日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

久しぶりの山歩きでした。

2017年01月08日 | Weblog

 こんにちは。
 お正月休みも終えて、そろそろ故郷の思い出を忘れつつ仕事が始まったことでししょうか。
 いつも思うのですが、過ぎてしまえばもう忘れていて眼の前のことに夢中になっているようです。もう少しすると、気の合った人たち同士で「新年会」でも…となってくるのでしょうか。
 毎年のこととはいえ、寒い日々が続きます。こんな日は、フトンにくるまれて眠っているのが(熊のように)いちばんな気はします(用事がないかぎりですが)が。

 さて、今週は仕事始めということもあって、ちょっとはのんびりしていました。挨拶をするといっても、自分の会社の人はいませんので簡単なものでした。まさに「ワンオペ育児」と同じ「ワンオペ職場」ですので、これからの予定をカレンダーに書いていました。
 ちなみに「ワンオペ育児」とは一人で家事や育児を担うことで、自分が病気をしても誰も手助けしてくれない状況の人のことです。これでは、育児や家事をすることもそうとうなプレッシャーになってしまう状況で休む時間がとれない「過酷」ということです。まして、職場での場合は、仕事から離れれば終わりですが、育児や家事は一年中ついてくるということでストレスもたまると聞きます。

 とまあ、ぼくの今週はこんな様子でした。みなさんのところではどうであったのでしょうかね。


 今週は3連休でしたので今年初めての「山歩き」に行ってきました。天気予報をみると、7日(土曜)を除いては雨や雪でした。これは、ちょっと仕事始めの疲れはあったものの土曜日以外にない判断しての決行でした。

 コースはこの出発がおそいので、自分の体力を考えてみた場合、陣馬高原から小仏までの工程にしました。それでも、やはり登りはつらい時間帯でした。霜も降りていますし、日向では登山道がぬかっていたりします。すれちがう人のなかでは、ころんだでしょうか泥だらけの人もみかえけました。
 それでも泥だらけですんでいいのです。転んで骨でも折ったらそれこそ大変です。以前、ぼくも転んで、小指の第一関節の筋肉を切った経験があります。そんなことを思い出した登りでした。(ぼくが筋肉をきったのは下りでした。今も小指がうまく曲がりません。生活に支障はないのですが)。



 きつい登りが終わるころ、目の前に広がってきたのは遠くに富士山の姿でした。この景色がいちばんのご褒美のような気がしました。
 今までの疲れも忘れて眺めていました。この日は、寒さもあり、新年もはじまったばかりで休みがあるせいでしょうか登山者もいつもより少なくて静かでした。360度見渡せる展望は素晴らしいものでしたよ。



 ぼくが陣馬高原から高尾までの縦走でいちばん好きなところは展望もいいのですが、いちばんは尾根歩きが好きです。木々に囲まれた登山道をゆっくり歩いているときがいちばんの醍醐味だと思います。人が多くて列をなしてしまうことはあまりありませんし、人が少なくってくると近くでは鳥などの鳴き声がきけます。また、すれちがう登山者をみるとのも楽しいものです。がんばっている人、へとへとな人…。これもぜんぶ山歩きです。
 とくに冬は人も少なくて静かさがいいです。
 今年は何回行けるのでしょうか、そんな思いで帰ってきました。



 年賀状もほぼ届き、新年のあいさつもおわりました。
 一年間どんなことがるかな…と思いつつ1月が始まりました。そして、初仕事が始まった。また月末まで始まる月刊誌の仕事と準備がはじまったところでしょうか。

 「再雇用」2年目となりました。
 作年から「同一労働・同一賃金」などいわれていても「本当にそうか」と疑問は引きずっての年越しであった。それは、目標であってそこに届く企業努力といったところなのだろうと思う。若い人にはきっと「今が精一杯」というところだと思う。なぜなら、賃金はいっこうに延びようとしない現実のなか、それを考える余裕さえないというところが正直なところだと思います。
 ぼくも、この年になるまで考えてもみなかった。

 若い時は「働いていればどうにかなる」という思いですごしてきました。事実、どうにかなってきように思います。そして、年々少なくなったが賞与も年2回出ていた。それが生活の補てんとして賄われいた。
 そんな時代だった。
 しかし、今の労働実態は、ぼくの時代よりはるかに悪くなっているように見える。世の中に「ブラック企業」という言葉もなかった。(同じように行為があったとしても、どこかで穴埋めしてうまくまわっていたのだろう)。それが今の時代を象徴しているように思える。

 昨年、大手広告会社「電通」に勤める娘さんが仕事に悩み「過労自殺」が話題になっていた。東大を卒業し、夢にまでみた会社で、仕事をしてがんばっていたのにもかかわらず「死」に追いやられた現実が突きつけられた暮れであった。(2015年の暮れにも、居酒屋「ワタミ」に勤めていた女性が過労自殺をして裁判になり「和解」が成立したにもかかわらずだ)。いつの間にか、同じことがあっても利益をえるために、労働者は本当に「使い捨て」の時代に思えたニュースだった。
 新聞のコラムに「電通の労働組合はいった何をしていたのか」という記事を目にしたことがあった。労働者を守るための労働組合が、いつのまにか機能しなくなってしまったのだろうか。これが、今の労働組合の実態なのだろうか(最近、労働組合の組織率が低下している原因はこんなところにあるのではないか)。

 若い人たちが生き生き働ける姿をみると、こちらまで元気になるように思えます。それが、自然な形のでは思えます。働く人が生き生きしていない時代とは、最悪の時代に見えます。まさに、最近がその状態のように見えるのは思い過ごしでしょうか。
 

 等など…。
 今年がはじまって思ったことです。働くことは大変なのですが、それを支えあうのはやっぱり働く人たちのではないかと思います。それが、疲弊していたら、支えあえません。
 そんな思いで一年が始まるように思えました。
 新年早々から、重い話題になってしましましたが今後もあきずによろしくお願いします。




『日々のおくり方』
朝のあいさつに
「不信人物」といわれ
除夜の鐘の響きが
「うるさい」と
幼児の遊ぶこえにも
「うるいさい」と

人の元気がこれほど
騒音に聞こえた時代はあったのだろうか
一日のはじまりがあり
一年の終わりがあり
人が励まされた声があり

世の中が騒音にするわけは
あるのだろう
その声がどこからきたのか
どこへいくのか
感じながら
きょう
一日がはじまっていく
そして去っていく

誰かの声を聴きたくているのに
意地を張っているような日々

 また、温かくなったら山歩きにいこうと思います。誤字脱字があると思います。ときどき、ご容赦ください。
 今週はこのへんで失礼済ます。読者の皆様くれぐれもかぜのなどひかぬようにご自愛ください。
 ぼくなどは、カゼをひいたりすると、致命傷になりかねなので注意しています。
読んでくれた人、ありがとうございました。

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