山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

とりあえず

2006-11-11 23:34:22 | 未分類過去
とりあえずコマーシャルの間に、数日前の天気のよい日に撮った写真をのせておきましたが、
6時からずっと、テレビ「秋の教育スペシャル!たけしの教育白書楽しくマジメに生放送」を見ていたので、ブログを書く暇がありませんでした。
今、追加記入しています。
このテレビ番組はあまりにも長いので途中うつらうつらと寝てしまい、起きたらまだやっていたので続きを見ました。

印象に残ったのは、最後のほうに出演した久米宏さんの言葉でした。
それを私流に解釈すると、
テレビ番組というのは多くの国民が好んで見るように作られるものだから、国民の好みや心持・レベルなどをそのまま反映するものであり、番組だけが高い位置にあるということはあり得ない。テレビの放送はその国民そのものを表していることになる。
政治家も国民の中から選ばれて出てくるから同様であり、学校教育もそうである。国民の実態から離れて、すばらしい政治家が出現したり、すばらしい学校が存在するはずはない。
最近の子供が携帯などを持ち歩き、その操作に終始したり、そこから様々な情報を得たりすることは、石原都知事がいうように憂慮することかもしれないが、だからと言って昔に逆戻りするということはあり得ない。昔の良さを再現するとか、現代の状況を否定するばかりではなく、子供が複雑な機械操作することができることを高く評価するという視点をもつことも必要ではないのか。
テレビは悪影響を与えることもあるが、無いよりは、あったほうがより良いと思えるし、テレビによって情報が得られることはいいことである。
ただ、テレビニュースで残虐な事件や自殺などを報道すると、それに影響される若者や視聴者が発生してしまう。事実を伝えるのがニュースの役目だがその問題点は避けられない。

ちょっと支離滅裂なまとめ方で申し訳ないですが、
久米さんは、かつてテレビ番組を作る側にいて、日本社会の変化を肌で感じ、またテレビの功罪について誰よりも深く考えてきた人であり、だからこそ、近年は現場を離れ、より客観的に様々な状況を見つめ、分析されているように感じました。

そのほかの出演者もそれぞれいろんな分析や興味深い話をしていました。

今ここで、「日本の教育をどうにかしなくちゃいけない」=「日本社会をどうにかしなくちゃいけない」という動きが出ていることは確かなのだから、嘆いているばかりではなく、それに向って方向修正をしていくよう努力するしかないのではないでしょうか。




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