつくっています。イヤそれ以上に驚かされるのが、お堂の傍らに吊るされた絵馬の祈願文です。

別れたいという思いから二つに割られた絵馬は、よく見ると何とも壮絶な文言が並びます。
「会社の後輩の〇〇とその母との悪縁を切りたいです」
「クソみたいな男達と出会いませんように、素敵な出会いがおとずれますように」 
「息子の××と今付き合っている女は…」
〇〇や××はもちろん実名。祈願者も当然のように実名が書かれます。いかに深い憎悪に駆り立てられてここを訪れたものかと、その迫力にしばし立ち竦んでしまうというものです。

弥生3月は別れの季節というけれど人生は様々。桜のような美しい散り方もある一方、血反吐を吐く別れもあるのです。


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石原慎太郎知事から寄せられた帯書き

2022年02月07日 | Weblog


石原慎太郎知事が逝ってしまいました。89歳。
思い通りの人生を過ごされたと妬みつつも、思わず涙してしまったものです。

役人時代、10年もの上司と部下の関係であれば、いくつもの印象深い出来事があるのは当然です。しかしここではひとつだけ、作家としての石原知事の、柔らかい気遣いを感謝を込めて記しておきます。

上の冊子は、10年ほど前に都庁を辞め、大学の教員になったころに上梓した一冊。
ふるさと愛知県伊良湖岬で、久しく村長職にあった祖父の生涯を、戦前の地域史として執筆したものです。『明治の日本人と地方自治―伊良湖岬村長物語』(公職研)。

原稿を書き終え、さあ誰に推薦をお願いしようかと考えた時、石原知事以外は思いつきません。都庁に直談判に伺いました。すると何と二つ返事だったのです。
「そう、あなたのおじいさんお話ですか。分かった。で、何を書いたらいいか、下書きをくれよ、一晩考えてくるから」。
その時の、ニヤッと言う笑顔が忘れられません。そして翌日受け取ったのが、写真の帯書きなのです。


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謹んで新春のお喜びを申し上げます。

2022年01月05日 | Weblog


 昨年暮れ、講演を頼まれ丹後半島を訪れる機会を得ました。その浦島伝説の舞台で、不意に思いつかされたことがありました。そうなんだ、もう人生の収束を準備しなければならない、間違いなくその齢になったんだと。

 下河辺淳、梅棹忠夫、手塚治虫、黒川紀章・若尾文子、竹村健唐十郎、高橋惠子・伴明夫妻、江戸っ子芸者喜春さん、そして鈴木俊一、石原慎太郎。奇しくも縁を持てたこうした人たちとの出会いは私にとっては玉手箱。

 今年で齢も70半ば。この玉手箱に詰まる、とっておきの生エピソードを、昭和・平成の時代分析とともに書き残すのも乙ではないか。今年はそんな一冊を上梓したい。そう気負う、寅年新春の朝というものです。


令和4年元旦


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大正ロマンの銀山温泉、昭和レトロの肘折温泉

2021年11月15日 | Weblog


 コロナ禍が一息した山形に、先週、銀山温泉と肘折温泉とを訪づれました。戦前の風情の旅館群が並ぶ2つの温泉地。しかし違いがあります。銀山温泉は大正ロマンをウリにした風格のある温泉地。いささかケバイのではという批判はあるにしても、多くの訪問客が訪れていました。他方の肘折温泉はひっそりとしており、名物の朝市の人出もそこそこでした。

 そんな肘折の夜に、旅館主や観光学の教員たちと酒を交わす場があり、そこに参加した時のことです。「銀山の大正ロマンの向こうを張って肘折は昭和レトロとし、2つが連携して観光客誘致を図ってはどうか」。私の小さなこの発言に旅館主たちからは反論が。
「銀山温泉とウチは違います、肘折温泉は極力、街をあるがままとしておきたいのです」。

 大分の別府温泉のケバサに反発して静かな温泉町を形成した湯布院。そんな対比イメージを持っていたのかもしれません。しかしあるがままとは言いながら、肘折温泉の、放置されたかのような裏通りの雑然さ等には首をかしげます。温泉地には、せめて「薄化粧」や「寝化粧」は欠かせないもの。寝しなに入った老舗旅館の湯殿で天井を見あげつつ、そう思うことしきりの肘折でした。


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舞鶴は海軍の街、「通り」には艦名がつく

2021年10月11日 | Weblog


 先週は、丹後半島から若狭湾沿いを訪れる機会を得ました。そこで驚かされたのは舞鶴の町です。東舞鶴駅に降り立つと、通りは碁盤目状に区割りされており、しかも各南北の通りには海軍の艦名がつけられていたのです。30年前に訪れた折には、不明にして気づかなかった発見です。

 駅に近いところから海に向かって「三笠」「初瀬」「朝日」「敷島」…と続きます。町の中心部には、海側から一等戦艦の建造順に名付けられ、周辺部の通りには巡洋艦、駆逐艦などがそれぞれ名付けられているのです。その数、なんと33。舞鶴は、日露戦争直前の明治34年に、海軍の鎮守府がここに置かれて以降、繫栄してきた軍港町。それだけに艦名通りとは、何とも味わいのある話です。

 もっともこの歴史の街、舞鶴に足を入れてもう一つ驚かされたのは随所に走るシャッター通り。由緒ある艦名通りの人影はまばらで、その無機質な商店街の光景に、こんな日本に誰がした!と、改めて呟きつつ徘徊した一日でした。


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