日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

朝の涼しさを感じて…

2018年08月19日 | Weblog

 こんにちは。
 「危険な暑さ」は今週は少しずつなくなっていくような一週間でした。通勤電車ではまだ夏休みの人もいるせいか、すいていて乗りやすい日々でした。朝いちばんに感じる電車のストレスがなかたようにも思います。とくにデイバッグを背負う人へのストレスはいちばんでしたが、電車内にスペースがあるとそれほど気になりませんでした。

 休みは、故郷で過ごしてしっかり休養ができたのでしょうか。ぼくのほうは、今年の変則的な休みの中、散歩(多摩川)と甲子園の熱戦を見ていました。そして、どこへも行かずただただ暑さを感じながら日々を送った次第です。徳島の親戚では阿波踊りが不安視されていたようですが「地元の人は同じようにやったよ。世間が騒ぎすぎる…」との返事でした。地元に夏だけ観光地化するところはいいものです。それを見に来る人、それをむかえる人など楽しい夏休みがあるのだと思います。事実、ぼくも以前はよく帰省していました。盆休みの間だけは町が活気があって、どこへ行くにも観光者の人にあうことが多い日々でした。
 いまではそんな光景も遠い昔になっています。




 自らに批判的なメディアを「国民の敵」と執拗に攻撃するトランプ米大統領に対抗しようと、米国の多くの新聞が16日、報道の自由を訴える社説を一斉に掲げた。だが反発するトランプ氏はメディアを批判した。民主主義の基本である「報道の自由」を軽視する最高権力者の姿勢は、米国民のメディア観に影響を与えてりう(ニューヨーク)

 これまで新聞は「社会の木鐸であれ」といわれてきた。字が読めればおおよそその日の出来事の一部を知ることができるのが新聞であると思う。今ではスマホやパソコンなどでその役目を広げてるが、いちばん安くてみじかなのが新聞だろうと思う。

 そういえば、作家の百田尚樹氏(59)が、自民党の会合で発言した「沖縄の2紙をつぶせ」思い出しました。辺野古新基地移設計画に反対する沖縄の人々の情報誌「沖縄タイムズ」と「琉球新報」のことをいっているのでしょう。なんとも怖い発言があるかと思う。新聞が権力の言い分ばかり聞いた結果、太平洋戦争当時の国民に嘘ばかりの新聞ができあがったのではないのでしょうか。その結果、多くの戦争犠牲者をだした悲劇があったではないのでしょうか。そのことを踏まえて、今では、新聞が「真実」をつたえる役目を大きくになっているということでしょう。

 いつの時代にも、いちばん人々が信用しているはずのマスコミ(ジャーナリスト)に裏切られることがいちばんさびしいものです。国の運命までもきまてしまうことさえあると思います。今のジャーナリズムに敬意を表して、これからもがんばって欲しいと思います。


 改正労働者派遣法の施行から丸三年となる九月三十日を機に、派遣労働者が契約更新を断られる「雇い止め」が増えそうだ。三年の期限を超えて同じ人を同一部署で働かせることができなくなるためだ。好景気とはいえ、雇用の調整弁として使いたい企業のニーズはまだまだ強く、同法が目指した正社員への転換には壁がある。…派遣から三年経過した労働者に引き続き同じ仕事をさせるには、派遣先の企業が正社員などとして直接雇用するか、派遣会社が労働者と期間の定めない無期雇用を結ぶことが必要になる。簡単に解雇できなくなるため、二の足を踏む企業や派遣会社は少なくない。

 派遣聾者の雇用の安定をはかるためにできた「改正労働者派遣法」から考えれば、3年以上同じ職場で働いたら正社員にするか無期限契約をするかになってくる。そこで、企業は人件費をうかせるために「雇い止め」という方法をとってくる。それは、雇用を延長しないということになる。本人が希望してもでもある。これはオカシイではないと思う。
 ぼくの職場にも派遣労働者がいるが、3年後いったいどうんなことになるのだろうか…。あくまでも、企業は「調整弁」としての失業者をつくりたのだろう。だから3年で終わりということにしてしまうだろう。でも、一体今まで働いてきた人のなかには「3年後正社員なれる」で頑張っている人も多いのではないか。さらに、同じ職場で働きたい考えている人もいるだろう。
 まったく、どこまで人を馬鹿にしているのだろうか…。




【多摩川】
 休日の日はほとんど朝の多摩川歩きから始まる一日。雨や雪が降ってものんびり川を見ながら歩く日が、ここ10年ばかり続いている。途中街路樹の花や景色を眺めては季節の移り変わりをいちばん感じるところになっている。
 土手では、老若男女が野球、サッカー、クリスビーなどおもいおもいの体力を見せているところでもある。春から秋にかけては「還暦野球大会」が毎週開催されていて、同じ年齢の人たちが野球を楽しんでいるのを見るにつけ、勝ち負けよりみんなで野球がやれる喜びのほうが先のように思える。

 雨の日などは静かな多摩川では流れる川の音がいちばんよく聞こえる。雨の日には人影もまばらで静かで、運がよければカワセミという羽のきれいな鳥がエサをねらってじっとしている場面に出くわすこともある。
 今は、スポーツを楽しむ人たちの声と遠くから聴こえるセミの鳴き声がいちばん聞こえる季節なのでしょう。

 最近の雨は豪雨にすぐ変化するようで、こんな時は多摩川の水域も怖いほどになる。水が濁って大量の水が勢いよく流れていくさまは「危険な川」を感じさせ、恐ろしさを感じるときもある。とくに台風の過ぎた後の多摩川の姿でもある。
 作家の山田太一さんの『岸辺のアルバム』という小説は多摩川氾濫を描いた小説がる。氾濫によって家族の情景を小説にした作品である。人それぞれの人生のなかに自然の驚異が襲ってくる…。そんな小説だったかなあ。家族のゆくえはどうなるのか(わすれましたが)。

 とはいえ、10年ばかり歩いて気がつくことはこの散歩がぼくの唯一の運動なのかもしれない、と。一週間の人とのストレスをここでうまい具合に流しているのかもしれない。日々の澱(おり)をここで流してバランスをとっているのかもしれない。ただ川の音を聞きながら歩いては止まり眺める週末である。
 
※ちなみに多摩川の源流は奥多摩の笠取山だそうです。いつかいきたいものです。そして最終は東京湾・羽田空港沖です。こちらは熱中症になりながら行ったことがありますが。もっと涼しくならないと危ないと思います。

『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる』
 という風が吹いていく。



 はやいもので夏も過ぎていくようです。始まってからは「危険な暑さ」ばかりの日々でしたが、涼しくなってくると忘れられていくのでしょう。
 今年は戦後73年。各地で祈念式典なども行なわれいました。いちばん大きい「全国戦没者追悼式」も行なわれいました。誰しも戦争ということには賛成する人はいなのでしょう。そして式典の役割は、戦争になってしまったことへの反省への上に立っての「追悼式」なのでしょう。
 とはいえ、日々の生活の中で感じることは「戦争へと足音」が少しずつ大きくなってくるような出来事もあることに反省がないように思います。それは、これまでの国会のあり方をみればわかるように思います。なんでも法律を強行採決していく形がまさに危険な姿なのではないかと思います。それがまさに具体的に身近に感じたのは「憲法改正」ということでしょう。今、自民党の総裁選が始まろうとしていますが、ここでの論点は「憲法改正」があるようです。

 とくに「憲法9条」について改正がもくろまれていることが報じられるたびに「戦争」のできる入り口にきているようにも思います。
 もういちど考えるべきは「戦争」へ突き進む内容の歴史でしょう。

 その意味で以下に「村山談話」の内容は大切です。長くなりますが…。

【村山談話全文】
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

 ※日本人は「忘れっぽい」とよく言われます。これは忘れないでください。
 実際の生活にはなんの役にも立ちそうにもない「談話」ですが、最終的には政治の世界に入っていくとき、こういうことが大事になってきます。



 「危険な暑さ」もどこへやら…。
 いつの間にか涼しくなってきた。これから寒くなっていくと思うといやだなー、と思う。
 今月、朝10分ほど早い電車で通勤していた。そうすると会社にはこれまでの20分ほど早く着いていた。あまりの暑さに混雑しない電車を選んでのことだった。これが「サマータイム制」なのかな…と思い通勤していた。
 ぼくの場合、再雇用ということもあってほとんど定時で帰って来る。週に一度の残業くらいである。だから続けられるのであろう。実際、夏の間だけ「サマータイム制」ができると朝早く行っても、お客の方がそれに対応しなければ残業になってしまえばこれまでよりは多く働くことになってしうまうという最悪のパターンができてしまうのではないかと思う。

 2020年東京五輪の時期だけというけれど、これも困った出来事である。
 この今年の暑さの中、代表選手はプレーするとなると危険な気がする。
 そんな気がした夏だった。

 もうすぐ夏も終わるだろう。夏休みの学生たちも動き出して人も多くなり電車も混雑するだろう。東京五輪のときはもっと混雑するだろうなあ…。どうやって帰ってきたらいいのやら。
 来週はちょっと忙しくなりそうだ。ボチボチと思いつつやるしかあるまい。

 読者の皆様はどんな夏休みを過ごしたのでしょうか。
 ぼくの方は、涼しくなってきたので山歩きでも…と思案中です。
 月末には、夏休みを消化しておこうと思う。
 ということで今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。