山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

河津桜か・・・

2011-03-07 22:49:55 | 日記
河津桜

今、濃いピンクの寒桜、河津桜が話題になっている季節である。
河津桜はすでに満開となり、桜祭りももうすぐ終わるそうだ。
伊豆出身の私、“河津”という地名は縁のないものではない。
しかし、河津桜は見たことがない。

私の故郷は、河津よりも北にある。
故郷よりも南の方向には滅多に行かないのだ。
しかも、30年近く前に父が亡くなってからは、車を運転する人がいないので、全く出かけることがなくなった。

小さい時は、河津には何度か行ったことがある。
河津は、父が育った場所だからだ。
父は、養子のような形で河津の親戚の家で育ったが、父がその家で暮らし始めたのはもう小学生になってからだったそうだ。
それで、その家では、実の子がなかったから、さらに赤ん坊の男の子を養子に迎えた。
大きな子より、物心つかない赤ちゃんのほうがよかったのだろう。
それで、その子が後継ぎになったので、父は要らなくなり、実家に戻ったようだ。

だからといって、父が河津の親戚の家で何か辛い思いをしたわけではなく、普通に成長したようだ。
子どもの頃は、河津の川で泳いで遊んだりしたらしい。
河津桜の観光写真などを見ると、そこに写っている川がそれなのかな?などと思う。
私が子どものころ、家族で出かけて行くと、その親戚の家では、
あがらっしぇ~、たべらっしぇ~、みたいなことばで、温かくもてなしてくれた。
だが、やっぱり父にとっては、実の家が自分の家族だったようだ。
だから、私にとってのおじいちゃん、おばあちゃんは、その家の人ではなく、父の実の父母だった。
そっちには毎年でかけていった。

だが、母に言わせると、父は父自身の家族にとても気を使う人だった。
父は育った親戚にも気を使い、実家の親兄弟にも気を使う。環境によってそういう人格が形成されたのだろう。

母の話によると、父は真夏の風呂上がりなどにも、パンツ一丁でくつろいでいることがなく、すぐにちゃんとパジャマなどを着てしまう人間なのだった。
たしかに、思いおこしてみるとそのようだ。
それも、親類の家で生活していたからだろう。

河津桜の話が、全然関係ない話になってしまったが、
昔から河津桜があったかどうかはわからない。
少なくとも、私が伊豆に住んでいたころは、河津桜が話題になったり、見物にでかけようなどということは1度もなかったようだ。

ただ、濃いピンクの桜並木は、私の故郷の町にも昔からあり、それは、かなり早い時期から咲いていたと記憶している。
それは、河津桜だと聞いたことはないので、ただの緋寒桜かもしれない。

伊豆が故郷とはいえ、「特急踊り子」にも乗ったことがないし、伊豆の旅館にもほとんど泊まったことがない。
温泉は一時、何年間か実家で引いていたが、温泉井戸の修復工事で1ヵ月くらい止まってしまい、
あまりにも不便なので、普通の温水器に変えてしまった。
温泉はとてもよく温まるが、塩分を含んでいるので、蛇口が錆びるし、石鹸が泡立たないなど、いろいろ欠点もあった。それに、使い放題とはいえ月額料金も1万円近くした。

観光地伊豆。
故郷ながら、遠い存在。

でも、河津桜、一度見てみたいものだ。