いつも読ませていただいているブログに井上陽水さんの「傘がない」という歌のことが書かれていた。
その歌の中の場面は、恋人に会いに行かなくちゃならないが、外は雨が降っていて傘がなくて困っているというもので「行かなくちゃ 君に会いに行かなくちゃ・・・」というサビの部分があり、ここは私も昔何度も聴いたことのある歌だと思いだしたのだった。
あの昭和時代のフォークソングって、「神田川」とか、何とも言えず寂しい余韻のある世界を引っ張っているのが多いなあと思う。NSPの「夕暮れ時はさみしそう、とっても一人じゃいられない。こんな変わらぬ夕暮れ時に呼び出したりしてごめんごめん・・・」とか、色々思い出す。
私が短大のとき、田舎から上京して4畳半アパートで一人暮らしをしていたときには、本当に最低限の荷物をダンボールで送って、あとはカラーボックスを買い、本などを入れていた。
風呂なし、トイレ共同で、銭湯に行っていたし、もちろん電話もなかった。
今の学生はバイトをするのが普通だが、その当時はコンビニもなかったし、居酒屋チェーン店やファミレスなども今ほどなかったと思う。(1970年代の終わりのこと)
短大は月~金の朝から夕方までと土曜の午前はみっちり授業を受けていたので、とても日常的にバイトをすることなど考えられず、夏休みや冬休みだけ帰省してバイトをしていた。
だから、親から仕送りしてもらうお金だけでやりくりしていた。
急に高校時代の同級生が泊まりにきたことがあるが、カビの生え始めた食パンだけしかなかったこともあった。
そうして、そういえば傘の話なのだが、私は1本折り畳みでないジャンプ傘を持っていたと思う。
あれは長いので実家から下宿先に送ったとは思えないから、雨が降ったときに実家からさして持って行ったのだろう。
引越し荷物として送ったとしたら、折り畳み傘があったかな?と思い出すと、おそらく高校のときには紺色の通学用のものを持っていたと思うので、それを下宿先にも持って行ったかもしれない。
そして、そういえば、アパートから徒歩5分くらいの私鉄の駅のすぐ近くに傘専門店があり、そこで初めて自分で折り畳み傘を買ったことを思い出した。
その傘は地が紺色で、開くと周囲が白地に細かい花模様のあるデザインだった。今思うと結構地味だけど、高校時代まで着るもの身に着けるものすべて紺色の世界だったので、紺色から脱皮できない人間だったのだ。
もう40年も前になるけど、あの折り畳み傘のことは覚えている。あれ、捨てたんだったかな?
昔はビニール傘などはなく、安めのその傘でも1650円くらいはしていたと思う。
ジャンプ傘は紺地に赤とベージュとグレーの幾何学模様みたいなので、実家の母が気に入ったといって私が高校生のときに私のために買ってきてくれたのだけど、あれはもう捨ててしまった。
母が気に入って買ったものだということで、私も長い間大切にしていたのだが、さすがに古くなってささなくなったから処分したんだと思う。
・・・
昔は友だちと会う約束をしたら、ケイタイも無かったので、とにかく待ち合わせ場所で待つしかなく、1時間くらいは待ったり待たされたりしたことがあるが、この人生の中で、連絡なしでそのまま会えなかったことは一度もない。
この歌、自殺のニュースよりもデートの傘がないことを優先する自分を皮肉っているようにも聞こえます。
この世代の方は真面目だったのかも。私らの世代はニュースにも約束にもここまで真剣では無かった気がしました。(^^;)
フォークソングの中に社会問題の歌詞が入っていること自体、すごい真面目ですよね。
このちょっと前には学生運動なんかも盛んで、毎日戦っていたなんて、今では考えられない行動だなと思います。
ビニール傘って東京オリンピックのときに出現したそうですが、一般には出回っていなかったですよね。いつくらいから普通に売るようになったのかな?普通のジャンプ傘でも500円で買えるから今は家が傘だらけになってしまいますね。