日々徒然に

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コロナ感染「第4波」到来・・・

2021年04月25日 | Weblog
 こんにちは。
 新型コロナがなければ、なんといい季節になったのでは、と思う日々となってきあきました。新緑がとてもやさしい季節になってきました。今週は、かず少ない会話の中でも「新緑がきれいですね・・・」という日々が多く聞かれました・散歩道デモは小さな花々がいっせいに花をつくて楽しく歩けるもこの時期の特権だろうと思います。
 また、4月は、小学一年生や新社会人などの後ろ姿もみかける日でもあります。そして引っ越しをしている光景もみかける月でもありました。
 人生の出会いと別れ。そんな時期なのでしょう。どこでも元気にいられるといいうと思います。
 毎年、くるツバメがお店の軒下に巣作りをはじめたようです。今年は、コロナでその商店が閉店になってしまい巣作りはむりかなーと思っていましたが、いつのまにかつがいでがんばっていました。

 4月最後の土曜日。朝早く2ヵ月ぶりに散髪にでかけた。天気もいいし、寒くもなく、絶好の散歩日でもある。帰りにはいつものように電車に乗らず歩いて帰ってきた。途中、井の頭公園、山本有三館などを見ながら帰ってきた。駅前にはなんと人が多いことか。いっぽう公園のなかは人もまばらである(朝早いのでまだ人でもなかったようですが)。

 新型コロナはいまだに収束の形をもっていません。
 政府は、三度目の「緊急事態宣言」を出すもようです。東京五輪も100日を切って何かあせりを感じている宣言に思えたことでしょうか。
 新聞によると頼みのワクチン接種率は人口の1%。これは先進国のOECD諸国では最下位だといいます。
 これまでの「宣言」はいったい何だっただろうと思えてくる。最悪の思えたのは、感染にはやっていけない人の移動を増やす「Go Toキャンペーン」は最悪だった。その反省や教訓もきかれない(?)なか3度目の宣言です。これからは、連休前は「宣言週間」でもつくられるかもしれないと思えてきた。本当に誰のための宣言なのか・・・。誰もが「五輪は中止」だと思っていることへの打開策のだろうと思えてきた。ワクチンもうまくいっていない、人の動きも抑えられない、というなかで本当に五輪はやるのか。だいたい、感染が減らない国に選手がくるのでしょうか。そして、誰のための五輪になってしまっているのか・・・。
 今回は、政府も本腰をいれているようで、「休業・時短・給付金」なども経産省、厚労省では政策を発表していた。
 まずは、国民の安心をつくってほしいところです。

 久しぶりに文学作品を読んみました。これまで、年金や退職後の実用本ばかり読んでいて、ときにうんざりさせられたことを思い出す日々が多かったように思います。
 この本を読むきっかけは、帰りのバスのなか。最近おもしろい本を読んでいますか、という問いかけに新入社員の某氏に『豆腐屋〇〇』のという題名の本が読みたいなーという問いかけから始まった一冊でした。
 記憶をたどってみれば・・・『豆腐屋の四季』・・・作者は松山か、松本か・・という会話でした。「この人最後はいろいろな運動にかかわって〇〇」と思い出したがそれ以上の思い出すことができませんでした。電車を乗り換えるころ思い出したのが「松下竜一」という名前でした。
 松下竜一という作家で思い出すことは『風成の女たち―ある漁村の闘い 』というのが思い出されます海を埋め立て建設をめぐって反対運動にたちがった女たちの記録をかいた本です。「一寸の虫にも五分の魂」ということのように、人の暮らしには譲れるものと譲れないものが必ずあってそのバランスを保ちながら暮らしている人々を描いた作品だった思います。

 そういえば、私たちの生活はいつの間にか、譲ることばかり強いられてきたように思えることが多いようです。それも、強権政治によって、あるいは隠蔽されたなかで。暮らしのなかの譲れないことを守る社会のありかたもあるのでしょう。
 例えば、福島第一原発の廃炉でたまった汚染水。汚染水を海に放出するということ。やっと落ちついてきた地上から今度は海にその安易な解決策が示されたこと。
 「がまんも限界」でしょう。海で生活する人々の気持ちもをないがしろにしてです。まわりまわって、私たちの生活にもその影響がでてくるのでしょうか。

【感想】
 『豆腐屋の四季』は昭和40~50年代、60年安保、70年代安保という激動の歴史の流れのなか、大分県の中津というとろで豆腐屋とう仕事しながらみた世の中を記録したものだろう。その模様を、短歌でつづり、妻、老父、姉、弟を思い描きながら日々のくらしをつづったものだと思う。
 本を読みながら、私は、私の兄弟や父母のことを思うと正反対の自分がいるような気がした。相手への呼びかけもないから、私への答えもないのは当然だとしても、人はことあることにつながっていたいものだろう。
 一方で世の中の便利さが人と人の距離を遠避けてきやのかもしれないとも思う。
 便利さについうかれて生きてきて生活が豊かになる一方で、失われていくことに気づいたころは遅すぎて反省ばかりになっていたのはないのだろうか。
 作者は、貧しい中でも失っていけないものをの目の前に差し出してくれたようにも思える。つまり、誠実さや信頼。お金がなくても出来る限りのできることの大切なものを思い出させてくれたように思える。
 どこかで、だれかの頑張りが、誰かを励ましているような気のする本でもあり、なにを思い出させてくれる一冊であったように思える。
 いつの日か、時のながれの中で、世間のアカによごれ、自分自身があまりにも失ってきたものの多さがあると思ったら読み返したいと思う一冊だった。

■p42 いったい、ロケットが金星をきわめること、私たちの幸福と、どうかかわるのか? 小人の妄言だと嘲笑されようとも構わぬ。私が自分のただの一度の人生を捨石にされてはたまらぬのだ。人類の進歩という命題が、いかに大いなるものであろうとも、一個の命の重みもまた、地球を超えるということではにか。

■p05 我がつくる 豆腐の歌も 我が愛も つながりされど真剣になり

■p124 たどたどと 力こめけん亡き 母の鉛筆のの 文字十五年薄れず

■p196 失くす筈 なき箸探す 此の夕べ 我も老父も寂しくなりゆく

■p207 もう少し 音を小さく 働けど 老父が喚(よ)べり 真夜の臥所ゆ

■p220 夜業われ 折り折りのぞき来る犬が 眼の遇(あ)いしとき強く尾を振る

■p260 ひどいことになったものだ。胸の打撲の痛みがやっと消えたら風邪をひき、それゆえなのかたちまちひどい下痢が続いた。その結果だろう持病の腰痛が始まった。最初は大したことでないつもりだったら、昨日の朝、仕事中ににわかに痛みが激化した。それのみではない。私は初めて痔までわずらうことになった。

■p211 私が、なお店々に愛され優しくしてもらえるのは、私の精いっぱいの誠実が、いつしか信頼されるようになった。

■p273 mるで気まぐれにらゆるジャンルの本を読みふけっていたのだ。知識教養を得ようとしたのではなかった。ただ娯しかった。自在に分ける書物の中の別の世界が娯しくてたまらなかったのだ。・・・今、知識として残っているものは何ひとつない。だが、なにかしら豊かさなつかしさがふるさとのように心の底に残っている。

■p292 反戦デモ 集えるかたえ うつむきて 日暮れの豆腐を積みて急ぎぬ

■p293 こんな時代を私をどのような生き方をすればいいのか。私は今まで、ただ誠実におのが家業に精出し、人びとにおいしい豆腐あぶらげを提供すること生き方としてきた。妻を愛し、老父を尊び姉弟たちと助け励まし合おうとしてきた。人とは決して争うまい、邪魔にならないようひっそりと生きようとしてきた。世のために何もできないのだから、せめて税金だけでもごまかさずたくさん払おうと父と語り合ってきた。そんな生き方に徹してきた。だが、今や世は激しい動きは市民の一人一人に激しい生き方を要求し始めている。・・・軽蔑されて、唾吐きかけられても、私はひっそり生活したい。


 すかっかり春らしくなりました。公園では人をさけて新緑を楽しむ人たちが見られるます。一年に一度の新緑の季節です。こんな時期に外出自粛をしていたら、逆に感染にかかりやすい体になってしまいそうです。大事なことは、人の密をさけ自然をからだにとりこむ時期にはちゃんとそのときの空気を取り込んでいくことなのだと思います。

 先週は「更新」は休みました。
 なにやら、このコーナーも少しずつ小さくなってきました(その分謝写真でカバーしているつもり)。
 さて連休も近づいてきました。どんな計画があるのでしょうか。今年も色濃く緊急事態宣言のなかにいる休みになりそうです。おそらく、昨年同様に家の周りをうろうろしていることでしょうか。それでも、何か新しい発見があるといいですね。
 
 それでは、今週はこの辺で失礼します。
 まだまだ、仕事がぼやき続ける日になりそうです。
 読んでくれた人、ありがとうございました。