退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ゲームとポルノへの中毒あるいはオジサンのふむふむと確かな『批評』」について

2019-01-07 02:12:06 | Weblog
くもりときどき晴れ。日が暮れると風が冷たい。

フィリップ・ジンバルドー&ニキータ・クーロン「男子劣化社会」を読む。

ゲームへの中毒とポルノの見すぎで男子は「劣化」しているとのこと。
わかりやすいだけにいささか眉唾ではある。

ただし後者については案外説得力がありそう。
「子ども」のうちにポルノに「教育」されるから。

先日観たTV番組でAV男優のしみけんも言っていたのだけれど
「AV=ファンタジー」ということがわからないまま見られているのがマズイと。

それを「基本」とすると「リアルな存在」を「つまらないもの」だと判断することに。
お決まりの「めんどくせー」がここでも顔を出し。

「自分の好きにすることを最優先にすること」の結果。
「現実」を「つまらないもの」にしてしまう仕組みがここに。

もっと異なる「楽しいゲーム」を作り出すことは「大人」には可能なはず。
あるいは「ポルノの弊害」について語ることも含めて。

むしろ「好ましいセックス」をわからせる映像があればいいかも。
心ある者にはそれを是非と思うのみ。

その基本は「キャッチボールの出来るコミュニケ-ション」。
「対話が可能な相手」でありたいもの。

この点においては老若男女を問わないことも忘れずに。

マル激を観る。

今回は「平成の終わり」についてで自動的に「昭和の振り返り」にもなり。
オジサンたちの「ふむふむ」が横溢する。

自分もオジサンなので理解できるけれど若者たちはどう思うのかと。
敢えてそこを問題にしたいところ。

とりあえず「小さなことからコツコツと」という西川きよしが「正しい」らしい。
藻谷浩介の紹介をさらに参考にすべきか。

深夜「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春SP」の再放送を観る。

「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
菅原道真の太宰府天満宮周辺をブラブラと。

タモリが鶴瓶を「人間性を売っている」というのに笑う。
この「批評の確かさ」こそを「基準」としたいもの。

これで通じる相手ならお話しましょう。
コメント
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