Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

咲さん

2006-06-28 00:00:00 | 日常
母方の祖母が他界しました。享年95歳でした。日曜~月曜にかけて、その祖母の街へ行っていました。

私の母は静岡の人で、祖母が住んでいたのも静岡。私の母と、大阪出身の父が出会ったのも静岡。だから静岡市は、私にとって心理的に近い街。いつも新幹線では素通りしてた静岡駅に、久しぶりに降りた。

静岡駅の近くに常盤公園という公園がある。
その近くで、経木の折箱屋さんを営んでいたのが私の祖父。「経木」といっても、今の時代では何のことか分からないかもしれないけど、紙のように薄い木製の包装器のこと。昔、食品やおにぎりを包むのに使われていました。祖父は、気難しい職人さんだったと思う。もうだいぶ前に亡くなったけど、工房に自由に出入りできた記憶もないし、「おじいちゃん=恐い」という公式が幼い頃の私には出来上がってた。その傍らで、「おばあちゃん」はいつも優しかった。

でも正直に言うと、私はおばあちゃんと一緒に暮らしたこともないし、おばあちゃんとの思い出を数えてみても、そんなに多くない。
静岡弁の「~してるだよ」「~だっけねぇ」「~だもんで」がすごくかわいくて、静岡弁のせいなのか、おばあちゃんがタクシーの運転手さんに「ここをまっつぐ行って」と言ったことがあって、それが可笑しくて家族の中であとあと笑い話になったっけ。そうだ、これ書いておこう。日下部咲さん(きれいな名前だと思う)は、80歳を過ぎてもスカートをはくひとでした。日なたで、ギーコギーコという藤製のイスに座ってたっけ。私の前で、階段をあがっていくおばあちゃんのスカートから見える白い足と分厚いショートソックスがかわいらしかった。

きっと、時間が経ったら忘れてしまうようなこと。常盤公園のこと、あの頃のおばあちゃんのこと、海の近くに引っ越したおばあちゃんのこと。少しだけ、ここに書いておきたいと思いました。

おやすみなさい、おばあちゃん。
苦しまずにすーっと亡くなったその表情は、すごくおだやかでした。
やっとおじいちゃんに会えるんだ。20年越しだね。