栗田有起さん、『オテル モル』

 時々訪れるカフェにて、ラストまでたどり着く。ほんの少し、たった一粒くらい涙がこぼれそうだったけれど、本当にこぼれ落ちることはなかった。…良い読後感だ。 
 お店の細い階段をぎくしゃく降りて夕方の街を歩く。と、私一人だけ歩くスペースが歴然と遅いことに気付いて、この本を読んだばかりな所為かしら…と思った。 

 『オテル モル』、栗田有起を読みました。
  

 栗田さんの作品は3冊目。どこか温かな、しっかりとした強さが好きだ。ユーモラスな設定にくすっと笑えるけれど、ほんわかした雰囲気だけに済ませないところに好感が持てる。潔く切りあげる文体のリズムと、時折さしはさまれるオノマトペも楽しい。   

 主人公の本田希里は、ある二つの理由から、“夜、家にいられない”と思うようになり、どこまで行っても切りのない就職活動を繰り返した末に、風変りな求人広告に目をとめる。読めば読むほど心惹かれる求人広告に、さっそく駄目もとで履歴書を投函した。そうしてめでたく就職することになったのが、オテル・ド・モル・ドルモン・ビアンである。そこは、“悪夢は悪魔”の合言葉のもとに運営される、知る人ぞ知る会員制地下ホテルであった。 
 さらに物語を読み進むと、少しばかりいびつになった希里の家族関係や、彼女の過去が徐々に明らかになってくる。本人のキャラクターはそれほど強烈でもないのに、存外ワイルドな周辺である。

 面白いなぁと思うところが色々あったけれど、例えばこのオテルが地下13階の施設であることは興味深かった。そもそも、眠りに入りそこで夢を見るということは、人がその意識の深い場所へとまさに降りていくことには違いないから、意識の世界と現実のオテルの設定がぴたりと重ねられているわけだ。そうして、浅い意識から深い無意識へとどこまでも沈み込んでいくと、人と人との意識は繋がり合っていたりもするらしい。…だからこそ彼らも…(むにゃむにゃ)。

 そしてもう一つ。私は以前、夢を大切にして常にその意味を問い、夢について考え続けることで精神の健全さを守り続けた民族の話を読んだことがあるので(河合隼雄『明恵 夢を生きる』)、ちょっとそのことも思い出して頷けるところがあった。睡眠中の夢には、心の均衡を保とうとする働きがあったりするのだろうな…。たて続けに悪夢を見るのならば、それは何らかのSOSかも知れないし。
 と、あれこれつらつら思いめぐらしつつ、読み終えた。私は残念ながら夜型ではないが、このホテルのフロント係は是非とも務めてみたいものだ。孤独癖と気の長さならば、概ねクリアだと思う…。

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