日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

節分で…病気は外!福はうち…といきたいもの

2013年02月03日 | Weblog


 こんにちは……
 昨日は(2日)は一日中、温かい日でした。これから、こんな一日も少しずつ増えてくるといいですね。
 久しぶりに、午後から多摩川の散歩にいってきました。
 毎週休日の日は多摩川にいって散歩をして、流れる水の音を聞きながらのんびりできるひと時が、もどってくるといいと思います。
 自然の音を聞きながら、歩くのもいいものです。ゆっくり流れる水の音はやぱり自然の音。

 さて、今週スポーツ界は、なかでも柔道でパワーハラスメントがあったということでニュースになっていました。ロンドン五輪でメダルも期待にそぐわなかった柔道の風当たりは強いなかでのこと……。

 また、「なぜ、練習の成果がメダルにならなかったのか」という疑問が誰もが胸中にあったと思う。なんでも「国技」ですから、もう少し期待にこたえてもいい……という声も多かったとなかでのできごと……。

 その原因を今後の活動にいかそうという最中もちあがったパワハラ問題でした。けっか、女子柔道日本代表の監督(岡田隆二監督)の責任問題に終止符をうつ辞任になりました。
 五輪代表選手に練習中に暴行をくわえていたというのです。それが、とうとう代表選手の怒りが爆発して訴えたのでしょう。
 さらに、大学女子部員に暴行をしたとして、全日本柔道連盟は準強姦罪で問われていた内柴正人被告の会員資格の永久停止処分を出した。

 おりしも、大阪で高校の運動部の顧問が選手に体罰を加え、それを苦に自殺した。顧問が勝利をえるためにあせってしまったのか、それとも個人的に暴行を加えたのか、いずれにせよ個人的な理不尽な暴力であったのは確かです。

 楽しいはずのスポーツ。それが、苦行になってしまうのか。
 それは、おそらく「勝利至上主義」なのでしょう。個人の成績より、勝利の結果を学校の利益に結びつける結果だろうと思います。
 これでは、プロと同じです。アマチュアにプロの営利を結びつけるあまり、個人選手はあくまでも勝利を追求する。そのため、勝つためには暴力も辞さない……という形になっているのでしょう。
 まして、スポーツで学校の名前をあげようとする経営(プロ)の結果だろうと思います。
 
 いずれにせと、五輪にでれば金メダルとばかり期待を受けていた日本柔道は、今回は問題が噴出した形となった。いままでくすぶっていた問題が一気にでたように思える。他にもきっとあるだろう。でも、どこかで止まっているのだと思う。
 柔道の原点を思い出せ……ときれいごとをいったところでどうにもとまらない。勝利イコール営利となってしまったのだから。むしろ、それはそれで、もっと透明性をもたせて選手自らが取り組んでいるスポーツの楽しさを前面に公開したらいいのだと思う。


 昔、東京…といえば、田舎者の憧れであった。わたしもその一人。
 なんせ、田舎では東京はテレビか雑誌でしかみたことがない都会なのだ。私が、小中学生のころは、一種の憧れの町だったことはまちがいない。
 いまでさえ、交通手段が発達して身近になったため、関東エリアであればすぐに行けるところとなった。さらには、いまでは、東京も大阪も福岡もたいして変わらないほど発達したから、昔ほどの憧れはなくなったのだと思う。
 交通が発達して便利になり、速度も昔から比べれば何倍も早くなった。とはいえ、出逢いがあり別れがあるのも駅だ。何万回と繰り返されてきたなか、人にとっては出発点でもあり、終着点でもあるのだろう。そう思うと、どんな人生模様があるのか、一駅一駅、考えてみても思いしろいと思う。

 そんな東京に住むようになって35年近く。
 自分が気がつく前に、変わっていったようだ。
 そして、東京駅は100年だそうだ。
 今回は復古調にして駅を戻したそうだ。昔に戻したといっても、私は全然見たこともないし、どうでもいいように思う。
 一部の年寄りがきっとなつかしんでいるのろう。私にとっての東京駅そんなに重要度は感じない東京の駅のひとつだった。
 ただ思い出すのは、東京駅は松本清張の「点と線」の舞台になり、また「男はつらいよ」では、満男と泉の別れのシーンくらいだろう。


 きっと駅にはそれぞれの思い出がいっぱいつまっているのだろう。
 ちなみに私が東京にきて降りた駅は「錦糸町」だった。いまでもケバケバしとイメージがあるのだろうか?
 いまでも、あの時、駅をおりたの第一印象と同じで「天と地の町」というイメージは変わらない。なぜなら、金持ちはあくまで天高く豪華にできる、貧乏人はあくまでも地をはって生きていける町、と思えたからだ。
 よくよく考えてみたら、東京という町は、今も同じように生きている町には変わらないと、再度思えた町。


 日曜日の夕暮れ
 一列に自転車が通り抜けていく路地
 今日という空気に押され
 きっとくるであろう明日へむいて
 空気を切り裂いて走りぬけた自転車の
 背中をみては
 歩いていた
   ○
 明日はどんな一日だろう
 朝に夕に
 人の息はいまだに白く
 節分という一日に別れていく
   ○
 今日はどんな日だったろう
 朝日をあびて起きた一日
 やっと家族で話した一日
 妻と買い物にいった正午
 彼氏とデートをした午後
 帰り着いた家路に
 おならがプーと音をたてた
   ○
 また今日を眠り
 また東から朝陽がきっとあがるだろう
 きっと友の笑顔が見られるだろう
 明日
 それはだれも知らない
 今日を生きた人だけが
 おそらくむかえられる一日ということ
 そして、鬼は外へ
 福は家へ…と願ったことが事実
 私のなかの鬼と福をかかえたということ




 先月中旬に妻が退院して半月ばかりたった。一ヵ月に一度の通院検査にも付き合ってみたが、正午昼飯を食べたあと始まった外来検査では夕方までかかった。帰り着いた家でヘトヘトで夕方居眠りをしたいた。健康な私がそう感じたのだから療養中の妻はもっと疲れたと思った。

 これから月一度の外来検査に付き合うのかと思うと、正直こちらが病気になってしまいそうだな…とも思った。だから、しっかり有給休暇もとることも必要だと感じた。
 できるだけ、重いものを持たないいように休日には買い物に協力してまた驚いた。
 スーパーマーケットに行ってみると、けっこう、杖をついたりして不自由な人が多いのには驚いた。いままで、全然気にしていなかった人たちがこんなにいるものか…と驚いた。

 とくに、高齢者は多い。自分の妻がそうであるように世間を見渡せば、がんばっている人たちが多い。
 むねの内に「がんばろう」と思った。おそらく、一生、再発を防ぐようにして病気と付き合っていくしかない身となってそう思えるのだろう。

 人間てえのは、けっこう一人よがりで自分が健康なときは障害者のことはそう考えないのだろう。
 実際、そうなりたくない!と思うほうがつよくて考えたくないのだろう。
 しかし、現実、明日はどうなっているかは誰もしらない事実だ……。
 そう思えば、杖をついて頑張っているひと、目が見えなくとも歩いている人、車椅子で町で見かける人……みんな今日をがんばって生きている人たち。小さく応援していきたいと思う。
 ふと、ガンの家族をもつ同僚に「日本の医者は世界一だから安心しなさいよ……」といわれたことを思い出した。



 いまだに地震があります。昨日は北海道で震度5強の地震がありました。
 そうなると、原発の不安がまた、頭をよぎります。
 実際に関東地方に大きな地震が起きたときのことをいちばん考えているのは原発関係者かもしれません。そして、いちばん傷つくのは子どもや高齢者や病人なのでしょう。それを思うと、なんともやりきれない気持ちにもなります。
 
 今日は節分。
 少しずつ温かくなってくるのはありがたいのですが、また余震の陰が心臓を驚かせます。ちょっと心配な日々です。


また、ボチボチはじめますか。
*読んでくださった方、ありがとうございました






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