粕谷知世さん、『アマゾニア』

 何となく、真夏に読めて良かったかも。
 『アマゾニア』、粕谷知世を読みました。


 押し寄せる物語の波に、心地よい高揚へと幾度もいざなわれ、いつしか思いは彼女たちと共に、古き精霊たちがしろしめすアマゾンの世界を駆けめぐっていた。
 アマゾンの奥地の、見ることの叶わぬ神秘に包まれた古の情景の数々が、まざまざと語られていることの不思議。己の部族を守る精霊の深き眼差しや、護られながら精霊を崇め奉る人々の息吹までもが熱く伝わってきて、しみじみと胸を打たれた。

 神話が伝えるアマゾネス伝説のように、男嫌いを標榜する女人族が、かつてのアマゾン川流域には本当にいたの…?
 その女人族は“泉の部族”と名乗り、心優しいけれど気まぐれな守護精霊“森の娘”のもとに、特別な宴の時以外の男の立ち入りを一切拒否しながら暮らしていた。外部からの脅威も時にはあるものの、大弓部隊長・赤弓の活躍によってそのほとんどが退治られ、彼女たちには平和な日々が続くはずであったが…。
 冒険心と野望にあふれた荒削りで粗暴なスペインの男たちが、ずかずかと物語に踏み込んできたところで、『クロニカ ―太陽と死者の記録』での彼らの役割を思い出し、嫌だなぁ…と思い切り顔を顰めてしまった。でも、ここ熱帯の密林では、彼らの思い通りにはいかないのだ…! 

 女ばかりの集団の中には、赤弓のように男らしくてとても格好良い弓の名手もいれば、ますます女らしさ色っぽさに磨きのかかった小夜鳥のような女たちもいる。それは全く正反対のベクトルだが、男がいないという不自然な小社会の中、どちらもより強調されて現われるのかな…と思い、興味深く読んでいた。
 
 物語は思わぬ方へと展開し、だんだんスケールが大きくなっていく。今も昔も変わらない、人の営みに必ず付いてまわる美しいことと醜いこととを、双方余さず包む込もうとしながら物語は膨らんでいく。 
 あらゆる命を育むアマゾンの自然の中で、たゆむことなく繋げられてきた命の連鎖の意味を問い、そこで繰り返される人々の過ちや争いを歎き、ときにいがみ合いながら懲りることなく惹かれあう男と女の、滑稽なほどに愛おしい姿を描く。精霊“森の娘”にさえ、秘められてきた深き悲しみがあったことも…。
 そうして時は一巡し、再び“泉の部族”の宴が始まる。何もかもが変わってしまったように見えても、変えられないものがあることを示すように。

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