山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

無題

2010-06-25 22:13:33 | 日記
自分が好きなことはなんなのだろうか?

仕事は好きだからやっているってもんじゃない。
お金をもらうためにやっているのだ。
だから、わりきってやるべき最低限のことをすればいいのだ。

でも、なんか、そういう働き方ができない性分だから、
何事も、好きになって、より一層興味を持つように自分を仕向けてきた。

でも、それって、ちょっと違うと思うことがある。

本当に好きじゃないんだってことが、ある日わかったりする。

以前のことでいえば、
私は日本語が好きだから日本語を教える仕事をしていたのだけど、
私は語学が大の苦手で、自分自身が外国語を覚えることができないのだ。
日本語を教えるときは、直接法という方法で、日本語だけを使って教えるので、授業で外国語を使うことはなかった。
でも、やっぱり、外国語をマスターできない日本語教師が、外国人に日本語を教えるのはおかしいと強く感じるようになった。

そういうことを思うと、
今の仕事も決して自分に向いているとは言えないんじゃないか?と思う。

また、喩え話になるけど、
ある人の目が大好きで、憧れていたとする。
でも、目以外のパーツは自分の好みではなく、性格も合わなかったりする。
どうして、「目」だけが素敵だからって、その人を好きになったんだろう・・・。

あるとき、別の部分に関して、「ついていけないなあ」と気がつく。
好きだと思っていたのは、ごく一部分だったんだと気がつくのだ。

だからといって、他に好きなことがあるのかというと、
何も好きじゃない。

自分は何が好きなんだか、何がしたいんだか、
わからないわけだ。

まだ、他にカードがあるって思っているから、人はなんとなく希望を持って生きている。
今の仕事がダメになったら、宅建やればいいとか思ったりする。

ある人は、車が好きだからクルマの仕事がいいなと思っていたのかもしれない。
でも、やってみたら、どうも、そうではなかったなんてことがあるかもしれない。
クルマの世界で生きて行こうと思っていたのに、それが水の泡のように消える。
自分が一番向いていると思っていたものに裏切られたとき、
人は喪失感でいっぱいになるだろう。
しかし、裏切ったのは会社でもないし、他人でもない。
自分自身が勘違いしていただけ。
自分自身が至らなかっただけのことなんだ。

人は絶望したり希望を持ったりするけれど、
実態は何も変わっていないことが多い。
自分が自分に期待できれば、自分はすばらしいものになるし、
自分が自分を見限ればそれでおしまいだ。

だから、結局結論は
何事も「気の持ちよう」ってことなんだ。
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べんきょう

2010-06-25 21:42:57 | 放送大学
明日、放送大学の面接授業です。
朝から夕方まで2日間。
ああ、疲れるなあ・・・。
なんでまた、こんなときに、こんなものを申し込んであるのか・・・。
とはいっても、自分で申し込んだんだからね。

ここからは、喩え話になりますが、
ラーメン屋が、毎日自分の店のラーメンを食べているのですが、仕事の休みの日に別の店のラーメンを食べにいくようなもの。
うんざり~。
でも、自分が作ってるラーメンは、塩ラーメンだから、味噌ラーメンや醤油ラーメンのことを研究する必要があるかもしれない。
あるいは、ラーメンの歴史とか、ラーメンが及ぼす経済的効果とか、そういうものをけんきゅうするのが、ラーメン屋の務め?????
ラーメンのみならず、メン類一般のこととかも知る必要がある????

なんか、興味ないんですけど・・・
でも、受けたら興味が出るかもしれず、
新発見があるかもしれず、
他の人の情報では、とても「おいしい」とか?「栄養がある」とか?

とりあえず、お金もったいないから、受けにいこう。
授業中寝ないように、今日は早く寝よう。
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身体が重い。。。

2010-06-25 21:24:20 | 日記
最近、なんとなく不調。
なんでだ?と思っていた。
今日も帰宅して、夫が買ってきたケーキを食べると、
身体がず~んと重くなり、床の上に寝そべってしまった。
お腹もいっぱいだし、眠いし、カラダはだるいし、
そのまま8時過ぎまでごろごろしていて、
夕飯は、茄子のはさみ揚げにしようと思っていたのをやめ、
もうオムライスでよしにしてしまった。

おかしいなあ、病気とかじゃないのになあ・・・

ふと、思いついたこと。
これって、冷房病じゃないのか?

そういえば、何か元気がなくなってきたのは、
ちょうど会社の冷房がかかってきた時期と一致するようだ。

私は冷え症じゃないから、他の女性社員のようにカーディガンを羽織ったり、
ひざかけを掛けたりしようとは思わないのだが、
結構冷房効いてるなと思うことが多い。
でも、会社の中にいるときは別に苦痛は感じない。

しかし、帰宅すると身体がだるいのだ。
つまり、冷房から出るとだるくなるのだろう。

ベランダのゴーヤの根元に横たわりたくなるが、
敷物がないのでできないから、
かろうじてしゃがんでいる。

原因は必ずしも冷房のせいとは限らないけど、
涼しさに慣れちゃうと、そのギャップに適応できなくなりそうである。
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疲れ

2010-06-25 00:42:24 | 運転・車・道路の事
今日の高速教習は疲れた。
いや、運転自体疲れたという気はしなかったのだが、帰宅したとたんに疲労を感じ、そのままバタンと倒れて眠ってしまった。
昨夜寝たのが遅く、朝が早かったということもあるのだが、やっぱり慣れない高速を走ったのが、心身に負担を起こしていたのだろう。
ただ、以前の高速教習のときに、先生が「今日は疲れてぐっすり眠れますよ」と言っていたのを思い出し、そのときは「いいえ、教習の後はいつも興奮してしまって眠れなくなってしまうんです」と答えたのを思い出した。
そうだった。そのころはそうだったのだ。それは、教習の後までしばらく緊張が続いていたので、疲労が現れるどころではなかったということだろう。
しかし、最近は教習が終わった途端に緊張が解かれるので、疲労の現れが早くなったようだ。つまり、疲れを感じることができるくらい、リラックスしてるってことらしい。
そんなわけで、今日は午前中に教習を終えて、午後は夕方まで昼寝をしていて、途中目がさめても起き上がることができなかった。

教習生はよく疲れないなあと思ったのだが、そういえば、高速教習は普通2人か3人でやるらしいので、行きも帰りも運転しっぱなしということはないようだ。それにしても、普通の路上教習を2時間単位(実質1時間40分)でやっている学校が多いらしいが、よく集中力が続くなあと思う。教習生若いからかな。

今日は、せっかく有給休暇をとったので、普段できない銀行関係の手続きなどをするつもりだったのだが、結局何もしないで終わった。まあいいか。明日の昼休みに行くことにしよう。

話は前後するが、今日の自動車学校は、車で走っていってみつけた学校だった。教習には、そこに電車で行くことになり、改めて電車の駅と道路の位置関係を認識できた。
ある路線の電車で行くと一旦遠くまで行って戻るような遠まわりになりかなりの時間のロスとなる。別の電車の路線を使うとその半分くらいの時間で済む。そこで、帰りは半分くらいの時間で済む経路を使ってみたのだが、行きと帰りを違う経路にしたため、最初の駅の自転車置き場まで戻るのに無駄な時間を要してしまった。本来なら自転車で行けるところをバスで移動したため、バスが来るのを待ち、やっと乗ったと思ったら、幹線道路をはずれて旧道のようなところをゆっくり走り、かなり時間がかかってしまった。これならば遠回りでも最初の経路を帰ったほうが早かった。クルマで道路を走っていくなら、電車のように遠回りにはならないから早いかもしれない。しかしタクシーではかなり高い。電車は乗りなれない路線だったので、特急・準急・急行・快速・各駅停車などいろんなのが走っていてわけがわからず、鈍行に乗ったらあまりにも停車駅が多すぎた。途中で通勤快速に乗り換え、また鈍行に乗り換えて下車し、降りたら開かずの踏切を渡るはめになり、無駄な時間を要してしまった。

疲れは、運転が原因ではなく、慣れない路線の電車に乗ったということもありそうだ。
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