退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「群れの賢さと愚かさあるいは世界を知っていることの有無による賢さと愚かさ」について

2019-01-25 01:58:36 | Weblog
晴れ。冷たい風が強く吹く。

ピーター・ミラー「群れのルール」を読む。

個としての動きがあまり賢いものではないとしても
集団としての結果が賢いものであること(アリやミツバチやシロアリや鳥)。

その一方で集団としての動きがカスケードになって
途方もなく愚かな行動になってしまうことも(バッタや人)。

ますます複雑化する世界にアリの知恵を利用しようという試みにふむふむ。
電力供給や飛行テストのあり方などに。

フェロモンの濃さが「エサまでの最短距離」を確定するのが面白い。
人体におけるさまざまな化学反応によるコミュニケーションを思い出して。

「未来への計画」のないまま「現実に対応すること」も案外有効だったり。
シロアリの「複雑な構造を持つ塚」がその一例。

本書は8年余り前の作品なのでその後どうなったのかが楽しみ。
最近の作品を読んでみないと。

それとは別に。

深夜大坂なおみvsプリシュコバの試合を観る。

第3セット第2ゲームを確認したかっただけ。
ファーストサービスが入らない中でプリシュコバのミスが続いたのがポイント。

ただし山は第8ゲームにもあったことを確認。
むしろそちらが本当の「山場」だった。

あと一本エースが出ていればおそらくはプリシュコバの勝ちになった趣き。
一度断ち切られた流れは元に戻ることはなく。

ただこれだけミスをしながら勝てるというのは「出来の差」も感じさせて。
カメラが追い切れないほどのスイングの速さよ。

その一方で「タフな試合」を続けて結局「自滅」してしまう錦織。
「世界のトップ」までの「壁」をあらためて感じることに。

ランキングが下である相手をいかに簡単に負かすか。
「トップであるための条件」はいまだ彼には備わっていない模様。

「トップクラスであること」と「トップであること」の差は思ったより大きい。
「あと一歩」に見える距離が相当ある事実が浮き彫りに。

それにしても。

スポーツにおけるわが国の個人の素晴らしさとは対照的な官僚や企業のお粗末さよ。
「世界を知らないこと」がかくも大きな差を生むことを覚えておきたいもの。
コメント
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