こんにちは。
とうとう10月になりました。進歩道では、すっかり空気が冷たくなってきました。Tシャツ一枚では寒く寒くなってきました。そろそろ、洋服も心も衣替えという時期でしょうか。うっかり、うす着でいるとくしゃみの連発、さらには寒さが体中を支配してかぜをひいていることもあります。この時期は、ちょっと厚木が基本で暑くなってきたら、脱ぐことを考えて行動するきせつのでしょうか。
最近は、ファッショなのでしょうか酷暑でも革ジャンや長袖のシャツなどをきた人を多く見かけました。季節とおしゃれなの関係でしょうか。
私には、そんなイキな趣味はありませんが…。いずれにせよ、人間は季節を洋服で調節する以外にありません。温暖のさをすばやくキャッチして人それぞれにあった着こなしが大事な時期なのでしょうか。それと、人の会話に温かいゆげの出るようなおしゃべりが最も大事な季節だと思えます。
さて、今週に衆議院の解散がありました。やぶれかぶれかなのか、なんらかの目算があるのでしょう。今回は48回目の衆議院議員選挙になります。選挙の解散のながれの中で、「今回ほど大義のない解散はない」といわれていますが、有権者にとってはどんな感想があるのでしょうか。そもそも、解散する時はどんなときなのでしょうか。
解散権は与党によって、その時の有利な条件がそろったとき「解散」という行動を起こすのでしょう。今回の安倍首相の解散はどんな意味合いがあったのでしょうか。巷では、今、与党が解散するなかみは「森友・加計学園疑惑隠し」とのニュースが流れています。そんな中、解散するのはよほどのもくろみがないかぎり不利だと思います。ではなぜ解散に踏み切ったのかと考えてみると、野党の混乱があるように見えます。さらには、北朝鮮の今後のでかたが大きな目玉となってくるからでしょうか。
9月28日(木)午前、臨時国会が召集されたその場で安倍政権が解散。
総選挙は10月10日公示、22日投開票。民進党は、小池百合子・東京都知事が結成した新党「希望の党」に合流を図り、事実上解党のする。野党共闘をかかがげる社民、共産との野党強とは混乱する状況にある。安倍政治が5年にわたる政治が問われる選挙になる。
今回の解散には正直驚いた。なんで今…と。
これまで安倍政権は、「奇襲攻撃」のような「強引」な政治手腕をしてきた。その背景には「1強多弱」だった。「共謀罪」法案ではまさにその手腕が実行された。さらに「安全保障関連法」(戦争法)ではやや暴力的に議会を掌握して成立させていた。次々にやつぎばやに法案が強行成立させるなか、稲田防衛相が南スーダンで行なっていた自衛隊の活動日報を隠ぺいして辞職。今村復興相が東日本大震災について「東北でよかった」発言。さらには最近の豊田真由子議員の秘書への暴言発言などがあった。
これまでの安倍政権の下でさんざん勝手な発言や行動が行なわれてきた。それでも、離党や辞職でどうにかなってきた。そして、安倍首相の解散…とどれもあまりにも勝手きままな政治行動であったように思う。どこか歯車が間違ってしまったかのようだ。
そして今いちばん話題になっている民進党の解党。
政治家の裏切りにもみえる行動。いったいこれからどうするだろうか。だいたい参議院の民進党はどうなるのか…、そして「希望の党」に行く人はいいが、行きたくない人はどうなるのか…。どれもまだ不透明なまま、動き始まっている。実際、これまで指示してきた労働組合との関係もあるだろう。これも「しがらみのない政治」ということなのだろうか。まりにも自分勝手な行動に信じられない政党になってきた。第二自民党のようにも思える。
新聞にこんな「投稿」(朝日10月1日版)があった。
安倍さん、小池さん、前原さん。憲法改正を唱える政治家ばかり、表に出てきている。すっかり土俵が出来上がっている感じだ。庶民の心配事は、賃金や雇用、教育、老後などのなのに。私たちの暮らし向きがよくないのは、それは憲法のせいだ、と思う国民がどれおほどいるのだろうか。…(略)…憲法の是非を問い返せるほどの知識も経験も慎重さも、十分にお持ち合わせていない。けれでも、今回の総選挙で、憲法改正が当然のように選択肢のテーブルに載っているのは腹立たしい。
私もなにが憲法改正だ、と思う。変える必要など全然ない。それよりも安心して働ける賃金や老後の保障をちゃんと考えて欲しいと思うのだ。政治家の皆さんの自分の働き場所を必死に求め、右往左往している様子は私たち自身の日々の生活なのだから。けっきょく最後は政治家でさえ、人間で私利私欲になっているように見えた一週間だった。
今週末、兄弟の入院先にお見舞いに行ってきた。
定年退職、そして再雇用と…。自分が働きずめでやっと落ち着いた矢先の入院だった。私も体には自信があったが、今回のに行って自信がなくなってしまったお見舞いだった。
よくよく話をすると、入院までの日々の生活が反省させられた。
やっと仕事から離れ、煙草に酒に運動不足…の日々を送っていたのだった。それから、これから自分のやりたいことを…と思っていた矢先であったかもしれない。さらに、話をすれば、何年か前、健康診断でちょっと悪いといわれていたことに対しての油断であったのかもしれない、と。あのとき、もうちょっと念入りに日々の生活を送っていたらなあ…と思う。
そんな会話を思い出しながら、私は、病気のウィルスというものは日々体を蝕もうとして活動していると思った。健康なときであっても、ウィルスは体のずみずみでその出番を待っているかのようにしているのだろう。それが、たまたま今出てこなかっただけでなのだろう。ところが、ある日突然、体の一部が不自然になって、さらには何らかの原因がウィルスにスイッチがはいって病気になるのだろうと思えた。
そして、肉体が高齢になればなるほどその病気のスイッチの入るチャンスは多いのだろう…と。人はそれに対抗するため、どこかで自分流に得てきた赤信号を見つけては休んだり、運動したりとしているのだろうと思う。それは、誰でもおなじではなく、その人だけがもっている赤信号を早くきがつけばそれだけ軽くすむのだと考えてていたのだった。
たとえば、腰がいたいという日々。
それでも、これは一生つきあっていくしかない持病だと思っていてもそれを少しでも軽くしようとする努力が必要なことのように思う。
それで、どうにか腰痛だけで済んでいるだけなのだと思うことだろう。
今年3月ごろまで友達の入院先にお見舞いにいっていた。いまは退院して日々できる範囲で仕事に就くようになっている。
今年はお見舞いだけで済んでいるが、いつかは私が入院先で横になっているかもしれない。日々精進していこうと思っている。それは、煙草をひかえることであったり、運動をもう少し増やしたり、そして疲れたら無理をせず休むことと、自分への命題として行くことにしようと思ったお見舞いだった。
最近はいまさら、ガムシャラに何事もやろうと思ってはいない。なぜななら、体が無理がきかない。ただ、やれる範囲で無理なく、自分ペースでやっていくしかないようである。なんと非難されようと、こればかりは他人にわからないものだ。自分との対話をこれまで以上にしていくことが大切な年齢なのかもしれない。
はやいものです。
今年もはや3か月で終わりです。
「去る者は日々に疎し」といいます。これまで、どれだけやってきたのと…。何かにつけ、日々の注目があるうちは騒がれます。流行や他人のスキャンダルなどに時がながれていくようになってはいなかったか、反省します。何がやりたいのか、今回お見舞いにいって帰ってきて思いました。できれば理想ですが「悔いの残らないように」がんばっていきたいものです。
10月に入って、季節は初冬へとむかっています。日光の戦場ヶ原では霜が降りたというニュースがありました。空気もヒンヤリとしてきてしました。季節の変わり目…。何かと体に負担がかかる時期だと思います。
読者のみなさまも体には気をつけて日々を送ってください。
今回はこんへんで失礼します。
読んでくれた人、ありがとうございました。
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