退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『含羞』の人と『他人をダシにする』ゆえの悲劇」について

2019-01-17 02:42:30 | Weblog
晴れ。またあたたかく。

長谷川智恵子「鴨居玲 死を見つめる男」を読む。

著者は「日動画廊の副社長」で画家とお付き合いのあった人物。
作品についてはこちらまで。

かの画家は日本人離れしたルックスの持ち主で愛されるキャラクターだった模様。
母親や有名な下着デザイナーの姉、妻や友人たちに「依存」しつつ。

その一方で自殺未遂を繰り返す「厄介さ」も。
どうやらある種の「遊び」だったらしく最期は「事故死」かも。

本書に載っている作品の中では青い「教会」が印象的。
その他にも赤や緑や琥珀色が綺麗。

ただ「死を見つめる男」というタイトルは微妙。
デッサンに励んだ事実からすると「自らの才能」を常に疑問視していた可能性もあり。

自らの意識の中では「眼高手低」だったやもしれず。
「行き詰まり」ゆえの海外を含む何度もの引っ越しに「モチーフの欠如」も伺えて。

思い出すのは作家の開高健。
「特定の才能ゆえの苦悩」と「躁鬱」が似ているような。

いずれも「素敵な人」だったことだけは確か。
彼らの「含羞」を今こそ思い出したいものではある。

それとは別に。

稀勢の里が引退を発表する。

ここでも意識とは異なり身体が付いて行かなかった模様。
敢えて「ありがとう」というファンたちとは違うことを言いたくて。

相当なケガを負った後で無理に出場しては休場の繰り返しの裏には。
「久方ぶりの日本人横綱」などという「物語」を背負ったせいがありそうで。

単に「不運な人」なのだろうか。
おそらく違うはず。

彼をそんなところに追い込んだのはわれわれの「島国根性」ではないのか。
「異常な連投を当然とする甲子園球児たちの悲劇」を思い出す次第。

「他人をダシにする」のもほどほどにしないとどうにも。
娘を「支配する」母親の嫌らしさにも似て。

「自分を生きられないこと」を他人に託すのもほどほどにしないと。
「本当の『自己責任』」はおそらくそこにあるはず。
コメント
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