秋が近づいているような毎日です。季節は着実にだれのことわりもなしにやってきているようです。毎日涼しくなってきました。おかげで晴れの日より曇りの日が多くなってきました。
9月がこんなに涼しくなるとは最近ないように思います。昨年は、もう少し暑かったのではないのでしょうか。そんなことは忘れて日々を送っていることに、ふと年齢を感じてしまいます。
東京五輪もパラリンピックも終わり、少しは静かになりました。五輪開催中はコロナ感染者は毎日がうなぎ上り拡大していました。このまま本当に開催を続けていいのだろうかと思う毎日でした。事実、期間中はこれまでにないほど増えた数字が日々目にすることが多い日でした。その対策は遅々として進まないなか、今に至っているようです。途中、横浜市長選挙が行われ、政府のコロナ対策への非難もあって、大差で与党の推す候補を大差で破った夏でした。そこで改めて、声こそ出さないが市民は怒っているのことがわかりました。そのなかで、もう一つの争点、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)がありました。カジノは必要かと思っていましたが、市民はそれよりコロナ対策の病院の方が必要だろうと考えたようです。さらには、誘致に関連した国会議員の秋元司衆院議員が贈収賄容疑で実刑4年の判決がでるほどですからますますカジノはいらなくなったということでしょうか。
そしてコロナ感染は続いています。夏休みも終わった学校も混乱しています。夏休み延長もあり、オンラインでデジタル教育をやる学校もあり、それぞれバラバラの状態です。これも、現在の政治の現実の結果なのでしょうか。そして、総裁選がはじまりました。
今秋、総選挙に向けた各党の動きが活発になってきました。とうとう、コロナ対策に多くの批判を浴びた菅政権は終わりになるようです。菅首相自身が退任を告知しました。
それにしても、菅政権は「説明のない政治」が多かったと言われています。事実、東京五輪でもコロナ対策も十分な説明がないままなだれこんだ日々がありました。説明がないのですから「責任」もないこともいわれました。「責任者」の顔がいまだはっきりしないようにも思えます。つまりはゴリ押しの政治ということなのでしょう。ですから、これまでの「桜をみる会問題」「森友問題」「学術会議」2などの説明はいまだにありません。
時が経つのが早いものです。もう、季節のことよりも今日をいかにうまく乗りきれるかが命題になっているようなことさえ感じます。時より、職場で若者と話すと話す声にも力強さを感じてしまいます。「・・・それほど言うのなら、実際形にしてから次へいくかが肝心だよ」ということをいつも言っているようにも思います。
理想を語る若者。現実をふりかえる老人。
それも少なくなってきました。おおよそ、コロナで会話の時間がなくなっていくなかで、本当に話したいことは時間がかかるものです。短時間で、うわべだけをどれだけいいつくろっても、実際の行動にうつしたときはそのボロは確実の形となってあらわれるものです。
流れ流れて、今があります。
職場を転々した分、窓から見える景色もちがっていました。
どこの景色がいちばんよかった・・・という気持ちはありません。どこでも心を癒す景色はみつかるものです。これって人間の本能なのでしょうか。いつでも、ほっとしたとき遠くを眺める先には何らかの思いを持てる建物があったりしました。その空気の中を横切る鳥や虫の景色もありました。人間がどんなに立派なシンボルをうちたてようとしても自然はマイペースなのだな思います。そんな力を知るたび、人間の飽きなき欲望がどれだけ人間を苦しめているのだろうかと、ふと思います。結果として、格差がつくられ、持つ者持たぬ物の格差がうまれ、とうとう格差が理不尽さをつくる社会がこれまで以上にできあがっているのが今でしょう。
スポーツの世界は「フェアプレー」を大事にします。同じ条件下でということなのでしょう。オフサイドというルールは「ぬけがけ」をいましてめています。社会の中にも、そのルールはあるのだと思う。いま、社会のなかにはたくさんのオフサイドがあるように見えます。そんな形でいつまでも続く社会は、ますます住みにくい社会が身近になってきているようになっているようです。
老体にムチ打って明日もまた、今月締め切りの雑誌の仕事がまっています。
少しは前月よりましなものにしようと思います。
今週、「緊急事態宣言」が再々延長されました。
私の会社の人にもコロナ感染の陽性者もでてくるくらいだから「当然」だろうと思ってしまう。少しも収束にむかっているとも思えなくなっている。こんな時、安心して生活できる医療施設になっているのだろうかと思う。陽性者も「自宅待機」という人も多くなってきているとも聞く。そんな中で、待機中の悪化によって亡くなってしまう人の報道も多い。そして、保健所などの足りないこともいわれてる。「安心・安全」といってきたが、なにが安全・安心なのかわからない。安心する材料さえ、提示されていない状況が現実なのだ。それでも、必死に命を守る医療従事者の活躍はいまは、説明不足の政治家より具体的だ。
日々、「感染者〇〇人」という数字は、単なる数字ではなく、一人ひとりの人生があるのだから。
ニューヨークの世界貿易センターに2機の旅客機が激突した日から20年目だそうだ。2001年9月11日である。
正直なところ、アフガニスタン、イスラエルなどの中東のことはまったくといって分からない。ただ、中東は昔から、「ソ連(現ロシア)とアメリカの代理戦争の場所」だと思う。それが、20年前突如、ハイジャックされた旅客機によって貿易センターに激突させたのか・・・。それが「テロ」になり、米国が報復のためにいちはやく、アフガニスタンに軍事行動を始めたということなのだろうか。
そして20年後、米国は一方的に、すべての駐留米軍を撤退したようだ。
けっきょく、米国は20年間の多くの人々の命を戦闘によって失ってきた。
そのことを思うと、ベトナム戦争のことを想起させる。
米国の信じる「民主主義」とベトナムの「民主主義」との衝突と、表向きは柔らかだが、やったことは戦争(軍事衝突)には変わりはない。ソ連の援助を受ける北ベトナム、米国の援助をける南ベトナム。双方の利益をベトナムという国で奪い合った形がベトナム戦争なのだろう。そんな中でいちばん利益を得たのは軍事企業ということ。多くの命を踏み台にして利益をだすこと現実が明らかになったことは他国の人たちも理解していた。だからベトナム戦争反対のデモが各国で起きたのだろう。そのデモに支えられ、結局米国は、戦争の意味さえわからなくなって撤退していく・・・。そして今のベトナムができたということなのだろう。*ベトナム戦争は『ドキュメントヴェトナム戦争全史』小倉貞男著 (岩波現代文庫)、『戦争の悲しみ』バオ・ニン著に詳しい。
しろうと目でみてもそれくらいはわかるのだが、今回のアフガニスタンもその根っこは同じことなのだろうと思えてくる。
ただ、ベトナム戦争のときのように、戦争の意味が混沌としていたとき、貿易センターのテロが起きた。そのことによって、ますます戦争の理由が「報復戦」になってしまったように思う。それでも、タリバンがゲリラ的に戦闘があり、ますます収拾がつかなくなった結果、撤退したのだろう。それも20年間の時間の中に戦争の形が「対テロ」といわれて変わったように見えるが、その本質は変わっていないのだろう思う。
誰かに煽られ(ヘイトスピーチ)て、意識のなかに暴力が正当化されつつあつ世の中になってきたのも今かもしれないように思えてくる。
最近、横浜に最新鋭空母クイーン・エリザベス が来た、ということもを喜んでいるときではないかもしれない。さらには、南西諸島に軍事施設が増えていることも報道されている。これは、対中国ということなのだろう。
昔、「仮想敵国・ソ連」という言葉があった。これと同じなのだろう。
いずれも、米国の計画でもあるのだろう。
戦争という言葉を使わない軍事行動があるとすれば、一国ではなく連合国で各国に責任を負わせたようにみせる。世界はそんな方向に進んでいるのではないのだろうか? その例が、今起きている各国と共同訓練をする形なのかもしれない。
20年前の同時多発テロという軍事行動も、その一つなのかもしれない。
被害者は誰も望んでいない、二度と繰り返してはならない・・・という。それでも起こしうるのが、軍隊という組織なのだろうと思う。
東京五輪・パラリンピックでは「多様化」ということがいわれていた。本当に多様化を認識して実践すれば、相手の国に勝手に侵略などしないはずだ。それでも、侵攻してしまう現実がなくならない・・・ということは、結局多様化ということがそれぞれの政治に本当に反映されていないからなのだろう。
今秋、総選挙はそんなところを考えてみたいと思う。
★おまけ
◎土曜日の午後。いつも楽しみにしていた『ポアロ』というテレビドラマが最終回だった。今回は、ポアロが挑むのは「殺人鬼」。それも、凶器も使わず殺人を犯す犯人ですから、どうするのか・・・と思っていました。この殺人鬼の凶器が「言葉」。心理的殺人教唆ともいうのでしょう。殺人を犯す相手の悪口を実行させる人間に、その気(殺人)にさせていく。これには、永久につかまらない。
連続殺人の謎を解いていくポアロがみものでした。
ふりかえって、日本という国もどこかの国によって戦争実行教唆のようなことに堕ち込まねばいいと思いました。でも、ありそうなことです。
アフガン戦争はこの諜報戦争であると聞きます。
とはいえ、最終回は残念です。来週から『刑事コロンボ』だそうです。これも楽しみです。
きょうはこの辺で失礼します。
まだまだ、続くコロナ禍での仕事です。来週は忙しくなりそうだ。
読んでくれた人、ありがとうございました。