日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

春先に突然の大地震を受けて

2016年04月17日 | Weblog


 こんにちは…。
 毎朝、通勤電車が混雑していますね…。
 通学・通勤の人口がきっと増えたからでしょう。それでも、毎日乗る電車の時間やホームの位置は変わりません。これが、会社にいくまでにいちばん楽な行動だからだと思います(職場にいくまでに、ヘトヘトにつかれていては困ります)。これは、何十年も通勤して得た知恵でもあります。

 桜もすっかり散って、ハナミズキが咲き始めました。散歩道の多摩川では空高くツバメが飛んでいました。早いものですね。これかは、人も動物も活発になってくる時期になってkるのでしょう。
 さて、今週はどんな話題があったでしょうか。


◆1 投票校での危険は反対にならない(12日・東京/発言より)
今年から18歳以上から初の投票。気になること…
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 今夏の参議院選挙。今年から18歳以上の人にも投票する権利があるようになった。年齢が引き下がり、より一層の投票率のアップもさることながら若者の声を政治に反映させる絶好のチャンスでもある。
 憲法、原発、教育、医療などくらし全体から考えてどうしたいのか世代によっては考え方がちがうのは当然だろう。大事なのは投票しようしている政治家・政党がどんなことをやろうとしているのか、誰のためにやろうとしているか、目先の利益ではなくこれからのことも考えてみることも大事な投票行動の理由ではないかと思います。

とはいうものの、選挙のたびに気になる数字があります。
 「投票率」です。半分、あるいは3分の1ぎりぎりの投票率があるのには悲しいくらいです。理由として「投票すべき人、政党がない」ということをよく聞きます。政治家を選ぼうとしたら、知人などがいない限り難しい選択かもしれません。最低でも時事問題を新聞やテレビなどで読んだり見たりしていないとよく分からないことは確かなことです。
 それで「棄権」や「白票」ということになるのでしょう。
 これもひとつの投票行動なのかもしれないと思います。
 でも、これでは「何も変わりません」。すくなくとも自分の意志が反映された投票行動ではないと思います。
 現在のところ、ぼくにとっての今の政治はいいとは思いません。そう思って投票するつもりです。どこをどう変えてほしいか。正直なところ、遠い将来のことはよくわかりませんが、身近なことでいえば「年金問題」。ぼくらの税金でもある年金の使われ方に不満があります。「投資」をやって「負債」をだしたりしています。これでは、老いて安心して暮らせるとは思えません。そんな気がします。だから、投票する理由があります。結果として、投票した候補者が落選したとしても残念ですが投票しないよりはいいと考えます。



◆2 熊本で震度7(15日・東京/1面)とうとう関東にもくるのか大地震。
自然災害と人災(許せるものと許せないもの)
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 14日午後9時26分ごろ、熊本県益城町で震度7の地震があった。熊本市などでは震度6弱もあった。九州中部を中心に西日本の広い範囲で強い揺れを観測した。
 国内で震度7の地震は、1995年の阪神大震災、2004年の新潟県中越地震、2011年の東日本大震災に続いて今回の熊本での地震が4例目だという。

 その時間はまだ職場で仕事をしていた。「ドスン」という体が沈むような感じがした。ビルに何かが衝突したのか思ったが、その気配がなかった。ニュースをみたら東京でも地震があったそうだ。
 その後、ニュースで熊本に大きな地震があったと放送していた。なんと、震度7とは強烈な地震であったのだろう。テレビ中継でもカメラが完全にぶれていた。夜なので、明かりがすべて線上になり切れたりしていた。
 これからは、日本は「地震国」だな、と思った。一日中、どこかで地震は(小さいものを)数えれば相当な数になるという。今回のように大きな地震ではないため、人知れず起きているらしい。

 どれくらい続くのだろうと思っていたら、木曜日から土曜日まで続いてる。それも、日を追うことに規模が大きくなっていくような地震速報があった。
 日本の地下にはどれだけの活断層があるのだろうか、と思うと「地震の国」なのだといまさらのように思う。



◆3 同一労働同一賃金(15日・東京/社説)
「一億総活躍プラン」を同じスタートラインからはわかるが…
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 「同一労働同一賃金」は安倍首相が、雇用形態にかかわらず仕事の内容が同じなら賃金も同じという形にしようとするもの。
 本当にできるのだろうか?と疑問はある。では、同一にするとき、同じ仕事であって賃金の高い人、低い人であればどちらが基準になるのだろうか。そして、それをだれがどのように決めるのだろうかなどがある。
 実際、それを法律できめるのはいいが、どんな人がどういう形からそう導いていくのだろうか。
 ※ちなみに日本の賃金格差はフルタイムの正規労働者に対するパートタイムの賃金水準(時給)はフランスが89%、ドイツ79%、日本57%となっている。法律では「パートタイム労働法」や「労働契約法」で賃金差別をなくすようにしている。

 日本は派遣や契約社員が多い中、実際にできるのかという疑問はある。基本的に同じ土台でないのであるから、賃金の差はあるのではないのだろうか。大事なことは、労働者を同じ土俵に持っていくことなのではないかと思う。派遣を契約社員を、正規社員として採用して同じ椅子にさわらせることが一番最初にやることではないかと思うのですが。さらに、法律があるのですからその法律を守らせれば賃金も残業代も正しく出すようにすることになるのでしょう。しかし、それが全然守られていないことが問題ではないかと思います。法律が守られず野放し状態の結果として、ブラック企業や過労自殺という言葉がうまれるのです。

 最近、NHKの「クローズアップ現代」を見ていたら、なんと仕事場を紹介するべき人材会社が業績も優良な企業の要請によってなんの理由もなく、退職勧奨に協力しているという放送がありました。なんともとんでもない人材会社もあるものだなと思いました、また、さらに驚くことに社労士が企業の委託をうけて退職勧奨をすすめている実態も放送されました。けっきょく40~50歳代の労働者が退職して、会社に雇用されるのは難しいなか辞めたことを悔やんでいました。なぜ、そんなことが起きているのでしょうか。
 ここでも法律が守られていないからでしょう。これが実態なのではないのでしょうか。

 「同一労働同一賃金」といっても、結局、賃金の低い方に動くのは見え見えです。
 「タックスヘブン」では、高給取りの人たちが税金逃れのために、税金のかからない国へ口座をもうけ預金している現状がありました。税金は貧乏人が払え…とでも見える現実がある中です。


 熊本で大地震が起きた。
 16日未明、熊本県の阿蘇、熊本などで震度6の地震が短時間に連続して発生。
日をおくごとに死傷者の数も増えているという。家屋お倒壊、土砂崩れも増え
ている。
 5年前に東北大震災が起きて、やっと津波で流された家屋の跡地が整理しは
じめたというのに…。
 仮設住宅に住む一人老人の孤独死ということもあるなかでまたしても地震が
起きた。
 休日のテレビでは連日、地震の様子を放送していた。たいへんな苦労を背負
ってしまったなあと思って見ていた。はやく地震の沈静化してもとの生活を少
しずつ回復できればいい。

 5年前の大震災時、ぼくの通勤も慣れないバスや徒歩で会社まで通ったこと
を思い出した。これが一番大変だった。会社にいくまではいいが、帰宅時間に
にまた地震が起きたら「帰宅難民」となるだろうと思っての通勤だった。ラジ
オを持っての通勤の日々だった。
 5年前も今でも不安の思っているのは、ずっと原発のことだった。
 自然災害は、どうにか自分の心のなかでは「あきらめ」みたいなものがある
ように思えた。地球が多くのエネルギーを出して自然が変化させる姿には、人
間がやることなどたいしたことではないな、と思い知らされた地震だったよう
だった。
 だから、また、どうにか生活が戻ってくると、忘れてはいなのだろうが、
「しょうがない」と思うようになった。自分のなかでは大変だが、生きて生活
ができるようになってくると「許せる範囲」というものになっていることが気
づかされる。

 そんなかで、一緒に起きた東京電力福島第一原発のメルトダウンは怖かった。
 見えない、匂わないと形の放射能という怪物はいまでも恐怖を感じている。
身近な人たちが遠くに避難(逃げる)して姿をみていると、犯罪に近いことだと
思う。さらに、その原発を再稼働していることに不安は続いている。
 原発事故が津波でおきたというより、結局地震が原因なのだろう。はやく手を
うっておけば許せる範囲であったはずなのに、原発がいまだに動いていることに
「許せない」とい気持ちが残っている。
 そして、いまだに解決していない。唯一、安心ではないが「停止」しているこ
とが地震対策の最低条件であるというのは悲しい。それができることなのだから
仕方がないと思っている。いずれは、「廃炉」にするのが地震大国の選択ではな
いかと思う…。それでも、「想定外」という言葉を多く聞く日が近づいているよ
うに思うえる。



 これから職場や街頭での「熊本地震」へのカンパや募金がはじまるのだろう。できることといったらそれくらいだろう。それでも、やれることはやれる範囲で協力できたらと思う。
 
 妻と会話をしていたら「日々ドンパチ銃弾が飛んで人の命が亡くなっていく国がある。それはなんとも人間の悲しさを見るようで寂しくなる。なんでこうなるの…。人はなんのために生きているのかわからなくなる…」と。自然災害はこれも、人の命が奪われ悲しいが、きっと自分の身に起きても、防ぎようのないものであれば仕方がないように思う。でも、生きていたいという願いはまだ持っていたいと思う。

 自然の猛威に逆らっても仕方がように思う。
 今まで、人はこの自然には人生をどれだけいやされ、楽しくしてくれたかと思うと不思議と「許せる」ように思える。山歩きなどをしているとつくずく思うことがる。(来年もまた美しい桜の花をみられるといい)。

 来週は一カ月でもいちばん忙しくなるようだ。
 週末には、休日出勤もあるのかもしれない。だれかがやらなくてはいけない仕事だとしたら、やれる範囲でできるものであればやるしかないようだ。まして、連休前は、仕方がないのだろうなあ…。
 熊本地震だ当事者の人は大変だろうと思う。亡くなった人や、住む家が倒壊してしまった人もいる。これから、少しずつ余震もなくなって立ち直って祈るばかりである。

読んでくれた人、ありがとうございました。