日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

春を待ちつつ…3.11を刻んで

2012年03月11日 | Weblog


 こんにちは!!
 3月も始まってみれば、まだまだ寒い毎日が続いています。そろそろ、花粉症の症状が出てくるころです。それに、雨もこれから生まれるであろう生物に栄養を与えているようです。でも、まだ寒いなかでの散歩は、ゆっくりしていられないのが残念な気がします。
 散歩の途中の場所(多摩川土手)焚き火がいいでしょうね…。焚き火のそばでゆっくり新聞でも読んで、一日の始まり…夢デスネ。

 さて、今週はちょっときつい毎日が続きました。なんせ、最終電車に間にあわずタクシーで帰った日が2回もありました。4時間ばかり寝たらまた、職場でいつものように働いていました。さすがに、金曜日は夕方から眠かったです。

 移転後というもの職場も遠くなり、終わりも遅くなっていました。日本人ってこんなに働いて生きている動物なのでしょうかね。
 とくに男は女性より長生きできない理由がわかるような気がします。
 まっ、仕事ですからやることはやっておこないと会社に迷惑がかかるより、お客様に迷惑をかけてしまいますので頑張るしかないかと思っています。今はお客との会話の方が意外と楽しく思っています。そんなことを思う1週間でした。

 そこで思ったこと、午前零時の新宿駅は朝のラッシュと同じです。昨日のことなど思い出せないほど時間がはやい一日が終わった場所になっています。都心は「不夜城」とよくいったものです…。むかし「24時間戦えますか」というCMがありましたが…。24時間戦って「過労死」はゴメンです。

 ▼▲▼うれしいこともありました。▼▲▼
 Jリーグで今年昇格したFC東京の初戦で大宮アルティージャを1対0で勝ちました。このまま、一年間いくとは思いませんが頑張ってほしいと思います。今年、注目の選手はゴールキーパーの権田選手、今年キャプテンになった梶山選手、徳永選手と昔からFC東京をささえてきた人たちです。

FC東京 ※応援、声援よろしく!!詳細はこちらでどうぞ。



しばらく休みます。ごめんんさい…。




 早いものです。
 大震災から1年。
 福島第一原発事故から1年。
 震災地では片付くものはかたづけられ、今日もまた片付けれています。
 人の思いも、少しずつ整理され、悲しいできごとの思いをできるだけ小さくして記憶にとどめようという毎日があるように思います。

 さて、わたしにとってこの一年間はどんな思い出送ってきたのしょうか。
 仕事をしていました…。なにげない毎日の一日でした。午後2時46分の地震が起きるまでは…。今日も仕事が終わってゆっくり、片付けをして帰る予定でいました。

 人生でこれほど大きな揺れを経験したことがなかったくらい強いものでした。ビルの壁にはヒビが入り、一斉にビルの中から道路に避難する人たちがみえました。そして、私も、外へと…。外でも、自動車が上下していました。街灯はいまにも、引き抜けてしまいそうに揺れていました。

 次々に流れてくる情報…。都内のJR各線、私鉄も不通になり、これで帰るどころではなくなっていました。お客様も校正室で一緒に一夜明かしました。「帰宅困難者」になった、この日、怒りを覚えたのは、責任者が全員いなかったこと…。どこへいったのか、誰も身動きできない中、だれも館内にいなかったことには怒りを覚えました。今でも、それは言葉にしませんがシコリとして残っています。頼るべきは、こんな人たちではなく、隣にいるいつもの人たちであったのことに気がつきました。そんな気がします。
 翌朝、職場の人と一緒に無事帰れたこと。家族が揃ったとき、抱き合って歓んだこと…。

 さらに、計画停電、携帯電話の緊急地震警報が鳴ると、ビクッとする毎日でもありました。福島第一原発の水素爆発による放射能漏れが関東まで流れてきたこと。水に放射能がはいったとのこと…。原発の冷却機能が不能になり、次の爆発が心配されたりもした。テレビをつければ、地震による津波被害、火事、原発の制御不能による放射能漏れ、倒壊、計画停電…と次々に起こった被害。

 こんなとき、つくずく思ったことがある。日々のなにげない景色や人とのかかわりがいちばん大事なことだと…思えました。なによりも、その人たちの方がより頼りになり、信頼できたと思えた日々でした。

 今でも被害の修復はついていない状況です。とくに、心の被害(震えていた心)は修復ができていないのが現状のようです。

 人は「のどもとすぎればなんとやら…」で忘れてかけているように思えます。とくに、原発の被害は今後40年近くつづくだろうといわれています。さらには、首都圏直下型大地震もいわれています。つくずく、日本は地震の多い国であることを覚えています。

 地球が太陽の周りを1年かけて廻るように、自然の災害はどうにもなりません。地球から離れない限り、無理なことです。
 大事なことは、生きている、生き続けることを日々覚えていて大事なことを見失わないことを知ることだと思いました。
 私だけの人生ではなく。これから生まれてくる生命にどれだけ伝える工夫をしているかということだと思いました。
 「安全・安心」という付加価値をつけて将来に残すことは、今まで生きられた私たちの責任でもあるはずだと思います。


『3.11に思う』

時はすぎゆくばかり
思いは、募るばかり
歩いてきた後ろにふり向けば
過ぎた時間といっしょに
「災害」「避難生活」「棄民」「放射能」「絆」
という言葉がかけめぐった

足もとをみつめてみれば
すべて生きることばをみつけて歩いていた
だれが語ったものではなく
わたし自身の思いの言葉でいくしかない
過去をうらんでみたところで仕方がないのだ

2011年3月11日午後2時46分以降
いやなことも多いけれど…
前にすすむしかないことを決心しつつ
今日をむえられたことに感謝。
また歩いていくしかない
時はすぎていくばかりだが
終の棲家に過去を持ち込んで
気がつけばこんな自分でよかったなと…
気づかせてくれる人がいて
それを素直にうけうれられる私であればいい




近所の散歩道に菜の花が咲き始めていました。
少しずつ春がきている証拠です。
今、思うと自然災害は防ぎようがありません。ですから、その自然の恵みをおおきく人の生活の支えになっていることに感謝するしかありません。
 また、一週間が始まります。どんな日々を作っていこうとしているのでしょうか。明日は「こんな日に…したいな」と思える、私でありたいと思います。ちょっと厳しくても、大震災で被害にあわれた人々と一緒の地面の上に立っていることを忘れないようにしたいものです。
合掌
 
*読んでくださった方、ありがとうございました。