こんにちは。
暑さがひと段らくしたと思いきや今度は雨が雷を伴って降ってくる不安定な日々が多くなってきました。毎日、折りたたみ傘をもって通勤するようになりました。最近では、秋に降る雨とはちょっと違っていて雷も一緒にともなっているのが特徴です。そして、一極集中の大雨です。雷での停電、大雨での床下浸水…と多くの被害がかつてないほど起きています。
まさに9月1日「防災の日」を語るに必要な防災を多く考えさせる日々になっているようになってきました。これまでの「秋雨前線」というしっとりとした雨ではないことも特徴でしょう。そして台風。去ったあとにすぐに追いかけてくるように次から次に発生しては、豪雨とカゼをまき散らしては多くの被害のつめ跡をののこしては消えていくような雨です。
さて今週は、中央省庁が雇用する障害者数を水増しをしていた問題がニュースになっていました。なんでこういうことになってしまうのでしょうか。官僚と言い、省庁といい「制御不能」になりかかっているような病気です。
だれが修正するのかと思えば、政権与党は首相選でそれどころではないようです。まいってしまいますね。
<9月の風に>
誰かが夢見て歩いた道にも
小さな坂道にものこったものは
後悔といまのげんじつなのかもしれない
あのとき吹かれた風は
いまはもうなくなっている
消えたものを追い求めても
何になるのだろうかと
道はまっすぐに伸びているだけに
今日をつくっている
あの路地に
この坂に
あの林に
…とおもう時代人の笑顔があった
人の怒りがあった
痛みも
涙も
それでもまっすぐに道は続いていた
その道を歩くとき
横道にそれたとしても
生きてももどれる
まっすぐな坂のある
道がまだあるかもしれない
今日という風に吹かれて歩ける
道…
誰かが夢見て歩いた道にも
小さな坂道にものこったものは
後悔といまのげんじつなのかもしれない
あのとき吹かれた風は
いまはもうなくなっている
消えたものを追い求めても
何になるのだろうかと
道はまっすぐに伸びているだけに
今日をつくっている
あの路地に
この坂に
あの林に
…とおもう時代人の笑顔があった
人の怒りがあった
痛みも
涙も
それでもまっすぐに道は続いていた
その道を歩くとき
横道にそれたとしても
生きてももどれる
まっすぐな坂のある
道がまだあるかもしれない
今日という風に吹かれて歩ける
道…
【七光台・東武アーバンパークライン】
かつてこの駅はなかった。ぼくが子どものころは…。この駅の周りは田んぼだった。学校の帰り道は蛙がないていたり、小川では小魚、ザリガニを追い行けていた道草の場所だった。今では、大きな駅に変身してそれを利用する住宅がたくさん建っているような景色になっている。名前までも「アーバンパークライン」ときては、もはや田舎者が顔を出すよちのなくなってしまったような変貌ぶりだ。
この近所にぼくが通った小学校がある。今年はなんと「創立145年」ということだった。ということは、ぼくの両親も通っていたのではないかと思う。もちろん兄弟たちも全部ここまで通っていた学校でもある。100年以上も前であるということは、戦前、戦中、戦後の時代の景色をつくってきたのだろう。両親は、戦前、戦中にお世話になり、ぼくの兄弟たちは戦後ということになる。145年後…。そのときからいままで残っているものは何かあるのだろうか。見渡せば、楠の木くらいだろうか、あとは全部かわっているように見える。校庭の隅にあった二宮金次郎もどこへ行ってしまったのだろうか。
ぼくが通った学校の印象は、学校全体が汲み取り式の便所のにおいがいっぱいの記憶が残っている。それでも、校庭ではそんなにおいも気にすることなくゴムボールを追いかけた野球であったり、土と汗の匂いの残る学校だった。
そのなかでも小学校4年生の時の記憶が鮮明のこる学校でもある。
夏休みも終わり、学校ではそれぞれの「夏休み自由研究」や「夏休み宿題」を提出する9月だったように思う。ぼくは、自由研究もやらず、夏休み宿題も半分くらいしかやらず提出していた。登校日に先生に呼ばれて「なぜ、こうなの…」と先生に怒られて、あげくの果てに平手打ちをもらった記憶がある。その先生はT先生。山梨からきたその年初めて受け持った4年生に期待していたのだろう、その期待を裏切られてたならず怒ってしまったのだろう。泣きながらぼくのほほをなぐっていたのだった。いまなら「暴力事件!」と言われそうだが、ぼくにとっては「当然だろう」と思えた一日だった。
その後、そのT先生はいつものように接してくれたのだった。むしろ、そうされるとぼくの方も「後悔」していたように思う。子どもなりに「これじゃあたりまえか」とも思ったのだろう。それを怒ってくれた先生の涙がだけが印象に残っている。みんなで先生の下宿にも遊びにいったこともある。ものおきの一部を改造して明るくなっていた。部屋は香水のにおいが印象的だった。暑中お見舞いもだして返事ももらったことがある。「おおきくなったら山梨(山梨の人だった)に遊びにきて下さい」という文字は今でも忘れてはいない。いじめもあったのだろうと思う。ぼくもいじめられたり、いじめたりしていたようだ。それが証拠に、蟯虫検査の後は「ギョッ」というあだ名の子も忘れてはいない。それでも、遊ぶときはそんなことはすっかり忘れられていた。うつろうが、うつされると大げさに考えるより遊んでいたときは夢中だったのだろう。そんな時代だった。世はまさに民主教育の時代…。
先生も明るかった。いろいろ問題があったのだろうが日教組も強かったのだろう。教育者も元気だったのだろう。あの時代のアーバンパークラインはのろい電車だった。そののろさのおかげで人もゆっくり生きていけたのかもしれない。いつも、T先生のことを思いだすと『思い出ポロポロ』や『家族ゲーム』という映画を思い出す。子どもは子どもなりに悩んで生きて大きくなっていったのだろう。それでも、それを包む心やわらかな大人たちのおかげで助かっていたのかもしれない。
できれば、T先生にあいたいなあ…。
生きていれば80歳かそれ以上だろうか。夏休みが今週でおわるところも多いことだろう。宿題をやらずに登校した生徒に、今の先生はどんなことばをかけてあげるのだろうか。何もいわないのだろうか。それとも、思いっきり叱ってくれるのだろうか。あの時の「夏休みの宿題」を引きずっているぼくである。それでもいい思い出になっているし、いい教師にめぐりあったことを宝物のようにしている。今も涙を流して怒ってくれる人、いまどれだけいるのだろうか…。
8月の忙しさに追われた2週間。それも終わり、やっと落ち着いたので週末は故郷に墓参りいってきました。天気はくもり空。雨にならなければと心配していましたが、昼間は天気にもめぐまれいい墓参りもできました。
ついでに、散歩をするつもりで子どものころ通った小学校、中学校まで歩いてみました。すすむ方向にむかっていけば、通う道々には大きな建物が同級生がいた住居が消えたところに多くありました。「ここにいた同級生はいまどこにいるのだろうかなあ」と思いながら散歩でありました。
ぼくが子どもの頃、小さな足で歩いていて時代といは景色がほとんどが変わってしまっているのですが、道そのものは残っています。歩くうちに子どものころ怖かった道、滑ってころんだ坂道、寄り道する小川はありましたが、印象に残るったことは、坂道が減っていることでした。雪が降ったあと滑ってころんだ急な坂道や自転車に一気に進めなかった坂道ががゆるやかになっていたところが多いのには驚きました。「これが便利ということ」なのでしょうか。人が多くなったということでしょうか。
坂道が減るということは、人口と比例しているのかもしれません。
人が望もうと望まなくても、人の歩く場所が平たんになっていくのでしょうか。それだけ、坂をよじのぼる人の苦労をどこかに回っているということでしょうか。半世紀も前に通った道、楽になった分、失ったことをちゃんと考えないといけない時代になったかもしれません。
それにしても「夏休み宿題」の代行会社があって、利用する人もいるそうです。ぼくとしてはあきれるばかりです。宿題くらいは自分でやってほしいものです。どうしても分からなかったら誰かに聞く…という繰り返しが人との関係をつくるのだと思います。自分の弱点もしることもできるのではないのでしょうか…ね。
夏の甲子園が終わったと思いきや、アジア大会とスポーツイベントめじろ押しに放送されいたのが印象的だった。以前は、ニュースくらいでしか知ることができなかった代表選手の活躍だった。これも、2020年度の東京五輪の前座的な目的なのだろうかと思う。まあ、いわば意図的な放送だろう。東京五輪は暑さの問題が働く人への問題にもなっていたのには驚いてしまった。
「サマータイム制」という、労働者に東京五輪の間だけでも、協力を強いている状況になっていた。世の中にはこれを「冗談じゃない」という人も多い。朝2時間ばかり早く家を出て、2時間早く帰るという聞けば単純なことなのだが、本当にこうなれば夏はいいと思うが、現実的には、朝2時間早い通勤時間にするには、起きて朝食をとるために準備をする時間は、その前にしなければ無理である。まして、リアルタイムで東京五輪を見ていれば、結局、無理をしてしまう…、あるいは残業があれば会社にいる時間がこれまでよりも長く、きつく感じるだろう。体にいいわけはない。
それでも強制的にするようにするには世論の「EUでサマータイム制廃止の選択」と常識を払しょくしなければならない。それには世論を変える必要にせまっていく形をつくることにしなかればならない。それは、ある意味、「非国民」という死語の復活を意味することかもしれない。
それも、同じ言葉でなくてそれに近い言葉ができるかもしれない。その背景を考える前に、地ならしをしておくイベントをもりたくさんで放送する必要がある…。と考えれば今後の方向が見えてくるだろう。そんな「恐怖」を覚えてしまうのは考えすぎだろうか。ボランティアもあるのだろう。健康で暇なひとは参加してもいいが、強制はよくない。
週末はやっぱりお天気がいいです。
週末に和歌山の知人から野菜が届いていました。収獲の季節なのでしょうか。地球とうまく付き合っていく仕事とは気持ちがリラックスできることでしゅか。土は手をかけた分だけお返しをしてくれるのでしょう。明日からまた通勤電車は混みはじめるのかなあ…。
読んでくれた人、ありがとうございました。
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