日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

連休なれど、どこへいったやらの日々です。

2019年04月28日 | Weblog

 

  こんにちは。はやくも10日間の連休がはじまりました。盆暮れでさえこんなに長い休みは学校時代の夏休みや冬休みいらいのことでしょうか。仕事をするようになっては、身内の忌引きが結婚以来の休みともいえるのではないのでしょうか。いずれにせよ、働くようになってから、用事がない休みは初めてだといっていいでしょうか。過ごし方によっては、薬にも毒にもなる10連休をどうすごしているのでしょうか。

 さて、ぼくの場合といえば当面は今まで出来なかったことを一つずつやる日々でもあります。その一つに「山歩き」がありました。休日を利用していつもの高尾山にいってきました。連休ということもあって混雑するのだろうと考えていたのですが、実際のとこrそれほどの混雑もなくゆっくり歩くことができました。この時期のいちばんのお目当ては、なんといっても花を見つけられることがよかったですよ。

 さて、そのほかにやることといえば身の周りの資料整理(役にたつとは思われないけれど)もあります。まあ、ガラクタかなー。ニュースの記事などもありました。10日間という日々ではたいしたことができないいと思います。それでも、目の前のできることから始めるしかないようです。

  

ヒトリシズカ(センリョウ科)高さ10~30㎝の多年草。

イカリソウ(メギ科)

 

ムラサキマムシグサ(サトイモ科)

花の名前参照『高尾山 花と木の図鑑』(菱山忠三郎著・主婦の友社)より

 「1カ月に一度は山歩きをやりたい・・・」と思っているうちに月日は過ぎとうとう春になってしまったように思う。せめて、春の連休には実行したいと思っていて、やっと行くことができたという一日でもあった。昨日の雨もあり「どうかな」心配していた。でも、そのおかげで陣馬高原からの富士山や丹沢方面の残雪がとても美しかった。

 この時期山るきのお目当ては景色よりも、春を待っていた花たちを見るのも楽しみでもありました。山道を歩いていると、道脇にけなげに咲いた花がたくまさしを見せる季節でもありました。この時期をのがすと、おそらくもう一年間はおめにかかれない花もあります。(写真)

 若いころは、はやく登って頂上で料理をしてうまい昼ごはんが目的だったようだった日々から、今では人知れず、一年を耐え抜いた植物の美しい姿を見に出かけるようになったように思う。その分、歩きながら道脇の草むらを眺めるのでどうしてもゆっくりなってしまうので、できるだけ早く出かけるのが原則になってしまうようになった。早起きは苦にはならない。この時期は、日の出も早いのでうれしいことにもなっている。

 年々、山歩きをする目的も少しずつ変わっていくようだ。高い山にいくのも楽しい山歩きになる。ただ、体力が高度差についていけないことを受けとめることも大事に思う。事実、今日、「北アルプスで遭難」というニュースも流れている。

※「山岳遭難 4人死亡」(朝日29日)富山県と岐阜県の堺の北ノ俣岳(2662m)、富山県の雷鳥沢(2560m)、長野県の槍ヶ岳(約2800m)、唐松岳の八方尾根付近(約2500m)で遭難者があいついで発生している。みんな死亡が確認されている。


 

  4月がきたと思いきやもう月末という思いです。初旬は長い間いっしょに仕事をしてきた知人の訃報だった。中旬では、出向先では尊敬する編集長が倒れて、即検査、そして入院をしてしまいました。人間の寿命がいつなのか、どこでなのかとうことを考えた日々でもありました。生命あるものはいつかは息絶えて死を迎えるものだとは覚えていてます。それにしてもこうもたて続けに周辺で起きていると、自分にもどかで「寿命のシグナル」がどこかで小さく鳴りはじめてくるころではないのだろうか、といことを感じています。まさに『平家物語』の冒頭「諸行無常」の世界でもありますか。

 

p31 喧嘩なら相撲取りともやって見せるが、こんな大僧を四十人前へ並べて、只一枚の舌をたたいて恐縮させる手際はない。

 p35 おれは何事にもよらず長く心配しようと思っても心配できない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈するかまるで無頓着であった。

 p38 冗談も度を過ごせばいたずらだ。焼餅の黒焦のようなもので誰も誉め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押して行っても構わないという了見だろう。

 p52 おれは勇気がある割合に智慧が足りない。こんな時にはどうしたらいいかさっぱりわからない。わからないけれども、決して負ける積りはない。

 p67 「どうせ経験には乏しい筈です。履歴書にもかいときましたが二十三年四カ月ですから」

 p179 (坊ちゃんいわく、四国の不浄の地を去った後)その後ある人の周旋で街鉄の技手になった。 月給は二十五円で、家賃は六円だ。清は玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒に今年の二月肺炎に罹って死んでしまった。死ぬ前日におれを呼んで坊ちゃん後生だから清が死んだら、坊ちゃんの御寺へ埋めて下さい。御墓なかで坊ちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

 短気でケンカ早くて、誰にた新潮社文庫案内よりいしても見栄をはらず馬鹿がつくほど正直な坊ちゃん。こういう人間は世の中にはなじめずはじきだされることが多いだろう。それでも、一つひとつ坊ちゃんの理屈をならべれば知識などよりはるかに大切な味わいのある人間だ。世間という中にあっては生きづらさもある。それを支え、励まし応援してくれる人が清なのだと思う。そして坊ちゃんも清ほどできた人間はいない、と語る。四国の赴任先で教養のある人間に囲まれていく日々。生徒や「狸」「赤シャツ」「野だいこ」とあだ名をつけたな人間たちの中での生活は、まさに今の社会の今をうつしだしているかのように見える。

 人はそれぞれ置かれた時代や場所によって、その時代の人間に変わっていくことを強要されている。それがいかにも「大切だと」というように時代も一緒に追いかけていく。追いつくことを励まされ、応援され追い着き着地点につこうとする。そうして変わっていくことが、あたりまえであるかのように時代は励ましている。だけれども、それがその人の本当の姿のかは別であるのだろう。自分自身を置き去り、忘れたところで気づかされてくれる人が、それが唯一無二の親友なのではないかと思う。身のまわりにそんな人はいるのだろうか。ケンカ友だちであれ、幼なじみであれ、家族であれ。自分のまわりにいる人間で、清のようなやさしい人はいるのだろうか、そしてそんな人に気づいているのだろうか…。誰かの思いをいつでも持ち続けたいという人がいるのだろうか。そう考えると無鉄砲な坊ちゃんは幸せな人だったのかもしれないと思う。

 【内容】熊本の高等学校を卒業して、東京の大学に入学した小川三四郎は、見る物聞く物の総てが目新しい世界の中で、自由気儘な都会の女性里見美禰子に出会い、彼女に強く惹かれてゆく……。青春の一時期において誰もが経験する、学問、友情、恋愛への不安や戸惑いを、三四郎の恋愛から失恋に至る過程の中に描いて『それから』『門』に続く三部作の序曲をなす作品である。(新潮社文庫案内より)

p15 元来あの女は何だろう。あんな女が世の中に居るものだろうか。女と云うものは、ああ落付いて平気でいられるものだろうか。無教育なのだろうか。大胆なのだろうか。それとも無邪気なのだろうか。要するに行けるところまで行ってみなかったから、見当も付かない。

p106「この空を見ていると、そう考える。―君、女に惚れたことがあるのか」三四郎は即答ができなかった。

p190 三四郎が広田の家に来るには色々な意味がある。一つは、この人の生活にその他が普通とものと変わっている。ことに自分の性情とは全く容れないところがある。そこで三四郎はどうしたらああなるのだろうと云う好奇心から参考の為め研究に来る。次にこの人の前に出ると呑気になる。世の中の競争が余りに苦にならない。野々宮さんも広田先生と同じく世外の趣にあるが、世外の功名心の為めに、流俗の嗜欲を遠ざけているかのように思われる。

p247 三四郎は思い切って、この間国元へ三十円の不足を請求した。充分な学資を月々貰っていながら、ただ不足だからと云って請求する訳にはいかない。三四郎はあまる嘘を吐いた事のない男だから。請求の理由に至って困却した。

p260 下宿の二階へ上って、自分の室に這入って、坐ってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこう云う風の音を聞く度に、運命という字を思い出す。ごうと鳴って来る度に竦みたくなる。自分ながら決して強い男とは思ってはいない。考えると上京以来自分の運命は大概与次郎の為に製られている。

 読み終えて考えたことは、青春時代ってというのは「いつも誰かの(女性)のことを笑顔を求めて暮らしていた」ということだろう。とはいえ、個人的にそうであっても他はしらないが・・・。それでもいつでもどこでも女性はいた。あるときは、それが理由であったり、あるときは励みでもあったりした。失恋もするが、それでもまた、新しいめぐり合いを求めて動きまわっていたように思う。こと、青春時代には「めんどう」などとは思わなかった。小説「三四郎」も表面では冷静を装っていても、心の中はいつも女性の影があったような小説である。

 時代は変わる。28日の「天声人語」(朝日新聞)を読んでいたら、今の恋愛観のことを書いていた。日本の近代化には恋愛は必要だと説いた福沢諭吉を紹介し、さらには芥川龍之介、林芙美子、竹久夢二などの言葉を載せていた。そして今。内閣府が数年前、20代と30代の男女に「恋人を欲しいですか」と尋ねたところ、欲しくないと答えたのが4割もいたという。最も多い理由うは「恋愛が面倒」だとか。新聞ならぬ、ぼくもこれには驚いてしまう。いったいどうなっているんだ・・・、とも思えた。男性にとっては女性の存在は、どれだけ力になっているのか、もったいない。「原始、女性は太陽だった」ではないか。これは極端すぎると思うが、「非正規社員」が増える理由の一つもあるように思えてくるが。これからの三四郎はいったいどこへいくのだろうかと思うのだった。

 
【富士に月見草がよく似合う】
 ぼくの記憶が正しければ「富士には月見草がよく似合う」といったのは『富嶽百景』のなかで太宰治だと思う。これは、山あいのから見た富士山をみたのだろう。日本人であれば、おおよその人は富士山をいろいろな角度から眺めているのではないかと思う。ぼくが子どもの頃は、通学路の道から空気が澄んだ冬の日などはよく見えたものだった。西に富士山、東に筑波山がみえたものだった。それも、頭だけの富士山だった。

 あれから半世紀近くたった今では、通勤電車のなかでもその姿は見えている。朝は雪景色の富士山、そして、帰りにはうんがよければ夕焼けの空の下、真っ黒なになった富士山。そんな眺めをみる機会はよほど余裕がないければ見えないことは事実になった。目に入る景色から、目にいれる景色に変わったきたのも時代がそうさせていったのだろうと思う。事実、富士ヶ丘とか富士見町などの地名が付いたところは必ずどこからか富士山が見えたという。しかし、それがビルが建っては壊されまた建つ繰り返しの時代によって、とうとう見えなくなったということをよく耳にする。

 ぼくにとって、いまいちばん富士山の景色がきれだなと思う場所と時間は、通勤帰りの駅のホームから見える、オレンジい色を背景にした真っ黒な富士山だ。一日の仕事がおわる夏の夕方、駅のホームから運がよければ夕焼け空の中、ビルの間から見えるのだった。見ていると、どっかりと黒い山の姿が美しく、そしてどっしりとして「動かざること山のごとく」の山らしい姿である。そんな眺めの中で、「人生なにがあってもこんなふうにしっかり、大地に根をおろしていたいなー」と思うからだろう。裏を返せば、それだけ今のいるところが不安定なのかよくわかるような気もしてくるのだった。


 「10連休」がスタートしました。どこへいくのでしょうか。職場の上司は「故郷へ帰ってくる」といっていました。そこで、「正規社員はいいなあ」と思い、契約社員になって給料も減らされた今となっては、遠いところは無理だろうと思えてしまうのでした。そもそも「後期高齢者雇用促進制度」が消えるにも時間の問題でしょうか。それは「65定年制」になればいらなくなるだろうし、さらに「働き方改革」で「70歳定年制」にでもなったら、忘れられてしまいだろうと思えるからだ。

 いったいこの国の企業は正規社員をほんとうにつくろうとしているのだろうかね。なぜなら、派遣会社がますます大きくなっていく時代です。それで、政治にも大きな影響力を持つようになっている時代ですからねえ。大手企業があるということは、それに関連した下請け、孫請けというのも存在するであろうし、ますます繁栄しないわけがないだろう。そして、派遣社員となった人たちを束ねる労働組合も細々とあるにはあっても、そうとう腹をくくって闘わないといけない状況がある。ブラック企業という時代はなくなっているわけではない。そんな時代に「子どもをつくろう」とか「女性の活躍できる社会」とかいう政治スローガンは、白々しく聞こえてくるのはぼくだけだろうか。
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※ちなみに朝日新聞27日号に「非正規2117万人」平成年間で2.6倍という記事がありました。「『平成』は非正規雇用者が増え、東京一極集中が強まり、魚離れも進んだ――。平成最後の平日となった28日、政府統計を用いて30年間の変化を分析した結果を総務省が出した。非正規労働者は2008年リーマンショック後の派遣錐や年越し派遣村など、平成を通じて正規雇用者との待遇差や不安定な地位が社会問題となってきた。1989年817万人から18年には約2・6倍の2117万人に増え、いまや就業者数の3人に1人が非正規になった。一方で18年の正規雇用者は3423万人で微減した。」
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 と伝えている。これでますます不安定な社会であることが証明されている。さらに派遣会社がますますハバをきかせる世の中になりつつある。働く人たちはばらばらにされていく、と思う。
 なんとも怖いのは、身内が身内を見放す(見放すしかない)ような時代の足音がだんだん高くなっているように思えることだ。父親が自分の娘を性的暴行しても判決では「無罪」となる国になってしまった。いったい誰に助けを求めりゃいいんだ・・・という時代でもある。

 今のところ、10連休になっていちばんいいことは、レジャーや買い物ができることじゃなくて、自分の身の周りを客観的に見る時間少しできたと思うことぐらいだろうか、ね。
 さて、休日の後半はどんな休みをとうのでしょうか。ぼくは、あいかわらず金のかからない貧乏休日ですが・・・。
 4月も終わります。知人の訃報、仕事先の方の入院など・・・。大変な4月でもありました。平成が終わろうとこの流れは続きます。自分の体も同様な年齢の人たちの災難を多く聞きます。少し注意していきたい5月です。
 ちょっと、更新がずれてしまいました。(記録は、日曜日ですが実際は遅れて更新しています)。まあ、休みなのでお許し下さい。それでは、楽しい休日を送って下さい。
 読んでくれた人、ありがとうございました。