こんにちは。
メーデーも、憲法記念日、子どもの日も終わり、連休が終わります。
今年の連休はとても天気がよかったのが印象的でした。例年なら、休みの真ん中あたりに雨が降り、雨がやむころには休みが終わっている、というところでした。今年は、1・2日が雨でしたが、あとは晴れていました。おかげで、外歩きがたくさんできた休みでもありました。
とはいえ、どれもいい状態にないことは連日のニュースなどでいわれています。第89回メーデーでは、「働き方改革」というテーマがありました。「残業時間の無料化」への動きのなかで「過労死」がますます増えてくるのではないかということがいわれていました。さらに、官僚による「セクハラ」問題がありました。このセクハラにさらに、ジャニーズのトキオのメンバー少女虐待問題が一緒に上げらていました。どれも、労働環境が悪くなるいっぽうの状態は変わっていないということでしょう。
憲法記念日では、安倍首相は「改憲」をいまだに目標にしています。憲法は変えるより、本当にその法律が守られているんか実証するのが大事なのではないかと思います。憲法を変えるということは、その時代の権力者の拘束を緩めるということです。それを権力者自ら変えるといことはいいことではないことになるでしょう。なぜなら、自分の都合のいいようになってしまうということがあるからです。「押し付け憲法だ」とか「時代に合わない」とかいうことがいわれています。一方で「日本の憲法は世界に誇れる平和憲法」ということもいわれています。どちらも、なんらかの利害がはたらいているのではないかと思います。とくに「憲法9条」の「改憲」があれば、絶対に国防予算が増えて、その増えた部分の替りに社会保障や教育などの予算が削られるか、あるいは消費税をあげるようになるのがこれまでも状態でしょう。ならば、変えることはないということの方が働く人にとってはいいに決まっていると思います。
そして子どもの日。
子どもは37年連続減の1553万になっています(総務省の4日発表の人口推計では14歳以下の子どもの数は1553万になっている)。前年比17万人減。総人口に占める割合12.3%と1950年以降、過去最低となりました。その背景には、「子ども食堂」や「児童虐待」、さらには「いじめ」などがあることはニュースでも多く聞きます。
これらのどれも、働く環境が悪くなっているから憲法も子どもも、全部悪くなっているように思えます。人が安心して働けて、経済的に余裕ができれば、もう少し両親が子どもにも目を向けられるだろうし、教育にも希望をかなえられるようにするだろう。いまは、低賃金で長時間、働くだけでせいいっぱいの時代になっているように見えます。あえぐの果て「過労死」になるような労働条件で、子どもを産みたいと思う人がいるようには思いません。
その結果、格差が生じ富める者はますます利益をよる仕組みになり、貧富の差が大きくなり「頑張ろう」という希望さえも奪ってしまっているように見える。その結果、「年金」にも波及していきまます、老人いも住みにくくなっているのが現状だろう。
いずれにせよ、働く人たちにとっていい環境づくりが、子ども、老人にとってもいい環境づくりの一歩だということです。これは、過去の歴史がちゃんと証明しています。貧しさがあらゆるものへ波及していくということだと思います。5月の連休も終わり、またこれらの問題が始まっていくことは変わりません。悲しいかな今の与党政治はすでに自浄作用がなくなっているように見える中、ますます悪くなっていくということは誰も理解することでしょう。もちろん年金暮らしにも影響は大です。
五月
五月の雨音をきく
いくつものは雨粒が地面をたたいては消える
「はるダヨ…」といくつもの
地面にノックをしている
生き物たちはその音に春を聞くのだろうか
いっときの休息をとる人は
「ひと息…」と思いながら
休みをうけいれている
それでもいつかは暑い夏のおとずれに期待をふくらませ、一日が消えていく
思い出は南風にのって遠い記憶が運ばれる
その思いが北風の過ぎ去ったあとに聞く
「お前はいったい何をしにやってきた」と。
はるか太平洋の空にぽっかりと浮かぶ雲
五月の雨が運び来る
遠い記憶、遠い思い出
今日という一日に何かが聞こえてくる
雨が地におちる音に
消えては甦るその時間
「アリガトウ」と感謝の気持ちだけがよみがえってくる
五月の雨に
きっとくる青い空を期待している
五月の連休が終わります。あまり考えたくないことですが…仕事が始まるころ「どんな連休をおくりましたか?」という会話もでてくるのでしょうか。
ぼくの方は、毎年行っている一年に一度? の「老人たちの遠足」にいって来ました。遠足とはちょっと大げさかもしれませんが、定年を過ぎた職場の人との食事会のようなものです。若いころは、各自がそれぞれ自分の予定を必死に遊んでいたのでしょう。体力もあったでしょうし、一生懸命思い出をつくっていたのだと思います。
そして、還暦もすぎても頑張れるかと言えば「ちょっとムリ」ということでできることは、近所を散策して今まで通り過ぎてきた町並みを歩き、美味しいものを食べる…ということで連休の一日をすごすことをしています。今回は2回目にあたります。中には大病も経験している人も増えていく年代です。年金一人暮らし、あるいは家族をもちつつの人たちのぼんやりした遠足です。
今回は東急沿線の武蔵小山(ワンショット参照)に集まりました。
それぞれの田舎から出てきてすでに東京暮らしのほうが長くなったことを再確認した集まった一日でした。そして、変貌を繰り返す年の都市計画に翻弄(ほんろう)されてきた自分たちの周りにも目をむける時間でもありました。それが、本当に便利になったのか、よかったのか…、上を見上げるたびに考えることが多いようでした。
道々歩いていくと、昔は簡単に覚えられた道や、見晴らしのいい景色も大きなビルがたちははだかり、迷うばかりの遠足でもありました。
迷っては戻り、戻っては探した食事の場所は昔ながらのちょっと汚れたお店の方が安心できるのでした。
年々、行動範囲が狭くなっていくようです。ぼくがいまいちばんいい遠足はとはいえば、本当に低い山を歩いて、温泉に入りたいものです。きっとビールがうまいことでしょうか。
遠足のメンバーもあと何年一緒にできるのだろうかと思うこともあります。人それぞれ体や財布と相談して生きていくしかないようです。
また、年末に寒い中の遠足も楽しみにしたいものです。
【武蔵小山駅】
連休後半に旧友が集まって飯でも食おうということになり、「武蔵小山」に会うことになった。降りた駅は、武蔵小山かと間違えるほど、ぼくの記憶とはちがった風景があった。
40年ほど前、ぼくは学生として、よく歩いた町でもあった。当時、今日のような人たちはいなかっただろう。高層マンションもなかった。電車は踏切の上を走っていた。駅前の住民は、きっと昔からの住んではいた人達ではないだろう。歩いてみると、古いお店は看板をだして移転先を案内していた。今やアーケード街は、その日の観光客ばかり目立っていた。事実、人気のお店の前では長い列が多くみることができる。
それでも観光客ばかりのいる列を抜けてちょっと道からはずれた先には、昔ながらの町並みもあった。住民が軒先の花壇に水をさしている姿もあった。これが、ぼくが40年前に多く見た景色だったにちがいないと思った。そして、軒先の水やりの風景のなかに、20歳代のぼくが歩いていた。
学生のころ、クラブ活動の先輩のアパートを訪ねていたことを思いだす。訪ねては、先輩の趣味の音楽のLPレコードを聴いていた。ピンク・フロイドの『狂気』というアルバムが好きになった。ダイヤトーンというスピーカーやサンスイという音響機器の名前もそこで好きになった。先輩曰く「この作家はこれからどんどん出てくるよ。読んでおくといいよ」と言われた作家が藤沢周平だった。おかげでぼくは、いまでも好きな作家となっている。そんなことを語り合ったところでもあった。
もう一つ忘れられない思い出の場所でもある。ぼくが社会人になった職場の上司がここの住人だった。映画の話や野球の話は、玄人顔負けの人で、僕と話していてもきっともの足りなかったのではないかと…、今では思う。それでも、公私で話しやすい上司だった。いちばんよかったのは自分の趣味や主張をおしつけない性格がとても好きだった。時々、ぼくが所属していた職場の草野球チームを応援してくれた人でもあった。語り口がまさしくよく聞く「江戸っ子気質」でさっぱりした人だった。ラジオ番組で有名な毒蝮三太夫さんのような感じの人だった。
定年してしばらくして、がんで入院したときき、何回かお見舞いに行った思い出もある。何年かした後、その訃報を聞いた。最期はどんなだったのだろうか。半年くらいして、上司がよく通った飲み屋さんで休日に「お別れ会」をやった。いまだにそういう幅の広い上司にあったことはない。ぼくにとっては、「人間の宝物」みたいな人だった。最近の保身ばかりの上司を見るとつくづくいやになったとき、ふと思い出す人になっている。
月日は流れて40年後の駅を見上げては「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」(芭蕉)と思う。人の流れのなかでふと立ち止まってみるとぼくが一番、長く持っていたい人の風景をつくった駅でもある。
とはいえ、駅の変わりようをみてつくづく問の流れの大きさに身震いした駅だった。便利さがや効率性が最優先された駅にも見えてくる。それでも、新しい歴史が流れていくのだろう。
【余談】「非日常」だから面白いことも多い。だからといって…自分のいるところは見失わないようにしたい。ある受刑者の脱走から考えることは…。
連休の間は、働いてもいないせいかなんとなく忘れるものをしているような毎日です。
休んでのんびりしていることが「非日常」という気持ちがありました。そして休みが終わると「日常」にもどってきます。再雇用契約社員という身分にもどるということです。本当はそんなわけ方をしたくないのですが「日常」の現実があまりにもかた苦しく、息苦しいせいか休んでいることが「非日常」になってしまうのかもしれません。
先月末に、愛媛県今治市の松山刑務所から受刑者が脱走して一週間ばかり逃走をしたニュースがありました。町は騒然となり、日々不安の日常を送ったとのことです。脱走者にとっては、刑務所にいることがつらかったのでしょうか。受刑者にとっては、脱走することによって逮捕されるまで自由の身となり、「非日常」がめぐってきたことになりました。ということを考えれば受刑者にとって脱走は「日常」から逃避だったのでしょう。その行為をみて、「それは脱走した受刑者だけにいえることではなく、日々生活しているぼくにもいえることではないのかな…」と思えました。いっときの逃走できる日があれば、今までの自分の反省も社会のありようも忘れられるのではないかなと思えました。
とはいえ、受刑者が受刑者らしく「日常」をつくる方法は服役することです。犯罪者ですから逃走する理由にかかわらず法律上、罪になってしまうのだと思います。
ではぼくはどうなのか。契約労働者です。ならば契約労働者の「日常」はどうやってつくるのでしょうか。働いて、賃金を得て、暮らしのローンを払えて、食費も稼げて生きていくことでしょうか。それがあたりまえになっているのでしょう。この当たり前がくずれた時「非日常」を「日常」に立て直すために頑張るのでしょうか。そのなかに「非日常」ということを考えていくのでしょうか。そう考えるとぼくの「非日常」はいいものではなくなります。夢にまでもみた「非日常」が「日常」をくずすことになってしまっている。
そんなことを考えてみると「○○らしく」ということが日々の生活の中で大事なことなのだな、と思えます。ぼくにとっての「○○らしく」は「契約労働者」らしく、なのだろうということです。ということは、有給休暇も賃金も、残業時間も、また、今年から出るだろう年金も保障されなくてなりません。それがなくなったとき「ぼくらしく」がなくなり、まさに「非日常」になっていくということなのでしょう。
誰もが「○○らしく」をちゃんとしていれば「非日常」を考えなくてすむと思います。
ただ「○○らしく」があまりにもなくなってなってしまっていることが問題なのでは思います。例えば、「政治家」。政治はそもそも、弱者や貧しさを助けるためにあるのが原則だと思えます。それが権力を得て、私利私欲に走り邪魔者を排除するという政治は「政治家らしく」から遠い存在になってしまっています。それがその政治家の「非日常」なのでしょうか。その結果、その政治の結果、「○○らしく」なくなることが少なくなっていく人が多くできるでしょう。それが貧富の差をつくり、社会にも貧富をつくり差別や暴力がつくられるのでしょうね。
少しでも「日常」に「○○らしく」をつくっていくことが大事だなと思います。
それが、その人の原則だと思いますが。
この連休中に、いらない書類や本を整理してしまおうと考えていたが終わってみれば「全滅」。その代わり、今年になって初めて「老人の遠足」に参加したりしたことは面白かった。行くまでは「ちょっとめんどうな」と思っていたが、行ってみたらごくわずかな人たちでしかなかったけれど、自分のいる場所みたいなものが分かったようでうれしかった。
そして、高尾山の新コースを探して歩いたのもよかった。道に迷ったが(よほどのことがない限り迷わないと甘かったが…)
ちょっとは山のことをちゃんと考えるきっかけになったように思う。これから新しいルートも少しずつみつけて行こうと思う。それにしても、高尾山の圏央道のトンネルはすさまじい広さには驚いた。トンネルのおかげですごく遠回りをしたのでそう感じたのかもしれない。
最終日は、恒例の妻の友達の紹介でコンサートに行ってきた。曲はバッハのヴィオラ曲。3時間ばかりの演奏(休憩もあった)だったが、ぼくにとっては、拷問のように思えてしまった。なんせ、クラシックのことはよくわからない。自分でその道の関係者なら拷問には感じないのだろうが。まいった。
どれも、外へと行動してはじめてわかること。
さて、読者のみなさまはいかがでしたか。楽しい「非日常」を過ごせたでしょうか。明日からまた、ボチボチと仕事が始まります。力まず、力をぬいていきたい一週間にしたいものです。来週は、とうとう「年金受給申請」の提出をします。書類には不明な点が多くてまいってしまいます。
では今週はこの辺で失礼します。
お祭りは終わりだ!!お疲れさま!!
読んでくれた人、ありがとうございました。