10月が始まりました…。
朝夕はめっきり、寒くなってきました。うっかりしているとカゼでもひいてしまいそうな寒さもあります。
週末の多摩川散歩でもセミに声も聞かなくなり、そのかわり百舌のかんだかい声が聞こえます。空では、すずめが群れで木から木へ飛んでいます。静かな空気のなか、すずめのなき声もよくとおる季節でもあります。
さて、9月はいかがだったしょうか。
9月は台風がひじょうに印象的に残っています。とくに、紀伊半島をとおった台風15号には驚きました。仕事の帰りにも、都内電車がすべて運休という事態にも遭遇したり、3月11日の東日本大震災をも想像させる「帰宅難民」もありました。
まさに、今年は自然の戦いの年でもあります。こんなとき、人は、ただ過ぎていくのをじっと待っているしかない「無力感」も痛感した月でもありました。
ときに、人は「無」から始まる…と思えば、人間と自然との付き合いは、永遠にこの繰り返しだと思うと、少しは肩の力をぬいて生きていくしかないか…とも思います。
さらには福島第一原発事故から半年。
8月の暑い中、市民は節電を強制させられ、がまんしていました。それも、9月になってようやく解除されました。
今年ほど原発のことを考えさせられる年はないでしょう。日々が経つにつれ、原子力開発の推進過程のメッキが次々とはがれていきます。
例えば、原発を設置するための説明会での「やらせメール問題」がりました。東京電力、県、保安院、政府(当時:自民党)が住民に賛成をうながすためにやらせたものでした。原発推進時代の政治癒着もでてきています。
多くの税金が湯水のごとく使われて、あげのはてに自分の首をしめていたことに気がついた年でもあります。
そして、明治公園での「脱原発集会」。久しぶりにデモ行進。いままでの被害をみれば当然のことだと思います。6万人の人たちが反対を訴えてあつまった集会は圧巻でした。
東電の、被害者への賠償問題。
東電がどれだけの努力をして賠償するのか…、またその誠意はどこまであるのか。政府もまず、東電の賠償問題に対する誠意を示せ、という構えです。
とは、いっても限界はあるはずでしょう。二度と事故が起きないようなするには、廃炉以外はないと思います。
さらには、衣食住のすべてに放射能セシウムが身近になってきました。
いま、一部、非難解除をして戻してしますが、その土地が安全かといえば疑問がのこることが多くあります。セシウムを排除しても、それをどこへもっていくのか…、誰が管理するのかとか、たくさんの問題が山積みの状態です。
今は平気でも、あと何年後にはどうかというと、あやしいものです。
そんなことを考えた10月の始めでした。
忘れないようにしたいものです。それには、まず、原発というものを知らないと忘れていくだけです。1か月に1冊は、それに関係する本を読んでいきたいと思います。(もちろん無理はしませんが…ね=ハードルを高くしてできなくなったら本末転倒ですから)
例えば「人生最期の日」に誰と、どこでむかえてたいですか…?。という質問をされたらどうしますか。
わたしなら、日本人らしく「畳の上」というのだろうか?、それとも、自分がいちばん好きな山歩きを終わって、温泉でもはいってビールを飲んで、翌朝、ぽっくり逝っていたら最高かなあ…なんて思います。家族の悲しみをよそにそんな思いが、この映画(ドキュメンタリー)をみたい気持ちにさせたように思います。
ということで、突如、日曜日の朝、早起きして新宿までいってきました。周りを見わたせば、私と同じ年齢のオジサン、オバサンでいっぱいでした。オジサンは早起きだけは得意技ですから…。
さて、半世紀も生きてくると、人の死に際に何回も遭います。それも、人の気持ちの整理もさせる時間も与えてもらえず、或る日突然に…。
しかし、こと自分のこととなると、甘えてしまっているのか正直、あまり考えません。
世の中に「遺言状」というのはよく聞きますが、「エンディングノート」は聞きません。
映画は、エンディングノートをめぐってのドキュメンタリーです。
要は、死に際にジタバタせず、死ぬまでの期間、整理していく話。その整理が家族や近親者への最高の愛情なのではないかという話ではなかったかと思います。
【あらすじ】
主人公は砂田知昭。1940年生まれ。愛知県出身。化学メーカーの営業マン。高度経済成長期に活躍し、会社を下から支えてきた人物。2007年引退し、第二の人生をこれから妻と一緒に暮そうと思っていたやさき、検診で「胃がん」と宣告される。胃がんはステージ4まで進んでいた。告知から半年後2009年12月に亡くなるまでの話である。
ここでも彼の営業畑の知恵「段取り」が発揮され、人生の「終活」が開始され、その内容をエンディングノートという形にして、家族とともに、がんとの戦いがはじまります。
遺産配分や葬式など生きているあいだに、一歩、一歩整理していきながら、最期まで自分の気持ちや、身辺整理を書いていきます。
けっして「死」を拒否するものではなく、生きているうちにできることをやり、その過程で生きている人間の温かみや悲しさを伝えて、人間いつか死ぬことを受け止めようとする「遺書=エンディングノート」を整理しいきます。生きているあいだにやり残さないように、その必死さが生きている証として、家族の絆をまた強くつくるきっかけをつくって作業でもあります。
その姿を最後まで、次女である砂田麻美(映画監督)が日々撮りつづけた作品でもあります。
【感想】
作品を観終わって…ひとこと。
「誰にでも死ぬまで、たくさんの物語をもっていろうなあ」と思いました。ただ、今回、映画になったいうことで、それが映像にり、多くの人の目にふれることになっただけなんだろう」と…。そして、それが、エンディングノートをつくることで、よりいっそうに一人の人間が家族や近親者に、これまで以上に強く、死を大事に考えるきっかけをつくってくれたように思う。
花を咲かせる植物であれ、生きて社会をつくっている人間であれ、いずれ終わりがある。
終わりをどう納得していくかは自分次第…ともいえると思う。その過程で、人とのつながりをより強くしたり、生まれてきて良かったということを知り、家族や近親者たちに悲しみをつくるなかで、生きる力を与えるのも、死に行く者の最後の勤めだのだろうと思えた。
星の数ほど人がいて、誕生があり、死があるなかで、過去に戻れないかもしれないが、創造することができるのも人間。
人を救えるのも人間…。とうことは、どんな人であれ、まもとななら凄いことをしてりうんだなと思えた作品でした。
とはいえ、それはそんな人のつながりを持てる自分があってのこと…。
そんなつながりをつくっていますか…?
そして、誰かに、形がるものであれ、ないものであれ伝えようとしていますか?
エンディングノート詳細はこちらをみてください。
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さて、10月も始まりました。
自分の努力目標…という大袈裟なものではないのですが、月に一度は映画をみること、飲みにいくこと、山歩きをすることということをゆっくりやっていきたいものです。(強制力はないのですが…)
ということは、次の課題があがってきます。まあ、楽しくなければ意味がありませんが…。
季節の変わり目、体調に気をつけていきたいものです。
ほんじゃ、今週はこのへんで。
*読んでくださった方、ありがとうございました。