日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

季節は春……もう少しですが?

2012年03月25日 | Weblog


 なかなか「春いちばん」が吹かないですね。どこへ寄り道をしているやら…。いまだに、春は遠し、の感があります。
 今週はすでに「お彼岸」もすぎたというのに、まだ春遠し…です。

 さて、今週はあいも変わらず残業の多い一週間でありました。朝もはやくからでかけては、夜遅く帰宅の毎日です。それでも、かぜも引かず働けたことはうれしいことです。
 職場ではインフルエンザにかかり、久しぶりに職場にかえってきた人もいました。無理が続き、体力を失い、ここぞとばかり、インフルエンザウィルスが症状をおもくしたのでしょう。無事、職場にきた人の顔を見るとなんとも頼もしい感じがした日でもありました。

 しかし、ますます忙しくなる職場環境には相変わらず変りばえのしないものです。これでは桜の開花などみないうちに花見が終わってしまうような気がしました。
 世間では第84回選抜高校野球が始まっていたんですね。そのなかで、21世紀枠で出場した宮城県石巻工高の阿部翔人君の選手宣誓が印象的でした。

「日本が一つになりその苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ日本中に届けます。感動、勇気を。見せましょう。日本の底力、絆を」と。
 まさに、今の日本人の一人ひとりに問う言葉だと思います。とくに、政治家の人たちには思います。
そう感動も誰にも語らず、語れない職場…っていうのは、ちょっと異常なのかもしれません。感動は伝えたいし、伝えてもらいたいものですから…。
 まあ、愚痴ばかりいっても始まらず、とりあえず一週間が終わりホッとしています。

 週末、新聞に「大飯原発の再稼動へ」という記事が出ていました。とうとう、野田政権が本性をあらわにしてきたかと思いました。
 ほんと、このままではなしくずしになってくのではないかと思います。

 今月、いつも使っていたデジカメが壊れていましました。もう、限界かな…と思っています。ですから、ブログの写真は今まで撮っておいたものを蔵出しといった具合で出しています。
 今日はチューリップを出してみました。
 昨年、駅前のバス乗り場の近くで咲いていました。散歩の途中でこんなにいっぱいの花が咲いていると、自然の力、豊かさを思い知らせれます。
 散歩をする多摩川の土手では、ひばりが上空でさえずり、足元では小さな花が咲き始めています。
 3月も終わりですね……。
 さて、どんな思い出が残ったでしょうか。




    

♪今月読んだ本…3月編。
 今月は、少しずつですが通勤にもなれてきました。そして、人間とは偉大だものです。毎日3回の乗り継ぎの習慣で、自分が乗り場所、立つ場所で最良のところを探し出すものです。その中から、通勤読書がより快適にできる時間、場所を確保しようとしています。そんなことから、1時間30分のなかで、できるだけ快適な電車通勤を知らず知らずのうちにできているのだな思います。
 
 さて月末は「今月の読書」の紹介をしていきたいと思います。そんなわけで今月はけっこう長編を読んでいた月でもありました。

◎時代が締め出すこころ(精神科外来からみえること)/青木省三/岩波書店
【内容】

働いて、一生懸命に仕事をがんばって気が付いたらうつ病になってしまった…それでも、治療もせず気がつけば「過労死」という記事が最近多くみることがある。それも年々多くなってきたように思う。それでも、病院のいって、精神疾患として治療をする必要性がある、といわれた方がよい、と診断されて仕事をから離れて治療をする…としほうがよかった場合もある。最悪なのは、それを自分で解決できずいる気持ちだ。さらにはまわりの目を気にしすぎるあまりがまんしてしまう傾向。 
そんな時代のなかででてくる精神疾患という事実はなぜ理解されずに追い込んでしまうのかということに警鐘を鳴らす1冊です。

■皆と同じように働かねばならない。働かなければ、生きている価値はない。と多くの患者さんと家族が考えている。それが仕事への焦りとなり、患者さんを含め、再出発の契機となることさえある。患者さんが働くことは重要である。それにはまったく異論がない。また働くこと、人の役にたつことが、ささややなものであったとしても、その人を支えていることは少なくない。しかし、働かなければいけないという気持ちは諸刃の剣である。頑張ろうと何度も挫折する患者さんを見ていると、人生という戦場での「名誉の負傷」として、誇りを保ちながら、引退できればと思うことがある。少なくとも、働くことが何よりも大切という価値観ならば一歩距離をおいていきたい。(p144)
*……*………*………*……*……*……*
青木 省三
1952年広島市生まれ。岡山大学医学部卒。岡山大学医学部神経精神医学教室助教授を経て、川崎医科大学精神科学教室主任教授。臨床精神医学、特に精神療法、思春期青年期精神医学を専門としている
*……*………*………*……*……*……*
【感想】
 私も55歳を超えて、昔の同級生のことがときどき気になりクラスメートだった人に電話などするときがある。「M君は元気か……」とい問いに「亡くなったよ…」などという返事があると、ふと自分の「人生はこれからどうなっていくんだろうと」思うことがある。

 まして、すでに働き盛りは過ぎて、あとはいかにこれまでやってきた仕事をうまくまとめるか…と思うと、途中で切れたしまったら…と思うと「不安」に思うこおともある。また、仕事でも若い人たちと一緒にやっていけるのか…と思うとき、体力の限界が現実的になって重くのしかかる。

 そうはいっても、時代は経済成長が最優先とばかり人を酷使することばかりが優先されているように思える。酷使された人間なんぞ結果さえよければいい…という風潮さえあるように思えるときがある。他人がどれだけ傷つこうと、要は結果さえまとめればいい…と。

 その犠牲者が、今で言う「うつ病患者」や「過労死」のように思える。時代の要請に頑張った結果、かけがえのない生命まで犠牲にしてしまった人が、年々増えてきているのではないか。

 生きていさせすれば、悩んだり、悲しんだりするのは「あたり前」と思える余裕させなくなってきていて、それを理解し合える人もいないと思い込んでしまうのではないか。

 本のなかにうつ病になった患者さんの話しがある。何人かで若いときから付き合ってきた友達のはなし。頑張って、調子の悪いのを我慢して働いて突然、体調の変化に気がつかず亡くなってしまった友達の話しが出てくる。
 そのとき、自分はうつ病で少しの間、仕事から離れていた。友達のように我慢し続けていたら、生命も危なかったという話しある。
 だからいまは、精神疾患は、生命の恩人だと思えるようになったと…。
 ときどきリタイヤは、自分が生きて楽しむことを感がる時間だと思うことが大事だな考えるようになった。一部、世間は非難されるかもしれないが、理解し合える人と一緒にやっていくことが、大事だな思った。なぜなら、私の人生なんだから……。そんな風に思えた一冊でした。

◎拝啓 渥美清様/読売新聞社/中央公論
【内容】

 渥美清といえば「寅さん」。これまで、多くの「男はつらいよ」の映画に主人公として活躍してきた。そして、絶大な人気をとり、ファンに惜しまれながら、病にたおれなくった68年間。
 俳優・渥美清とはいったいどんな人だったのか、多くの親友、スタッフの証言をまとめた一冊。さらに、俳優・渥美清は語られるが、私人・田所康雄はあまり語られていなかった部分も書かれている。それは、俳優・渥美清と私人・田所康雄は同じ人間で、仕事と家族は別であることを徹底的にこだわった意味がわかる本でもある。そして、どれだけ、映画という芸術のなかで、人間の真実の生き方を愛していたか納得させる本でもあります。

■日本はとても文化の低い国だよね。時代劇の斬られ役、人殺し役をやる俳優の子供は学校でいじめられるんだよね。アメリカやヨーロッパじゃこんなことはないんだって。一流の役者なら、悪役だろうが、子供たちは学校でヒーローだ。(p206)


*……*………*………*……*……*……*
【感想】
 私にとって渥美清は「男はつらいよ」のテレビで知っている程度でした。それも、モノクロの時代。この、俳優は魅力的、と思うくらいでした。
 それから、ときおり映画を見る機会に遭遇して以来、「男はつらいよ」の寅さんだったと、思い返しました。
 映画をみていると、こんな旅がしてみたい、こんな景色にもみてみたと思うようになりました。さらに、人生に一度くらい、寅さんのような失恋をした経験も好きになるきっかけとなっていたのでしょう。

 そうなると「どんな俳優」だったの?、と思うのは自然なことかもしれません。
 また、人間関係も好きな要因でもあります。
だんご屋に集まる人々。隣の印刷屋さん。町中をあるく人々…。みんな素直に受け入れられるように思えます。町中では、敵が存在しなくて、ばかにはするが、ちゃんとみんな良さを認め合っているように思えるシーンがいくつもあります。

 それは、シナリオのよさもあるのでしょうが、登場人物一人ひとりの個性のよさがみんな支えあって一つにしていこうと気持ちがちゃんと読み取れる安心感があるからでしょう。

 余談ですが、もう一人私には好きな俳優がいます。大地康雄さんです。以前、私が働いて建物でロケがあったのでしょう、朝一番にあったとき「おはようございます」と丁寧に挨拶をしてくれました。挨拶もうれしかったのですが、本物をみたことに感動しました。

*……*………*………*……*……*……*
◎平日/石田千/文春文庫
【内容】

 平日、普通は仕事にあけくれる毎日です。平日の東京のあちこちを眺めみた様子の本。
 どんな人が、どのように、日々の生活をエンジョイしているのか詳細な文章で置き換えています。その様子が、東京の「顔」になっているようです。

■ほんとうの気持ちは、すこしはなれたところで、かすかに役にたちあう。たがいの指を触れあうことはなくても、生命のあるものどうし、感じあう波の音をききあっている。ややこしく、やさしく包んでいて、やんだとき初めてわかる。ものとお金は…まとわりついてくる(十条:p67)

■みんな、いつもどこかに行きたがっている。ほんとうにいってしまえる人はすくない。まねてできないことをしてくれるから、男の放浪は町のひとたちに歓迎され、許されていた(柴又:p149)


*……*………*………*……*……*……*

【感想】

 平日の東京。どんな暮らしぶりなのか。きっと、町の様子とマッチした景色を眺めるのかもしれません。
 例えば、以前、働いていた永田町(国会周辺)の昼休みでは、地方からの団体バスや都内の小学生の群れが多く行き来している。
 ときおり、スーツに身をまとう男たちが忙しく動き回っている…。動き回って政治をしているわりにはいっこうに生活はよくならないとひにくに思う。政治かも人の子、たてまえは国民のためという動きや身なりでいるが、本当は他人などどうでもいいように思えてしまう。それが証拠に彼らの資産はよくニュースなつほどもうけている。

 団体客はそんなめずらしい人間を見にきているようにも思える。
 誰よりも。高く、速く、とスーパーマンを求めるのも東京の人間だ。

 路地にはいれば下町では、世間はどこふく風とばかり、がんこに自分たちの生活を守っているのだろう。

*……*………*………*……*……*……*
◎敗戦日記/高見順/中央公論
【内容】

 1945年1月1日から12月までの作家の日記。敗戦濃厚になってきた日本での生活を克明に描く。鎌倉文庫に集う日本を代表する作家たちの交遊録でもある。敗戦を突きつけられて、日本人は何をしてきたのか…、日々の生活のなかから描きつづけた日記。

■2月27日:国民を信用しないで、いいのだろうか。あの焼跡で涙ひとつ見せず、雄々しくけなげに働いている国民を。

■3月13日:民衆は黙々と、おとなしく忠実に動いていた。焼けた茶碗、ぼう切れなどを入れたこれまた焼けた洗面器をかかえて。焼けた蒲団を背負い、左右に小さな子供の手を取って……


*……*………*………*……*……*……*
【感想】
 1945(昭和20)年。人々はどんな状態であったのだろうか思うと一番身近な日記でよみとることができる。少しずつ、敗戦が近づいてくると、権力者たちのあわただしい日々が続く。民衆は淡々といきている。
 生きていることの本当の価値を見つけ出そうと必死だったと思う。

 読んで思うことは、日本人は非常にがまん強いというか、お人よし(私もそうだが)なのだろうなと思う。戦争が末期でも、あわてず騒がず、日々を淡々と生きている様子がよくわかる。結局、政権にだまされていたこを最後に反省する。おそい……!!。それでも、自分たちの行き方を求めて抗議するわけでもなく、淡々とその日を生きている。

 戦争で英雄は物語になるが、敗者はうずもれて風化されいく……。だまっていれば、うそも平気でつかれている。それでも、生きていくしかない、というのが私も含めて日本人なのだろうか思えてしまう。

 原発でも「安全」という神話を信じた結果、だまされていたように、いまさら「事故」ということが語られた。なにか、今も昔も変わっていないように思え、今を考えるのにとても重要な日記のように思えた。そして、本当のことを知るためには時間のかかりすぎる国でもあるように思えた一冊でした。

 それにしても、時代に敏感に感じ取ってそれを多くの市民に伝える文学者がいないなあーと思えました。いまでは、日本人より外国人の人のほうが、より敏感に日本を表現している。たとえば、アーサー・ビナードという詩人。
 時代の本質を伝える人、大事だな思う一冊だった。

※ちなみに、山田風太郎の「戦中派虫ケラ日記」(筑摩文庫)もおもしろいです。
※余談ですが、部屋をかた付けていたら、『夢声戦争日記』(1)~(7)(中央公論)絶版が出てきました。捨ててなくてよかった!!
 昔、古本屋で買ったものでしょう。これもおもしろうそうですが……。いつ、読めるかわかりませんが、読める条件はあるということです。これも一冊がまた新しい一冊を呼び込むように読書は続きます。ひろーく、浅く読んで楽しい読書をこれからも続けていきたいです。あまりにも、知らないことが多すぎて、それを、かじってみるのもおもしろいと、思いますが…。
 
 


 異動の季節が近づいています…。
 会社という組織で働く人間の歴史は、自分の価値を金銭ではかるしかない現実を知る季節でもあります。
 このことは、戦国時代から戦いの「俸禄」ということがあったように、人に褒美といっしょに、さらに優秀性を高めるために異動を繰り返してき歴史は繰り返しています。

 組織のなかで働いている限り、この現実を受け入れて、あるものは出世という言葉で、あるものは降格という言葉で動いてきたようだ。それが、その人への評価なのだろう。
 それが、矛盾しようと理不尽であろうと、猿山ではないが、ボスをささえる人たちが仲間をつくることは大事な組織のつくる年中行事のようだ。

 最近年をとったせいか、この動きにはとんと無頓着になったように思う。まして若い人との体力さ…は歴然としている。その現実をうまく、受け入れいくしかないようだ。

 まあ、かやのそと……。それは時代の要請なのだろう。その分、若い人たちにはがんばってほしいと思うのだ。
 その気があれば、野心も必要なことだと思う。そこで、学ぶことは仕事以上に多いと思います。とくに、人間関係も、後々大事なかかわりがつくれたりします。

 そして、わたしは話せる人をみつけ理解しあい、働いていくしかないように思う月末だろうな……と思った。すこしずつ、身の回りのものを少なくしていこうと思う。できることをやりながら、あとに残すものは何がいいか考えつつ……行動するしかないようです。

 早く、あたたかくなってほしいですね……。
 さて、4月が始まります。どんな月にしましょうか。とりあえず、今日という日を楽しくおくることをから始まります。
 最近、自分が楽しく思うことを追いかける時間がないのが悲しいです。また、山歩きでも時間を見つけてはじめようと思います。
……で、好きなことを何時間でも話せる友達も大事ですよ!!
ほんじゃ、また来週までお元気で。
 

 *いつも、読んでくださる方、ありがとうございました。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿