日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

10月も終わりに…思うこと

2011年10月23日 | Weblog


◎「脱原発政策」から首相交替でその行方が気がかりになってきた!。

 雨が連日、続くとさすがに寒くなってきました。そして、今年の雨は、普通じゃないほどの被害をつくっています。台風の大雨が紀伊半島を襲った被害。
 そして、タイでの洪水…。
 移転した日本企業は大打撃をこうむっています。
 企業の被害も大きいが、それよりもそこに住む市民の生活の方がはるかに大事なことはいうまでもありません。

 地震、台風、洪水と自然の猛威が人類を大きく揺さぶった年でもあります。それに、原発事故とますます、住みずらい地球環境が身近になっているように思えてなりません。

 そういえば、最近は地震が少なくなってきました。その、変りに相変わらず、福島第一原発事故の処理について連日ニュースが流れるようになりました。

 菅直人前首相の後継政策をやるのかも思いきや、野田首相はだんだんと「後世につけを回さない」という発言はいいが、「原発推進」も発言をするようになってきやのに気がつきます。「安全を徹底的に」ということを年頭に『再稼働』のもくろみが現実化していくのか…と思えます。
 「安全」なんかない…はずなのに。

 危険避難区域を20kmから30㎞にしたところで「危険」にはかわりないし、被害は福島原発事故をみればわかるはずなのに、あきれてしまいます。

 事実、20日福島県議会では「福島にある全原発を廃炉にする請願を採択」とのニュースが伝わってきました。被害当事者県民は「安全などない」ということを、身をもって知っているから大きい採択だと思います。
 まして、最近の野田首相の「維持・推進のの原発」と傾いてきた発言に警鐘をならしているような県議会採択は重いはずです。

 それでも「無視」を決める、民主党や自民党はどう考えていくのだろうかと…。
 事実、最近では福島県いがいでも、放射能被害が伝えられてきている。
 東京の葛飾では5・47マイクロシーベルトの放射能が調査している団体によって報告されている。また、柏でも毎時57・5マイクロシーベルトの高放射能が検出された。それも、子どもたちが遊ぶ公園でのことだ。

 そのための除洗で対応が急がれているが、除洗された土の行き先もきまっていないありさま。
 …という、1週間だった。
 今後、いったい原発の危険の行方はどうなっていくのか注目していきたいと思った。




今日までそして明日から
作詞:吉田拓郎 作曲:編曲:吉田拓郎


私は今日まで 生きてみました
時には誰かの 力を借りて
時には誰かに しがみついて
私は 今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からもこうして 生きていくだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かを あざけ笑って
時には誰かと 手を取り合って
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして 生きていくだろうと

私は今日まで 生きてみました
時には誰かに 裏切られて
時には誰かと 手を取り合って
私は今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも こうして 生きていくだろうと

私には 私の生き方がある
それは おそらく 自分というものを
知るところから 始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日から そんな私です

私は 今日まで 生きてみました
私は 今日まで 生きてみました
私は 今日まで 生きてみました

(LIKE ROLLING STONE1970~1974・吉田拓郎/SONY MUSIC)アルバムより

 一年も残すところ…という時期になってくると、今年はどんな一年だったのだろうかと思い返す日々もある。
 ときどき、私に簡単にかわりそうもない生き方について、仕事仲間がしくじりをなじりつつ、生き方まで変えるようなことを言う。
 そんなとき、ムカッ!と思う日もあることに気づく。

 まあ、「言わせておけばいい…」と思いつつ、やはり自分の人生はこれでいいのかなあ…と反省する。

 少なくとも、文句ともいえる助言をした人は笑いとばし、まじめに真剣に言ってくれた人の言葉には悩んだりしたり、とごく普通な生き方をしているつもりでいた。
 けっきょくのところ、自分の人生は自分で決めるしかないようです。それが、時に他人の力にしがみついて、時には裏切られてしたり…と、人生悲喜こもごものようだ。
 
 まさに『今日までそして明日から』の詩のように。
 なんであれ、始まりがあり、終わりがあるようです。

 今週、リビアのガダフィ大佐の死亡ニュースが大きくのっていた。豊富な石油収益を背景に42年間にわたりリビアの権力をにぎってきた人間の最期でした。今度は反カダフィ派が新政府を発足させようと、また権力闘争がはじまるのだろうと思った。
 悲劇を多くつくった人間にとっての、最期も悲劇の銃撃で倒れた状態。これが、新しい悲劇の、終わりの始まりでもあるのかもしれないと思えた週でもあった。

 繁栄と没落…その繰り返しもまた人間の歴史でもあるのでしょう。大きな富を得るために権力闘争にくれるひと、ささやかに人生を送る人。その、一人の人間にはさまざまな生き方があるのでしょう。今日いきて、また明日から…歌のフレーズそのままです…。

※今週は「私の思い出の一曲」は吉田拓郎でした。この一曲をきくと、「また、明日からがんばろう…か」と思いになってくる。一人の人間には、語られてはいない人生模様があるのだろうと思う。

 「生きているだけでまるもうけ…」なんて、言葉があったような気がします。
 今の若い人にはこの曲は、きっと古いのだろう。でも、私にとっては、いつも新しい思いをつくってくれる曲でしたので、紹介しました。
 ボブディランの「風に吹かれて」に、似ています…。、
 「決断」したとき…「反省」したとき…この繰り返しのなかで、また生命ある限りいきていく…。そんな思いのする一曲でした。






◎「信用」はながーい歴史のなかヒトがつくるもの


 仕事でいちばん大事なことは「信用」。他人にお金を出して任せる以上、どんな内容であれ「信用」がなければ頼まない。
 資本主義であれ社会主義であれこの「信用」はなんにつけ、背後につきまとってくる言葉だろう。

 今週に、この「信用」という言葉が聞こえてきた。某お客が「信用できない。信じて仕事を任せられない…」などという発言が聞こえてきたからだ。理由は、ミスが引きがねになっている…かのように言っていた。

 最近よくある、企業の不祥事にいる謝罪光景があたまをよぎった。いわゆる、幹部の不祥事、企業の不祥事…。そこで、経営陣がマスコミの前で、深々と、こうべをたれている光景だ。わたしの会社の経営陣も、こんなことを一度くらいやったら…と思った。

 現場では、日々、補充のない職場で仕事が進んでいる。こんなところで、時間だけに追いかけれたら、間違いは必ず起こる。それを承知でやっているのだから始末が悪い。その対策を現場任せの経営者の末路は、見え隠れしているようだ。

 ともあれ、現場では対応策に頭をひねる。
そんな話を今週はしていた。お客にも見える具体的な対策を実行するしかないと思ったからだ。
 利益をあげつつ、信用をえるのはなかなか難しい。言葉でわかったようなことをいう上司には理不尽だ…。では、「あなたはこれに対して、どれだけのことを協力してくれるか」という問いには、何にもかえってこない。

 モノ、ヒト、カネが動いて「信用」はできるのだと思う。現場では、モノ、ヒトは動くが、予算としてのカネは動かせない。それを動かすのは、経営者だろう。その、バランスをうまく現場に繁栄させて「信用」をつくりだすことが今は、いちばん大事なときだと思う。

 まさに、今の政治とまったく同じだなあ…と思った。震災で地方の復興・復旧予算が足りない。国会でその予算を早急に決議して、地方に予算を割り当てて欲しいのにも関わらず、政治の舞台では与野党の綱引きで、地元住民は怒っている…という風景。

 時々、開きなおっていかないと身が持たない。その、開きなおりで現場では、対策が遅々と進まないことがあっても仕方がないと思う。そんなことを繰り返し、現場同士の「信用」がなければ、某お客に対してお「信用」などほど遠いと思った。ここは「チャレンジ」焦らずやっていくしかない…と思う。
 それでは、また…



少しずつ、寒くなってきた様子です・
読者の皆さまカゼなどにかからないように…
今週は、ちょっと乱暴な書き方が多いように思えますが、ご容赦を…
*読んでくださった方、ありがとうございました。


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