ミント神戸でお好み焼き♪ 「呑喜帆亭」

7月19日、土曜日。曇り。 
 昨夜もチャットで夜更かししてしまい、今朝は無理やり7時の起床。
 
 いつものように朝風呂(本読み付き)→毛づくろい。さて今日は何をしようか、どこへ行こうか…とお馴染のゆるい流れのところで、映画「ザ・マジックアワー」を観るのはどうですか?と提案。それに決まり♪という運びとなった。さっそく阪神電車で三宮へ…。
 はあ…。映画はとても面白くて、大変満足だったのですけれども…。今日はどうやら食べ過ぎちゃったみたいで、お腹がもたれ気味なので少々凹んでいますのよ。とほほ~(こんなことで凹むのはPMSの所為かも)。

 混雑したエレベーターでミント神戸9階まで上がり、無事にチケットを購入してからのお昼ご飯。混雑の理由はニョモだっけか?モニョだっけか?
 散々歩いたのに結局ミント神戸へと舞い戻って、7階のお好み焼きのお店にて頂くことにしました。 
 はいーそこはー、「呑喜帆亭」でっす。 

 のどが渇きましたので、お約束のビール。月並みですが、これで本当に生き返るの。
 お好み焼きを作っているところがよく見える位置に座っていたので、ついつい見入りました。
 でも私は今日は、焼きそばです。ちょっと前から焼きそばが食べてみたかったのですよ。そう言えば焼きそばって、昔はあまり好きではなかったなぁ…。

 ちょっと変わったのにしました。これは“スペイン風(サルサソース)”でっす。
 玉子が乗っかってくるとは思わなかったよ(これ、何個分?)。一目見てすぐに、やっぱり多めかな…と思いきや、だーさんに「それなら大丈夫じゃない?」みたいに言われて、「う、うーん…」。

 このソースがかかっていなければほぼ塩焼きそばなのだが、私はサルサソースが好きなので、これはこれでなかなか良い感じ♪


 だーさんが頼んだフランクフルト。これはイメージと違ったわー。


 そして、出来てくるのに時間のかかっただーさんのお好み焼きは、“Mix(豚+イカ)”です。
 こちらにも玉子が思いっ切り。
 少し味見を貰いましたら、ふわふわで美味しかったです。生地がしっかりしている、厚みのあるお好み焼きでした。
 これらを平らげた後は、お店をかえて時間をつぶし、「ザ・マジックアワー」を観終えたらもう夕方です。

 と、言う訳で…。
 ついつい早めのゆうげを、三宮の「千人代官」にてしたためました。
 美味しかったのは、鱧の湯引き。
 天ぷらもいいけれど、湯引きのざくっとくる歯ごたえは良いですわー。

 それと、小持ちヤリイカのたれ焼きかな。
 あとは、出し巻きと鯖の塩焼きなど。

 お昼をガッツリにしちゃったので、夜は断然控えるつもりだったのですが…。誘惑にはとても弱いのでした。ちゃんちゃん。
 それで凹んでりゃ世話ないね。

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栗田有起さん、『オテル モル』

 時々訪れるカフェにて、ラストまでたどり着く。ほんの少し、たった一粒くらい涙がこぼれそうだったけれど、本当にこぼれ落ちることはなかった。…良い読後感だ。 
 お店の細い階段をぎくしゃく降りて夕方の街を歩く。と、私一人だけ歩くスペースが歴然と遅いことに気付いて、この本を読んだばかりな所為かしら…と思った。 

 『オテル モル』、栗田有起を読みました。
  

 栗田さんの作品は3冊目。どこか温かな、しっかりとした強さが好きだ。ユーモラスな設定にくすっと笑えるけれど、ほんわかした雰囲気だけに済ませないところに好感が持てる。潔く切りあげる文体のリズムと、時折さしはさまれるオノマトペも楽しい。   

 主人公の本田希里は、ある二つの理由から、“夜、家にいられない”と思うようになり、どこまで行っても切りのない就職活動を繰り返した末に、風変りな求人広告に目をとめる。読めば読むほど心惹かれる求人広告に、さっそく駄目もとで履歴書を投函した。そうしてめでたく就職することになったのが、オテル・ド・モル・ドルモン・ビアンである。そこは、“悪夢は悪魔”の合言葉のもとに運営される、知る人ぞ知る会員制地下ホテルであった。 
 さらに物語を読み進むと、少しばかりいびつになった希里の家族関係や、彼女の過去が徐々に明らかになってくる。本人のキャラクターはそれほど強烈でもないのに、存外ワイルドな周辺である。

 面白いなぁと思うところが色々あったけれど、例えばこのオテルが地下13階の施設であることは興味深かった。そもそも、眠りに入りそこで夢を見るということは、人がその意識の深い場所へとまさに降りていくことには違いないから、意識の世界と現実のオテルの設定がぴたりと重ねられているわけだ。そうして、浅い意識から深い無意識へとどこまでも沈み込んでいくと、人と人との意識は繋がり合っていたりもするらしい。…だからこそ彼らも…(むにゃむにゃ)。

 そしてもう一つ。私は以前、夢を大切にして常にその意味を問い、夢について考え続けることで精神の健全さを守り続けた民族の話を読んだことがあるので(河合隼雄『明恵 夢を生きる』)、ちょっとそのことも思い出して頷けるところがあった。睡眠中の夢には、心の均衡を保とうとする働きがあったりするのだろうな…。たて続けに悪夢を見るのならば、それは何らかのSOSかも知れないし。
 と、あれこれつらつら思いめぐらしつつ、読み終えた。私は残念ながら夜型ではないが、このホテルのフロント係は是非とも務めてみたいものだ。孤独癖と気の長さならば、概ねクリアだと思う…。

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山尾悠子さん、「夢の棲む街」

 戻りたくないほどに、のめり込んで耽溺した。

 『山尾悠子作品集成』から、「夢の棲む街」を読みました。


 ここに描かれた世界観があまりにも好きで、あまりにも好きなので、まるで私の奥の方のいつもは堅く閉ざされた場所さえも、嬉々として開きつつ押し広げられていく…そんな感覚にすら、襲われた。すべての言葉をぐんぐん吸い込みたくて、あらゆる文章をぐんぐん吸い上げたくて、自分自身の内側が扉全開!になって、この作品群をむさぼり味わおうとする。半ば興奮状態で読んでいた。 
 全身全霊が真っ直ぐに、作品に向かっていくあの感じ。

 それにしても不思議な世界だ。のめり込んで耽溺…と言っておきながら、その懐の深さがどこにあるのか分かりづらい。何故ならば、作品の中の世界そのものには、むしろどことなく平面的で、奥行きと呼べるものが失われているような印象を受けるからである。
 何と言ったらいいだろう? 過去も今も未来までもが、一つの平面の上に描き込まれているような感じ。だからどの作品の中でも、時間というものが左程意味を持たない。何処までも伸び広がっていく一幅の絵の上を、物語たちは押し流されながら展開していく。隅々にまで至る緻密な描き込みは、美しく硬質な文体によってなされているのでただただ見惚れてしまうが、それらをまるで地図を見るように同時に眺めたとしても、この物語たちの本質が損なわれることはないように思う。  
 そして何よりも圧倒されるのは、忽然と現れるまやかしの遠近法だ。もともと奥行きを欠いた世界に遠近法を使ってくるとは、二重三重にも騙されているみたいで堪らない。ぞくぞくした。

 とりわけ好きだったのは、「夢の棲む街」や「ムーンゲイト」「遠近法」「シメールの領地」「ファンタジア領」…って、ほとんどだが。
 特に「ムーンゲイト」と「遠近法」は、ちらとも想像してみたことはおろか、夜中の悪夢でさえ見たこともない驚きにみちた幻想の世界だったのに、読んでいると何故かむしょうに「私が読みたかったのはこれだ…!」という気がしてきて、もうそれは確信に近くて、そんな自分に呆れつつ惑溺した。

 あ、「夢の棲む街」の章立てのタイトルを少し紹介。 
 1 〈夢喰い虫〉のバクが登場する、2 〈薔薇色の脚〉の逃走と帰還及びその変身、3 嗜眠症の侏儒はどんな夢を見るか、4 屋根裏部屋の天使の群に異変が起きること、5 街の噂・星の話…。 
 物語の舞台となる街は浅い漏斗型をしていて、その漏斗の底には劇場がある。最初に登場する〈夢喰い虫〉の仕事は、街の噂を収集しそれを街中に広めること。
 “腸詰宇宙(遠近法)”ってのも、凄いネーミングだ。

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W・H・ホジスン、『幽霊狩人カーナッキの事件簿』

 夕方からの雷がようよう鎮まりました。でも、これから雨が降るのでしょうか。空がうす茶色に焼けて、まるで悪い予感のように不穏です。  

 今日読み終えたこの一冊は、ホジスンの名前に釣られたのとほぼタイトル買い。
 『幽霊狩人カーナッキの事件簿』、W・H・ホジスンを読みました。


〔 あらゆる咆哮、絶叫、嗚咽、そういったものが名状しがたい混沌となっていますが、そのなかに一つだけ、あの途轍もなく大きい豚の声がつらぬくのです。すなわち、とんでもなく騒々しい、ぶるるるるっ、と、まるですべてを統べるかのように。わかっていただけますか? 〕 285頁
 
 豚の声がつらぬくって…。
 10篇、うちの幾つかの作品は殆ど怖くなく、幾つかの作品でははらはらせられたものの、全体的にあまり怖くは…なかったです。時々冗長なのも、なかなか怖くなれなかった理由かも知れません。 
 ふふふ、でも、カーナッキが存外凡人並のミスを犯したりする辺りとか、私はそういうところが、くすりと笑えて好きでした。もしや、鑑賞のしどころが間違っているかも知れませんが…。天才であるはずの主人公が、ちょっとした油断から凡ミスを犯して絶体絶命の危機に陥る…というのは、古き冒険譚の伝統的お約束でしょうか。   

 オカルトと科学を混合させた、ホラーのようなミステリのような。ミステリとして読むにも、尻すぼまりな謎解きでずっこけるものもありますし、ホラーとして読むにも、ぞくぞく出てくる数々の専門用語(?)“サアアアアア典儀”だとか“電気式五芒星”とか“サイイティイイ現象”とか…に、どこまで真に受けたものかと戸惑わされて、かえって怖くなくなってしまいました。そういう抜けているところがこのカーナッキシリーズの愛嬌なのかしら…。あ、やっぱり私は鑑賞のしどころが間違っている…みたい。  

 実は、自分がオカルトを題材にした小説があまり得意ではないことを失念していたのは、迂闊だった…と思ったのです。オカルトを扱った作品が押し並べて苦手という訳ではありませんが、その手のことを思い入れたっぷりに信じ込んでいる人の心理を読まされるのは、生理的なレベルで受けつけ難い…。 
 ところがどっこい蓋を開けてみれば、そんな心配からはほど遠い読み物でした。カーナッキから招きの声がかかるといそいそやってくる、ドジスンを含む四人の友人たちに、カーナッキが一晩に一つずつ自分の冒険武勇をとくとくと語って聴かせ、話が終わったらそこで解散。そして友人たちはまた各々の日常の中へ帰っていく、というスタイルも読みやすかったです。

 圧巻は、9話目の「異次元の豚」です。これ、どうしてよりによって豚なのかしら? …ぶう。
 えっと、“自分の魂を〈外空間〉の魔力から護るために本来そなえている霊的防壁に、罅(ひび)割れもしくは瑕といったものが生じたことによる症例”の患者を治療するために、カーナッキが〈魔の豚〉の絶大な力と死闘を繰り広げる…といった話です。
 きっとめくるめく映像になるだろうなぁ…と思われるファンタスティックな現象を、カーナッキがせっせと言葉で表現していくものだから、冗長になるのはもちろんのこと、読んでいても何が何やら…という内容ですが、案外そこが気に入りました。

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神戸の黒蕎麦♪ 「日精」

7月14日、月曜日。晴れ時々曇り。 
 今日はだーさんがお疲れ休みなので、休日のように出歩くことになりました。

 まずは車で買い出し等を済ませ、電車で三宮へと出かけました。三宮での用事は、だーさんのパスポート更新です。そちらを先に済ませてからのお昼ご飯となり、昨夜頂いたピザやらイカリングフライなんぞはとうに宇宙の藻屑と消え、お腹がペコペコリ!
 でも、だーさんの「今日は蕎麦…」の一言で、涼しげかつシンプルかつ完璧な(?)ざる蕎麦のヴィジョンに取り憑かれてしまったので、ひーふーと空腹に耐えて元町までの道のりを辿りましたとさ。
 
 だーさんが情報誌で見つけたお店で、中休みがあるかどうかがはっきりしなかったのですね。すでに14時半を回りそうな時間になっていたので、それだけが気がかりでますます胃が縮みそうでしたわん。
 でも、やっとこさお店に辿り着いたら、ちゃんと暖簾が出ていましたよ! おお、沙漠のオアシスに見えまする…。

 そこは、「日精」というお店でっす。
 オアシスで真っ先に頂きますのは、命のみなもと。言わずもがなでしょう。
 一瞬でのどをすべり落ちる、冷たき甘露。はう~ん♪

 昭和色濃厚な大衆食堂然としたお店のサイドメニューは、おでんのみ! シンプル!
 二人で一皿を仲良くつつきます。
 瓶ビールを追加して落ち着いたところで、ざる蕎麦を頼みました。だーさんが大盛り、私が並盛り。
 そう言えば私たちが着いた頃から、お店の人たちが順繰りに賄いの食事を取っていらっしゃるようでした。普通に、お店のテーブルで。何となくその様子を眺めているうちに、私たちのお蕎麦が運ばれてきました。

 なるほど、なかなか黒いお蕎麦です。そしてそのお味の方は…。
 美味しい~♪ 麺のこしがちゃんとあって、懐かしきお蕎麦らしいお蕎麦の風味がしますよ。

 ちと気取った有名店にありがちな上品で繊細なお蕎麦(それはそれでいいけれどー)とは、一線を画すしっかりとした味わいでした。

 駄菓子菓子、これで並盛りとはねぇ…。おつゆの方も、かなりたっぷり。
 お蕎麦の話でこんなこと言うのは無粋ですが、このざる蕎麦の大盛りがワンコインですよ。ちょっと凄いです。 
 ほんのり節系の香るお出汁も、蕎麦湯で最後まで頂きましたとも。ごちそうさまでした。るん♪

 くいくいっと呑んで、つるつるっと食べて、電車に揺られてうつらうつら帰るのである。いいじゃんいいじゃん、ノンシャラン♪

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貸本喫茶へ行ってみた。

 昨日からだーさんが宿泊付きの同窓会ゆえ、珍しく一人の土日を過ごす。昨日は静の一日だったので、今日は動の日にするべく作戦を練った。  
 本日の作戦とは…。 
 関西に越してきた当初から行ってみたかった、大阪は堀江にある「貸本喫茶 ちょうちょぼっこ」へお邪魔すること。再度の試みである。金曜の夜と土日しか営業してないので、そりゃあなかなか足が向けられない。そして以前(去年秋ごろ?)張り切って訪れてみたら、営業日のはずなのにお留守だったのだ…。  

 梅田で地下鉄に乗り換えて、四ツ橋駅から歩くことしばし。  
 その名も“鳥かごビルヂング”は、本当にその名にふさわしく、すこぶる小ぢんまりしたビルなので階段が急! 私は若干階段恐怖症なので、必死で4階までをよじ登った。
 でも、こんな入口が見えてきたらそれだけで和む~。明らかに営業中なので嬉しくて、わくわくしながらドアを押し開けた私。

 二人ずれのお客さんと入れ替わるようにして、窓に向かい合った席に落ち着く。飲みもののオーダーは、ついついビール。
 想像してた以上に鼻息の荒くなるお店だったよ…! ふがふがふが…! 岸田今日子を引っ張り出し、小堀安奴に金井美恵子…。

 隅っこに座ってもこんな眺めが。 

 座ったままで離れた位置の本棚を見まわしたら、倉橋由美子に久坂葉子に城夏子が集まった一角が見えたり、その少し下あたりに尾崎翠が棲んでいたり…! 胸に抱きしめたまま階段を転げ落ちて持ち去りたい本もあったけれど、そんな危険なことは思いつくだけにしておこう…。

 結局ビールだけで1時間半ほど居させてもらったが、読書そのものが捗る場所とははなはだ言い難かった。だってさあ、ちょっと横を向いたらこんな内容の本棚なのだもの。 
 「中原淳一 シャンソン詩歌集」にも目を通したし、エドワード・ゴーリーの絵本に宇野亜喜良さんの古い作品集(凄まじくエロかった)も堪能した。 
 そうそう、「おれがあいつであいつがおれで」の文庫本を見付けたときには、懐かしさで吹っ飛びそうだった。
 
 金井さんのエッセイ集『添寝の悪夢午睡の夢』を読んでいたら「兎」のことが出てきたので、目の前にあった作品集『兎』の表題作だけを一気読みした。 
 いや、何年ぶりに読んだろう…。やっぱり「兎」は凄くて、不気味にエロティックで暴力的でとんでもなく野蛮なのでガツンとやられた。…ガツン。それですっかりその場での気持ちが、飽和に達してしまった。

 呑み終えたグラスをカウンターに返してから、西岡兄妹のポストカードを何枚か選んで購入する。いっそ、全種類欲しいくらいだった。 
 シュールで猥雑なものならば何でも好きという訳でもないが、この作風は堪らなくツボである。つい最近、「兎とよばれた女」の表紙も気に行ったばかりだ(また“兎”よ!)。
 
 途中しばらくカップルが来ていたけれど、30分ほどで帰ってしまって後はずっと私一人だった。エアコンの効きが悪いのが辛かったものの、いつまでも居たくなる小部屋のようなお店に後ろ髪をひかれた。

 この後も日傘で果敢に移動をし、心斎橋の「COMES MART」にて『ミーナの行進』のマッチなどを物色するなど。
 間違えて淀橋駅で地下鉄を降りてしまい、またまた一駅分(しかも遠回り)歩いた。そして梅田でだーさんと落ち合って、「ニュー・トーキョー」にてがっつりな夕食。ああ…。充実して疲れた一日。

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佐藤哲也さん、『沢蟹まけると意志の力』

 いや、笑った笑った! いやはや、なんて面白いんだ!  
 キッチンで醤油を見るだけで、思い出し笑いをしてしまうではないか…! うはは。  

 『沢蟹まけると意志の力』、佐藤哲也を読みました。


〔 堅牢強固な意志の力によって今日もまた一日が始まろうとしていた。そこ、ちゃんと聞いてるか? 〕 48頁

 これでもかこれでもかと微に入り細を穿つ、“意志の力”考でござるよ。そこ、ちゃんと聞いてるか? 
 こほん。失礼しました。
 これ、結局何だったのだろう…。もしや、サラリーマンへの応援歌的小説(まさか)? でも、作者自身が以前はサラリーマンとして勤めた時期があり、いわゆる会社社会なる場に巣くう矛盾や欺瞞やあれやこれや…を、鋭く見抜きつつ失笑しつつ苦汁を舐めていらしたことは何となく伝わってきた。それで、“不真面目×不真面目×不真面目×不真面目×不真面目×……=大真面目”みたいな、そんな話だったような気がするけれど、どうでしょうねぇ…。

 人を喰ったような語り口がもうツボで、この作品を読む快楽は存分に享受した。ぐひ。
 今、手に入り難くなっていることに憤ってしまうほど、面白かった。怒涛のナンセンスに巻き込まれたよ!

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中島京子さん、『平成大家族』

 素敵に薫り高いミルクティを飲みつつ本を読んでいて、ページから目を離さずグラスを手繰り寄せ、その内側をのぞき込んでぽかんとした。あんまり綺麗で。…つまり好きなのです。カフェの真四角な氷とか、コップの中のグラデーションとか…。はい、そんな話はさて置き。  

 『平成大家族』、中島京子を読みました。
 

 よく笑い、よく楽しみ、よく読んだ。 
 実のところこのタイトルを見て、ちょいと顔をしかめていた。ファミリードラマみたいな話は、あまり得意ではない。て言うか、むしろかなり苦手なので…。 
 もしも、堅固な絆でがんじがらめな麗しい家族の物語を読む破目に陥っていたとしたら、私は早々に本を閉じていたかも知れない。今どきの家族なんて本当はてんでばらばらで、だからこそ滑稽で哀しくて、少しだけ愛おしいものなのではないか…。愛情を受け止めて投げ返す…そんな簡単そうなことが、案外上手くいかなかったりして、家族なんて煩わしいものである。 

 相手のことを思い遣っていない訳ではない。それなのに、ことごとく気遣いが的外れだったりする苦みと、面白さ。例えば、どんなに仲むつまじく寄り添っているように見える夫婦でも、その頭の中をこっそり窺おうものなら、案外お互いにあさっての方を向いているのだろう…と思う。そこから生じる頓珍漢な齟齬を噛みしめるのが、夫婦という可笑しな形を継続していく醍醐味なのではないか…とも、私は思いたい。
 そしてまた、家族がいることの煩わしさも、不自由に感じるもどかしさも、一人ぼっちでは味わえない人生の彩りである…と。

 当主龍太郎の言葉を借りれば、“次から次へと、出したものが帰って”きてしまった緋田家。より正確に言えば“出したもの”は、新たな家族と共に転がり込んできた訳である。つまり、出す前よりも数が多い。 
 膨れ上がった緋田家の面々は、当主の龍太郎に妻の春子、春子の母のタケ、長女の逸子、次女の友恵、長男の克郎、そして娘婿の聡介に孫のさとる。まさに大集合である。
 そうして大家族となった緋田家には、もともと潜在した古い問題に新たな問題が上乗せされ、新たな問題から引き起こされる二次的な問題も加わり…。離婚、倒産、破産、再就職、転校、いじめ、出産、引きこもり、認知症…と、どれをとっても珍しくもないありふれた事情ばかりではあるが、同じ時期に揃えて抱え込むにはいささかカラフル過ぎる事態であろうか。 

 各々の目線から語られていく大家族は、やっぱり擦れ違いだらけでほろ切ない。それでも温かい。
 私はなぜか、長男克郎の章などにほろりとしてしまった。我ながら自分が近いのは、むしろ我の強い逸子や友恵の立ち位置なのだろうなぁ…とは思うものの、克郎の家族との距離の取り方とか疎外感には、じんわり沁みてくるものがあった。
 まあ何しろ、
 よく笑い(『時をかける老婆』って、タイトルだけでも素晴らしくて笑える!)、よく楽しみ、よく読んだのである。

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大庭みな子、『王女の涙』

 文庫の表紙としてはこれは飛び抜けた美しさだ…と、しばし見惚れた。 
 まるで、女の裸足が今まさに、草木の上に踏み置かれんとしている須臾の間に、勝手に植物の蔓が巻き付いてしまったようにも見られる。はっとしてカバーのソデを確かめると、版画家柄澤齊さんの名前があった。  

 『王女の涙』、大庭みな子を読みました。
 

〔 女の美しいものも、醜いものも――それから、かぐわしいもの、むっといやな匂いの両方を〈王女の涙〉の花の香は持っていたのであろう。女はそういう香りを嗅ぎ分けられない。 〕 6頁

 さして目立つ華やかさのある花ではないのに、夜になると挑撥的な香りを撒き散らす〈王女の涙〉。主人公桂子の夫が、死の間際まで気にしていた花でもある。その、嫌悪感とない交ぜになったような執着の裏には、いったいどんな想いが秘められていたのか…。

 古めかしい門と、香りのある木が多く植わった立派な庭のある、昔ながらの屋敷に住む吉野親子。その敷地内にあるのは、小柄で老けこんだ吉野八郎と、妖しく狂おしげなかぎろいを漂わせた娘の笛子の暮らす古い日本風な家屋と、貸家にしている長屋三軒である。そして大井桂子は、その庭から流れてきた〈王女の涙〉の香りに導かれるようにして、その貸家の住人になることに…。それからその家で起こることの数々を、彼女は目の当たりにするのであった。 
 去り逝く死者たちは一人秘密を呑みこんだまま、詳らかにはされぬ謎を残していった。残された生者たちの思いは謎の周囲をぐるぐる回り、いつしか蔓のように死者たちの思い出のよすがに絡まっては離れ、いつしかまた絡まり合っている。

 大まかに言ってしまえばこの作品において、死者たちが残していった謎は二つあると思う。その一つは笛子が言うように、その吉田家の庭にて二人もの人間が、妙な死に方をしていることである。物語はこの謎と、その二人の死に深く関わりがあると思われる女性への、笛子の深い憎しみと復讐の念を中心にして、底の知れない渦を巻きながら結末へと押し流されていく。
 そしてもう一つの謎というのは、もっと密やかな謎である。主人公桂子の胸の内にだけわだかまった、亡き夫が残していったささやかな謎。それは誰にも明るみにはされないまま、だからこそこの作品の中において、“秘密”というもの本来の持つ力を帯び、物語全篇の底流となっている。

 長く故国を離れていた桂子の、今の日本に感じる相容れなさと空しさに近い思い。戦争から帰ってきて自分の妻から、「人の肉を食べたんじゃないかしら」と言われた吉野八郎の心の傷。大人の思惑に振り回されて、それでも抗おうとしていた少年明の痛ましさ。そして、夏生という女性は本当に、笛子のいうようにまるで毒婦の如き女だったのだろうか…という疑問。 
 焦点を変えれば更に思いの尽きない、味わい深い作品であった。〈王女の涙〉とは、サクラランのことであるらしい。

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お気に入り♪ 道頓堀の「今井」

7月5日、土曜日。あつあつの晴天! 
 今朝、蝉の声をきく。今年初聴きの、早起きクマゼミ。  

 午前中に車で所用を片付け、今日も電車でランチに出かけました。あ、途中でメガネ屋さんに寄ってテグス交換をしていたので、お昼ご飯にありつく時間がかなり遅くなりました。二人とも朝から何も食べていないので(いつもそうだけれど)、いい加減お腹が空いちゃって空いちゃって…。そしてのどが渇くうう…。 

 なんば駅から少し歩くだけでも汗が滲んでくる暑さでしたが、今日も道頓堀は相変わらずの人出でした。今日は二人とも大好きな「今井」に行くことに決めていたので、お店で頂くビールを楽しみに励みにしながら、空腹にもめげずにたどり着きましたとさ~。
 時間も2時頃になっていたので、流石に待ち時間なしです。席に腰を下ろすもそこそこに、だーさんが「ビールを二つください」。…まどろっこしくないのは結構なことです。

 砂漠の女(?)のごとく、じゅわっ…と水分を吸収。
 沁み込み沁み込むう…。

 だーさんが頼んだお約束の“出し巻玉子”です。繊細な巻きで上品なお味。  上品すぎるくらいかな。でも美味しかったです。

 一瞬でビールがなくなっただーさんは、冷酒に切り替えです。“生粋”というお酒でした。


 季節ものの鱧、さっそく天ぷらでいただきました。
 天つゆも美味ですよ。 

 私もお酒を切り替え、梅ワインです。


 さらにさらに、“鯛昆布〆”です。コリコリしていて美味しかったですー。


 私が選んだ、“アボカドと貝柱のわさび和え”です。
 これはもう、美味しくて当り前の組み合わせ…。 

 こうして一品料理で舌鼓をうった〆に、だーさんは毎度御馴染の“きつねうどん”です。


 そして私は…なんとなんと、今日は敢えてどんを頼まないでずばり“わらび餅”を!
 大好きなわらびもち~♪ ふにゃあ。
 しかし、お品書きに3個と書いてあったので安心していたら、1個が大きいですよ! 1個を一口ずつに箸で割ると、4口分ですわい。大好きだからせっせと頬張りましたけれど(だーさんに勧めても言下に断られた)。きなこたぷーりで大満足でした。
 所謂“すいーつ”なるものは得意でもないが、わらび餅は大好きである。ご馳走さまでした♪

 今日の帰路は二人とも、眠くて眠くてそりゃあ大変でした。ぐらぐら。

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