山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

遺体とも対面できない不条理

2021-02-23 21:17:24 | 日記2021

新型コロナの感染者は、日々少しずつ減ってはきているが、まだまだ収束するには長い道のりがありそうだ。

そんな中で、残念ながら闘病の甲斐なく、亡くなってしまう人がいる。
そして、その場合は、身内の人でさえ御遺体に対面することもできず、荼毘に付されたお骨を受け取るしかないとのことである。

志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなったころは、新型コロナはサーズのように恐ろしい病気なので、これも仕方がないことだろうと思っていた。

しかし、この頃は、ほんとうにそこまでする必要があるのだろうかと疑問を感じている。

というのは、家族の中に陽性者が出ても、入院もできずに自宅療養などして家族と同居している人も多いという状況で、その患者の容態が重いか軽いかの違いはあるにしても、ウイルスを持っていることに違いの無い人の扱いが、どうしてこうも違うのだろう。

しかも、軽い人は10日もすれば、症状が残っていたとしても人には感染させないことが分かったなどと言い、PCRの再検査もしないで退院できるようになったというではないか。

コロナの闘病を続け、容態が悪化していってしまう人は、コロナの感染自体よりも、それによって身体の機能が破壊されてしまうからだとも聞く。
だから、最後まで新型コロナウイルスが身体に蔓延しているのかどうか定かではない。まして、亡くなった人の体内でウイルスが生き続けるわけではなかろう。亡くなった人は呼吸もしていないのだから、飛沫などが出るわけでもない。

密閉すれば、そこから感染することは防げるはずではないだろうか。入院したまま会うこともできずに、御遺体にも対面できないで、いきなり骨になって戻ってくると、家族は「曖昧な喪失」というものになって、いつまでも心の整理ができないそうである。

・・・

先日、私は変な風邪をひいてしまい、喉の痛み、鼻詰まりによる嗅覚・味覚の喪失、咳・痰などの症状に襲われた。幸い熱がなかったため、新形コロナの可能性は低かったわけだが、一応新型コロナ感染相談に電話をしてみたところ、まずはかかりつけ医に診断してもらって、そこからPCR検査をするかどうかを判断するということであった。

だが、普通の内科などは、糖尿病患者や高血圧患者などを扱っているために、感染症を疑う患者などは極力診察したくないわけであり、できうるかぎりは自宅で様子を見て、軽く治ってしまえば普通の風邪でしたということで事なきを得るという流れにしたいようなのだ。

これって、順番が違うのでは?まずは、少しでも症状のある人が、いきなりPCR検査を受けられるようにしてもらいたいのだ。

それなのに、まずは自宅で様子を見るようにと言い、自宅に高血圧や糖尿病の高齢者がいるので心配だと言っても、なるべく接しないように暮らしてくださいとのことである。

トイレも洗面所も台所も同じなのに、どうやって隔離することなんかできるのだろうか?
しかも、もし私がコロナだったとしても、夫は料理ができないから、コロナの私が作った料理を食べることになるわけである。

そんな風に、生きている人間同士は隔離も何もあったもんじゃない。
陽性かどうかの検査もできないまま、外出は避けるようにと言っても、食料も無ければ自分で買い物に行かなければならない。だから、必要に迫られて外にも出かけていくのだ。

現に、知り合いの若者でも新型コロナのような症状だったのに、検査が受けられないまま自力で治ったという人もいるのである。

そんな風に、感染の可能性が高い人とはいくらでも接触できてしまうし、接触しなければ暮らせないような状況を平気で作っていて、陽性が判明しても自宅で同居しているのに、いざ入院して亡くなった人に対しては、御遺体の顔を拝むこともできないなんて、絶対に道理が合わないと思う。

家族に防護服を着せるとか、ガラス越しとか、なんとか生前も死後も御対面できる方法を考えるべきではないかと思う。