日本滞在記のつづき:
もう3ヶ月前のことだけれど、、、何年かしたら忘れちゃうことも多いので、いま覚えてるうちに書いておくのです。
2014年4月6日(日)
この日は京都へ向かいました。せっかく日本に帰っていると言うのに、実家に泊まったのは本当に数日ぐらいで、この日から約1週間ほど京都へ出かける私。
ああでも嬉しいなぁ。またこのブログの「京都」カテゴリに記事が増えていくなんて。大したことはしていないけど、思い出のひとかけらをここに残しておこう。
ちょうどお昼時の新幹線だったので電車の中で優雅にお弁当を食べました。もっとグレード高くて美しいお花見弁当が良かったのだけど、お花見シーズンですべて売り切れ。仕方なくこれ、でも十分でした。山菜おこわ、シュウマイ、ブリの照り焼き、 etc... 何より「お弁当」というスタイルが久しぶりで嬉しおいしかった。
新幹線が京都駅のホームに入ると聞こえてくるアナウンス「京都、京都です」。それが本当に懐かしくて、席を立ちながらじわじわじわ~っと感動にひたっていると、降りる間際に前にいたロシア人女性が私に道を尋ねてきました。
I want to go to Omiya. Do you know which train I should take?
大宮に行きたいらしい。
京都をまる5年も離れていたのに、こう聞かれてすぐに地下鉄マップが頭にうかんで、地名もつぎつぎと出てきてスラスラとこたえている自分にプチおどろき。「新幹線をおりたら地下鉄の京都駅へ移動して、そこから七条、五条と乗って、四条駅で阪急線に乗り換えるの、そこは四条烏丸という駅で、そこから四条大宮へはひと駅だよ。」こう説明しても、「じゃあその最初の地下鉄の駅へはどういけばいい?」と聞いてくるので、いっしょに歩いて地下鉄まで案内をしました。
そんなことをしてたのであまりひとりで感慨にふける時間はなかったのだけど、まぁ人助け+自分の記憶のリフレッシュにもなってよかったかな。京都の地下鉄の駅名なんて、私の脳の奥のほうの桐だんすにしまわれていて長いこと取り出す機会がなかったから、笑。シカゴに住んでいるという彼女は英語もとても上手でした。
何はともあれ。
Long time no see, Kyoto! I missed you!!
駅の構内にもそこかしこに思い出が詰まっていて、歩いているだけで涙でそうになりました(大げさでなく本当に)。この構内を何度走ったことか。ここから何度旅立ったことか。ここで何度人を出迎えたり見送ったことか。京都って、若い頃の自分の何もかもを清濁合わせのんで包み込んでくれるような不思議な包容力があるのだよね。
駅前のタクシープールのところに立ててある手書き風の看板「左側実車 右側空車」が昔と変わってない。全~然、何の思い入れもない看板なのに、その看板におかえりと言われてる気がしてしまうんだから、なにで記憶のスイッチが入るかわからない。
京都の緑の市バス。市バスの番号、28番とかは思い出深いなぁ。この駅前のなんてことないつまらない風景が猛烈になつかしい。特にこの風景は京都駅が新しくなる前の古い京都駅を思い出させるようでとても懐かしくて、なんだかねぇ本当にもう、何をみても、どこを歩いても、それはみな「いつか毎日のように見ていた風景」なわけで。記憶のパズルがひとつひとつカチッカチッとはまっていくみたいで、とても不思議な感覚だった。
こんな売り場の風景でさえもなつかしい。ていうか、アメリカから来るとこの試食コーナーがとても珍しく見えて写真に撮るに値する風景なの。お漬け物がおいしくて、買わないのにさーっと味見。満足!
駅の構内。ここは走ってる思い出しかないなぁー。時間ギリギリガールでしたから。ここの奥左手にある立ち食いのお蕎麦屋さんみたいなところで売っているおにぎりがとてもおいしいんだよね。ちりめんじゃこの。まぁ、京都で買うちょっといいおにぎりはどこのでもおいしいけどね。ここは構内だから時間がないときにさっと買えて便利。
この日は夜に大阪で大学時代の友達に会うので、京都のホテルに荷物を置いてすぐに難波へ。
やっと西日本に来られたこと、待っている友達がいること、思い出のつまった懐かしの街を旅人として歩くこと。気分は高揚。天気もよくてお花見シーズンで、これからの数日間に胸は高鳴るのでした。
もう3ヶ月前のことだけれど、、、何年かしたら忘れちゃうことも多いので、いま覚えてるうちに書いておくのです。
2014年4月6日(日)
この日は京都へ向かいました。せっかく日本に帰っていると言うのに、実家に泊まったのは本当に数日ぐらいで、この日から約1週間ほど京都へ出かける私。
ああでも嬉しいなぁ。またこのブログの「京都」カテゴリに記事が増えていくなんて。大したことはしていないけど、思い出のひとかけらをここに残しておこう。
ちょうどお昼時の新幹線だったので電車の中で優雅にお弁当を食べました。もっとグレード高くて美しいお花見弁当が良かったのだけど、お花見シーズンですべて売り切れ。仕方なくこれ、でも十分でした。山菜おこわ、シュウマイ、ブリの照り焼き、 etc... 何より「お弁当」というスタイルが久しぶりで嬉しおいしかった。
新幹線が京都駅のホームに入ると聞こえてくるアナウンス「京都、京都です」。それが本当に懐かしくて、席を立ちながらじわじわじわ~っと感動にひたっていると、降りる間際に前にいたロシア人女性が私に道を尋ねてきました。
I want to go to Omiya. Do you know which train I should take?
大宮に行きたいらしい。
京都をまる5年も離れていたのに、こう聞かれてすぐに地下鉄マップが頭にうかんで、地名もつぎつぎと出てきてスラスラとこたえている自分にプチおどろき。「新幹線をおりたら地下鉄の京都駅へ移動して、そこから七条、五条と乗って、四条駅で阪急線に乗り換えるの、そこは四条烏丸という駅で、そこから四条大宮へはひと駅だよ。」こう説明しても、「じゃあその最初の地下鉄の駅へはどういけばいい?」と聞いてくるので、いっしょに歩いて地下鉄まで案内をしました。
そんなことをしてたのであまりひとりで感慨にふける時間はなかったのだけど、まぁ人助け+自分の記憶のリフレッシュにもなってよかったかな。京都の地下鉄の駅名なんて、私の脳の奥のほうの桐だんすにしまわれていて長いこと取り出す機会がなかったから、笑。シカゴに住んでいるという彼女は英語もとても上手でした。
何はともあれ。
Long time no see, Kyoto! I missed you!!
駅の構内にもそこかしこに思い出が詰まっていて、歩いているだけで涙でそうになりました(大げさでなく本当に)。この構内を何度走ったことか。ここから何度旅立ったことか。ここで何度人を出迎えたり見送ったことか。京都って、若い頃の自分の何もかもを清濁合わせのんで包み込んでくれるような不思議な包容力があるのだよね。
駅前のタクシープールのところに立ててある手書き風の看板「左側実車 右側空車」が昔と変わってない。全~然、何の思い入れもない看板なのに、その看板におかえりと言われてる気がしてしまうんだから、なにで記憶のスイッチが入るかわからない。
京都の緑の市バス。市バスの番号、28番とかは思い出深いなぁ。この駅前のなんてことないつまらない風景が猛烈になつかしい。特にこの風景は京都駅が新しくなる前の古い京都駅を思い出させるようでとても懐かしくて、なんだかねぇ本当にもう、何をみても、どこを歩いても、それはみな「いつか毎日のように見ていた風景」なわけで。記憶のパズルがひとつひとつカチッカチッとはまっていくみたいで、とても不思議な感覚だった。
こんな売り場の風景でさえもなつかしい。ていうか、アメリカから来るとこの試食コーナーがとても珍しく見えて写真に撮るに値する風景なの。お漬け物がおいしくて、買わないのにさーっと味見。満足!
駅の構内。ここは走ってる思い出しかないなぁー。時間ギリギリガールでしたから。ここの奥左手にある立ち食いのお蕎麦屋さんみたいなところで売っているおにぎりがとてもおいしいんだよね。ちりめんじゃこの。まぁ、京都で買うちょっといいおにぎりはどこのでもおいしいけどね。ここは構内だから時間がないときにさっと買えて便利。
この日は夜に大阪で大学時代の友達に会うので、京都のホテルに荷物を置いてすぐに難波へ。
やっと西日本に来られたこと、待っている友達がいること、思い出のつまった懐かしの街を旅人として歩くこと。気分は高揚。天気もよくてお花見シーズンで、これからの数日間に胸は高鳴るのでした。