日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

6月:年金受給資格証書がきたけれど。

2018年06月03日 | Weblog

こんにちは。
 6月になりました。暑さも初夏になってきたなあ…と思うわせる日もあります。いまは梅雨のい合い間の晴れ休みというところでしょうか。これからだんだんと暑くなってくるのでしょうか。週末に知人の息子の運動会があると話していました。ちょっと暑いのですが、雨よりはいいのでしょう。
 ぼくにとっては冬よりまだいい、と思いつつ夏がくるのを待っています。
 いつも散歩をしている道すがら、商店の軒先にツバメの巣作りが終えていよいよ夏だなあ…と思いました。子育てが始まります。


■日本サッカー協会は31日、14日開幕のワールドカップロシア大会の日本代表23人を発表しました。強化試合のガーナ戦は、守備のシステムをためしたものの、難なく突破されて負けてしまいました。前監督解任からまだ日が浅いせいでしょうか、西野監督はどんなサッカーをみせてくれるのでしょうか。今回の代表には、これまでの経験者を多く選出していました。平均年齢も28.3歳と高齢でもあります。さて、五輪でブラジルに勝った「マイアミの奇跡」を再びおこしてほしいものです。

 今月はまちに待った「サッカーワールドカップロシア大会」がありますね。日本選手の活躍を期待したものですが、今週のガーナ戦を見るかぎりでは「まだまだ」です。ホジッチ監督が解任されて西野新監督になって日がささいのですから仕方がないといえばそれまでです。それでも、ミスが決定的に多い方が敗者になるのはプロフェッショナルの法則です。今週、強化試合のガーナ戦もそれが端的にあらわれたと一戦でした。PKを与えたミス(反則など)はやはり経験と技術が大切だなということをものがたっています。とくにディフェンスの牧野選手のミスが多く出たのは残念でした。強いチームはウィークポイントを徹底して攻撃の拠点として展開します。今回もそれが見られた試合であったと思います。
 それにしても、ディフェンスがほとんど「穴」状態のスリーバックはまだ機能していませんでしたねえ。基本は正確なパスとコミュニュケーションが足りないように思えました。

 今回のワールドカップで活躍を期待する選手はフォワードの武藤選手です。初めてのワールドカップです。世界にどんなアピールをするのでしょうか。


■契約社員や定年後の再雇用された社員が、正社員の賃金との差額を支払うよう勤務先の会社に求めた「長沢運輸訴訟」と「ハマキョウレックス訴訟」の判決が1日、最高裁第二小法廷でありました。正社員と非正規社員との不合理をどう解決していくかを考える判決でした。

 この判決は注目していたのだが、「同じ労働をしているにもかかわらず賃金になぜ違いがでてきてしまうのか…」という疑問の応える判決ではなかったようです。どうしてこうした「不合理」がまかり通ってしまうのかいつも思います。会社でも、非正規と正規社員との違いをどう説明しているのでしょうか。その辺がよくわかりません。いずれにしても、正社員と同じ危険をおかしたり、同じ仕事をしていれば賃金も同じになるということは当然だと思います。

 長沢運輸の判決内容を詳しく読んでいら、<年収は定年前の約500万円から約350万円に減った>ということで不服を訴えた。判決では<再雇用者には年金の支給が予定されていることを踏まえ、正社員との格差を容認>したと説明。代理人の宮里弁護士は<労働力が不足し、高齢者が重要な位置づけになる中、判決は働きがいの観点でもマイナス。社会に与える影響について、裁判官の想像力が求められるのではないか>(2日/朝日)とした。

 この判決には以前から注目をしていたが、ちょっとの前進はあったものの、いちばん注目度の高い賃金の格差はあい変らず厳しいものだった。
 世の中は「同一労働同一賃金」とはいうものの、現実は少しもそうなっていないようである。同じ労働をしても、格差があればこれはあ「賃金差別」であるのだろうかと非正規社員は考えるのは当然だろう。そして、働く意欲を失わせることの要員でもあるように思う。「年金がある」という内容でも、その年金の微々たる額は、今まで働く現場から見れば賃金を「補てん」できるものになっていない。

 けっきょく、その場しのぎの戦力という気持ちにさせる判決だった。
 ぼくも、非正規社員となってから「全額といわないが…」と思いつつ会社に要求した経過があるが、会社は金のかからない労働条件は変更しつつも金額に関することについては、首をたてにふることはなかった。
 正直なところ、会社の対応に対しては、こちら側の対応を示すように日々を送っているのが現実だ。例えば、責任の最終は職場管理職に持たせることや、正社員と同じ仕事はしない、作業の軽減化などをするようにしている。
 本当は、これまでの経験や技術を後継者にうまく伝えていきたいと思うが、賃金の格差がある以上、その時間さえもなく仕事に振り回される日々だ。そして、正社員の方も、遠慮してなにも言わなくなっている。なにか足りない…というか、賃金の格差をつけることで職場はぎくしゃくしている。(ぼくは、そのことについて会社の責任だと言ってきている)。
 いずれにせよ、65歳定年制が完全に実施されるまでには、この手の問題はずっと続くことだと思う。労働組合もこの点についてもっと模索する時期がやってきているように思える。




「年金」
年金受給証書が届いた
ふと
国が老人に仏壇に置かれた香典にも思え
なにやらさようならつげる声がきこえた

こともあろうか
世を騒がせたウソつき為政者大臣印が
「受給資格証書」にいすわり
なにさまかという態度にみえた

あるものは大金を異国の銀行に預金し
あるものは公文書を偽装し
あまたの納税者をだまし
まんまと税金を免除かとつぶやいてみせた

ひたいに汗して働いた労働者は
預ける銀行さえも「不安」を日々にもちながら
「社会保障」とはきこえても
ほんとうはいったいどこへと思いながら
届いた紙切れに
国家のありかをやっと知った

老いて頼られるうちは
働くしかない
だまされていても
日々は待ってはいない
そして「年金に不安」の日々に
わが祖国はなにをしてきたのか思いつつ
年金の振り込みを待つ日


 「森友」「加計」「働き方改革関連法案」などこれまで安倍内閣はどれも強引にあるいは暴力的に進めてきた5月が終わった。まさに、私たちは安倍首相が船長の「泥船」の乗客のように思えた。そして、これらのすべてにおいて、あくまでも身の潔白、さらには労働者のために…という他人の助言をもきこうとしない為政者の群れをつくりつつある日々のように思えた。まさに「唯我独尊」という言葉がはられたスーツを身にまとい突き進んでいるかのようだ。

 政権がの進めることは何が何でも…力ずくでも、あるいは自殺者が出ても、あたかも当事者が関係ないような対応のニュースを多く目にした月でもあった。これまで、政権のすすめかたは危険だと暗示した記事によって多く語られてもいた。その政権が「改憲」するとは、とんでもないとも語られてきた。
 セクハラ、パワハラ問題も出てきた。まさに「Me too」が世界中に警告をいていたことを待っていたかのように、女性に対する差別が大手をふるってきたか明らかになった。さらに、日大のアメリカンフットボール部員の暴力的タックルであるために問題となった。ここでも、いちばん正直にことの反則の行為を謝罪したのは選手自身であったのには驚いた。監督・コーチはことの問題の説明には煮え切らない、保身第一の記者開会見だった。よっぽどで選手のほうが大人に見えた。揚句のはてに監督・コーチとも辞任で幕がおりたかのよう見えた。しかし、ことの本質(本丸)には近づいてはいない。

 6月は国会の会期末でもある。 
 「働き方改革関連法案」も参議院にうつる。どんなことが語られるのか。
 この法案の注目するところは「残業時間」である。すでに「過労死」が多くなっている中でいかに労働者の健康を守るかが大事な視点となってくるのだろうと思う。野党は「残業代ゼロ法案」ともいっている。

 この法案は3つの柱でできいる。①高度プロフェッショナル制度(高プロ、残業代ゼロ制度)創設、②残業時間の罰則付き上限制度、③正社員と非正規シャンとのとの不合理な待遇差をなくす「同一労働同一賃金」となっている。
 ここで問題なのは、野党が一部専門職の残業代を払わなくする制度について反対している。とくに残業代を払わないとうことは、企業の残業代への負担のしばりをなくすことになる。結果、いくいらでも残業をさせるようになるし、その制度が、年収が低い労働者にも導入された場合、これまでの多くの過労死でなくなっていった遺族に対してなんの対策にもなっていなくなってしまうのではないかということ。

 これは労働基準法にもかかわる重大な問題だと…。なにより「過労死」が増えていく危険があるということになる。けっきょく、企業は利益をあげるが、労働者の生活を壊す危険がおおきくかかわっているということが重大だ。今後のことを考えれば、憲法や沖縄も大事だが、ぼくにはこの「働き方改革」がどうなっていくかが第一に思える。なぜなら、暮らしをささえてるのは唯一、生産手段をもたない者にとっては日々の労働だからだ。

 その応えの一つとして今月に新潟県知事選挙がある。
 これまでの安倍政権への解答になるのかもしれないなあ…。
 とはいえ、これからの身近なところへの変化をどう理解していくかいうことが最も大切なことになってくるだろう。
 どうもめんどうなことばかりが多くなってきたようだ。それに今月から再雇用という身分で、不安定な日々が続きそうだ。こうも勝手に法律を作られては右往左往している人のことなんか考えていないのではと思う。いやに皮肉っぽくなってしまったようだ。どちらにしろ、老齢でもう棺桶に足を突っ込んでいる。あと何年生きられるかは神のみぞ知る…ということだ。ただ、生きている間は納得したことを言ってくれる人に出会える日を楽しみたいと思うだけである。それだけだ。




【浅草駅】
 浅草駅を降りて、言問橋(ことといばし)の方へむかって歩くと靴や靴にまつわる道具の店が目に入る。
 皮の匂いがする。記憶がよみがえるのは新品の野球のグローブの匂いだ。
 浅草といえば浅草寺。都内屈指の観光スポットであるのだが、ぼくにとっては一年に一度の靴のバーゲンにむかう土地だ。道をいけば、観光客が歩くすがたが多い。それも、中国人だろう人々が圧倒的だ。地下鉄銀座線もようやくきれいになり観光客をむかえている。昔から変わらないのは天井の低さ…、これは今も昔も同じ。
 地下鉄の天井の高さを変えるのは簡単にはいかないらしい。列車は美しくなったと思う。地上では観光バスが多い景色を眺めれば、地下鉄はほとんど働く人を運んでいるにちがいない。
ぼくにとっては、浅草はちょっとのぞいた土地でしかない。この土地に足を運ぶようになったのは年に2回の靴のバーゲンあるからである。それも、自分の子どもが働いている靴会社のバーゲンだから行くだけである。ときどき、ほり出し物もあって、安くなった靴を買い求める。

なんの因果だろうと思うことがある。今は亡き兄も靴を商売にしていた時代があった。それも完成品ではなく靴のある部分を作っていた。子ども心に「この靴はいったいどんな靴になるのだろう」といつも思っていた。皮の紳士靴である。「どんな人がはくのだろう」。運動靴しか知らなかった子ども時代にそう考えたこともあった。靴は、はいて早く走れる靴しか興味がなかった時代だった。はいている靴がその人の人柄まで表現するなどとは関係ない時代だったのだろう。
 今は、その想像していた靴をはき、ときどきは磨いてはている自分がいる。
 そして、今は靴にも場所を選んではく靴もあることを身近に感じている。例えば登山靴。ぼくの登山靴はもう30年以上もはいている。靴底はビブラムであるが減ってきている。それでも靴底以外はぴかりと光っていて、はいて山歩きをするのには何の問題もない。山歩きだけでなく、台風などのときもはいていることが多い。頑丈なのだろう。酷使している。そのことにっよってぼくの安全が保たれているのだろう。

 靴は時代によって流行があるようだ。最近の紳士靴は魔法つかはいているような先がとがったデザインのようだ。ぼくはまったく興味にないデザインなのだ。
 とはいえ、靴は最先端でもその職人はいまだに「親方」という言葉が耳にはいるたびに労働組合もない会社が多いのだろうと思う。ここでもいまだに「女工哀史」のようなものが残っているのだろうと思う。子どもの労働条件を聞くたびにそう思う。
靴を磨きつつ、働く条件も磨かない時代につくづくいやな世の中だ思う。



 今月はサッカーのワールドカップを楽しみにしている。さてどんな試合をするのだろうか。予想は一勝もできずに終わるのでは終わるのではないのだろうかと思う。まだまだ…。ミスのない試合がどれだけできるのだろうか。

 だんだん暑くなってきた。暑いなかの散歩はきつい。それでも日影を求めてあるく工夫も必要になってくるだろう。いままで気がつかなかったことも探せるかもしれません。

 「年金の証書」をまざまざと見たら、数字があっけなくならべれていて「自分が働いて受け取るお金がこんなに少ないの」と思えた一瞬でもありました。それでも、ミスの多い年金機構からちゃんと届いただけでもありがたく思いつつ眺めた証書でした。

 さて6月に入りました。国会も今月で終わるようです。どんなドタバタがあるのやら。もしかして「解散」なんてことがあるかもしれませんよ。
 前回の解散はやっぱり電通の社員が「過労死」でなくなって、その後「働らきかた」の国会に入る前でした。なにがなんでも採決してしまおうという民主主義も一度や二度なら、と思うが再三繰り返すという暴挙はファシズムではないのではないだどうろうか。身内が自浄能力もなくなってしまったということなのだろうか。これは危険ではないかと思いますが…。

 今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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