日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

寒さがやってきました…

2018年10月14日 | Weblog

 こんにちは。
 朝は寒くなってきました。雨がふるとさらに寒く感じる日がやってきたように思います。ますます通勤がつらいですね…。最近では、帰りの時間にはもう暗くなっています。バス停で、待つ時間がとても寒さを感じます。
 休みの日などは寒さいので起きるのもめんどうに思えてきます。




最近「再雇用者」となって働きながら疑問に思うことがある。
60歳で定年退職をして、「年金65歳満額支給」という社会のありかたが「再雇用者」をつくり出したのだろう。要は少子高齢化という現実。税金を納めるべき働き手の不足、そのために雇用を延長して年金の支給年齢をあげる政策がでてきたのだろうと思う。以前、年金は60歳から支給されていたが高齢者の増大で払いきれなくなったとうのが現実となったということ。だから65歳に年金支給年齢を上げたということなのだろう。満年齢になるまで会社では雇用延長を会社にうながして「再雇用」という形をつくりあげたのだろう。「再雇用」ということで、この段階で会社と労働者が「契約書」を結び「賃金・雇用形態・労働時間」をとりかわされることになったというわけである。

賃金にギャップ
 ぼくがこの段階で驚いたのは「賃金」の低さだった。これまでの3分の2ほどになったことである。同じ仕事をしながらこれはないだろうと思うことがある。
 年金の一部と賃金と税務署から出る受給金とあわせても、正社員の時の賃金にはとおく及ばない状態である。これでは、働くモチーベーションもあがらないだろうなと、思う。

職場では…
さらに、職場での仕事の連携がまったく無視されているようだ。ぼくが担当するお客にどれだけバックアップできるのかという疑問にも説明もなく、職場の人の対応のにぶさにお客の苦情全部ぼくにくるというしまつだ。開き直って「会社の責任者にいってくれ!」と思うことが多々ある。
 ぼくが思うところ「再雇用とは、いったい何者なのだ」という問いがいつも考えさせられる。
 だから、現状では出来るだけ、自分の担当している仕事以外は一切手をださないようにしている。それくらい割り切ってやらないとばかばかしいほどの会社の対応となっている。

定年65歳はいいけれど
 政府は今年「定年を65歳」に引き上げるという方針を打ち出した。少子高齢化で働く人が少なくなると、年金支給も危うくなるということからだろうか。ぼくが思うに、その理由は表向きで本当は、「いかに低賃金で、すぐに解雇ができる労働者にしたい」ということではないかと思える。いい例が、「派遣・契約社員」の対応について、正社員になりたいがする前に「雇用延長をしない」という企業が多いと聞く。あるいは、派遣会社が契約社員についての対応が本当に実施されているのかということを、職場にきている派遣社員を見ているかぎりでは少しも変わらないように見える。
 低賃金で得た企業の利益はどこへ流れるのだろうか。それは、決まっていて、自分たち企業の利益を代表する政治に投資する、ということになるのだろうなあ…。

 事実、規制緩和という名目で「派遣会社」ができた経緯をみればわかるとおり、労働と政治はといういちばん利益を上げる仕組みとなっている。いい機会を造ったところでそれを操縦するのは労働者なのだ。基本は労働者の人件費なのだろう。定年制が65歳になるということは、派遣会社も60歳以上の人をこれまでよりももっと安い労働者をつくりあげるのだろうなあ…。
そして考えること…

きっと大事なことは、働く人たちの連帯なのだろう。それも漠然としたものではなく日々共通している「働らく場」という共通話題を考える時なのだろうと思う。いったい労働組合は何をしているのだろうか、ということも。せっかく「組合費」を払っているのだからその分を働いてもらうことも考えるときなのかもしれない。これは日々直接かかわる人間関係なのだから。低賃金であれ、再雇用・派遣であれそこからしか始まらないだろう。
 「言うはやすいし、行なうは難し」だろうが、できることから少しずつやったほうが楽しいのに…。
 「過労死問題」で大手の「電通」の組合はいったい何をしていたのだろうかと思うことがあります。

 さて、60歳以上の「再雇用」の読者のみなさまはどうしているのでしょうか。

 今週の「WarkingMap320」では、身近の日々感じていることを書いてみました。世代が違うのでしょうか、なかなか会話がないのが残念に思います。とくにむずかしいことを話したいと思いませんが、何か話が続くかない日々です。これって、世代が違うからと言いうことではなく、生き方・働き方に関係しているのでしょうかね。
 働いていると「自分の働き方」に自信があるのか、他人の助言もきかなくて一生懸命やっている姿をみることもあります。「なんか無理しているな…」という姿を見ているように思えます。いわゆる職場の「個人商店」のような形をとっているようにです。誰の助言も受け入れないような忙しさをつくっています。これは、疲れるでしょう。ぼくは、働き方としてはほめるような形だとは思いませんが。
 さすがに10月半ばとなると、少しずつ寒さが身にしてきます。とくに、会社の帰り道では暗さも加わり寒さが増しています。寒さは、仕事にかかるのもおっくうになるような気がします。暖房が入ってくる季節です。ぼくは、会話のないような「寒い働き方」がどこでもはやっているよいうな職場は嫌いですねえ。

 今週よく目についた「労働」に対するニュースでした。
 働くを「入口(採用・就活ルールの変容)」から「出口(65歳定年制・年金支給)」からの話題が多くなってきました。さらに、労働力人口の不足を補うために外国人労働者の受け入れの規制緩和もはじまりそうです。
 これが「働き方改革」の中身になってくるのでしょうか。
 就活ルールでは経団連が就職活動の時期を廃止しようということになっています。年金では年金の先細りのため労働者に自助努力を促すとのこと。外国人労働者の受け入れの緩和などがあげられています。まさに「働かせ方改革」あるいは「働き放題改革」という呼び名があるように、政府と企業が労働者をいかようにもできる法案をつくりあげた序章からエピローグへ向かうための労働政策満載の秋となりそうそうです。どれをとっても、今の労働者にとってはいい形ではないように見えます。
 最近は労働組合の活動も先細りのようです。ですが、これからが大事なじきなのではないかと思います。だから、もっと愚痴や冗談をいえる職場が大事なのではと思います。身近なことを見渡してみていいと思うですが…。労働力はいかようにも変化する価値であるのですが、悪く利用されると当人自身の生活をも壊れる危険があるものです。労働者の唯一の労働手段です。



【国分寺:JR中央線】
 ちょっと気の利いた買い物をしようと国分寺までいくことがある。ぼくが住んでいる町は、私鉄沿線で大きなデパートが一つあるが、来年は閉館の予定とのことだ。やはり、上へ上へ建物は多くなったが人の経済活動はJR沿線へ向かうようである。このへんで一番ハイカラ(死語でしょうか)なのは吉祥寺になる。先週も地元の某デパート出店で買った靴の修理を頼もうとしたらすでに撤収していて吉祥寺までいくことになってしまった。それだけ、JR沿線は何かにつけ強い吸収力があることを思い知らされる。

 とはいえ、100年ほど前は街道には馬やリヤカー、自転車がはばをきかせていたのでしょうね。ちょっと買い物に町へでかけるのもきっと歩いたりしていったのでしょうか。ゆっくり歩いて国分寺街道をいくと歴史的な建物にも出会うことも出来ました。例えば農工大など(下写真)が代表的な建築物でしょうか。大学のケヤキ並木は1936年に植えられてものだそうです。それからずっと枯れずに育っているそうです(看板の説明より)。

 バスや電車でいくのも方法ですが、街道をゆっくり歩いてみるのもいいかもしれません。できるだけ不便を感じた方が町の風貌がりかいできそうです。
 とはいえ、この並木道に学生がよく主張している「立て看板」がないのが寂しい気がしましたが…。そういえば、どこもこぎれいになっていますが学生たちの「主張」みたいなものが見えないのが残念です。





 秋到来でしょうか。
 芸術の、スポーツの、読書の、食欲の秋という季節です。読者どんな秋を楽しんでいるのでしょうか。ぼくは、食欲の秋がいちばんですかね。
 いよいよ月刊誌の追いこみです。疲れます。今週が終われば10月も終わったという気持ちになるのではないのでしょうか。
 うっかりするとカゼをひいてしまう季節です。注意が必要でしょうか。
 では今週はこの辺で。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

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