日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

梅雨になり、雨が冷たい季節です

2014年06月08日 | Weblog


 こんにちは……
 今年も日本の四季の代表、梅雨がやってきましたね。
 この時期、うっとうしいやら、あついやら、体の調子もあやうくなることもあります。これも、約2ヵ月間日々、工夫をこらして過ごしていきたいものです。
 日本の梅雨はすべての生命あるものにとっては必要な時間なのです。たとえば人が成長するために必要な痛みみたいなものだと思います。
 まあ、これも限度があるのでしょうが。一日に降る雨が、毎年降る梅雨時の降雨の2倍は災害をつれてくるようになっては問題です。



 私はこんなときは楽しいこと、この時期だけに美しさを目にふれさせてくれる自然を楽しむようにしたいと思っています。
 一歩、めんどうがらすに散歩にでると紫陽花が咲いています。冬の間、枯れてしまったかのような茎が目だ立たずいましたが、梅雨の雨にうたれてやっと自分らしさを目にふれさせてくれます。それを眺めていると、ただ黙々とじっと春をくるのを静かにまっていた紫陽花のいとおしさを感じることもできます。
 この季節。雨のなか、いやがらず楽しむくるくらいの余裕がもちたいですね。

 梅雨時は雨がすべてです。
 傘さす人がいきかう町にそれぞれの個性を持った傘があります。
 わたしの友だちに売るほどビニール傘をためてしまう人のことが思い出されました。どうして、こんなにビニール傘をためこんでしまうのか?。趣味なのか、それとも本人の準備不足なのか…と聞いたことがあります。本人いわく「天気予報は聞かないし、ちょっと雨が降るとどこのコンビニにも傘が置いてあるし買ってしまうのです」とのこと。1本の値段が500円から700円くらい。集めた傘が20本もたまれば、1万円にもなってしまう。それなら1万円の傘を買って大事にすればいいのに…と思う。1万円もの傘ならメンテナンスもしっかりやってくれるでしょうにと。

 とは言ったものの、都会ではコンビニがどこにでもあるということを考えると、買ってしまうのもうなずけます。便利ですからね……。
 その便利にお金をかけてどこがいけないのかともいえます。だけど、考えてみるとこれは便利というよりも「むだ遣い」に近いです。ちょっと、気をきかせれば折りたたみ傘をカバンに押し込んでいればすむことなのでしょう。それでもいいのであれば、何もいうことはありません。
 一方で「もったいない」とも思います。
 あめにけむる町を傘をさして歩いているとそんなことを思います。



◎天安門事件25年(6/5/朝日/581)
 1989年6月、中国の民主化を訴えた学生らが天安門で民主化要求の集会を開いた。中国共産党は人民解放軍の出動をさせ集会に発砲、多数の死傷者が出た。学生らの運動を鎮圧した。


 経済発展を続ける中国。その発展の影には政府首脳の汚職など問題も多くあったようだ。まして、一党独裁の政治体制のなか、言論へ統制なのがされていると聞く。一方、これをアメリカの世界覇権の道具にしようとする動きもからまって問題が深くなってしまっているように思う。
 要は、民主化だろうと思う。本当に中国は民主化かという問いに経済発展によっている状態のなかもだそのことを考える余裕がないのだと思う。日本もおなじだが、企業利益と環境問題などから、問題がでてくるように思う。格差の拡大なども増えてきていると「政治は何をしているのか」という問いが市民の暮らしのなかで問われるようになってくるだろう思う。


◎集団的自衛権で京都(立命館宇治高校)で高校生らがディベート(6/5/朝日582)
 高校生がいま話題の「集団的自衛権」について「政治経済」の授業を利用して討論した。


 まさに生きた教材。さらには生活に直結する政治問題を討論。これは、過去の歴史を知ることも大事だと思うが、いまいちばん大事な行動だと思う。
 自分のまわりでできることをやる……。高校生は授業でやる。(拍手)
 なにかの論文で読んだことがあるが、いまの若い人は意見があるがそれもばらばらで、結局「自己責任」という言葉で終わってしまっているのではないか…。それが、日本の暮らしをかえる力になる疑問だということがわかっていない……という。大事なことは、それを大人が、自分たちの意見が政治をかえることができるように導くことだろう思う。
 今、これがいちばん大事なこと。

◎認知症不明者昨年1万322人(6/3/東京/583)
 行方不明者の高齢者は増加傾向にある。警察庁によると2013年時点で約1万300人に達している。前年比約7%の増加。


 高齢になり、認知症になって帰るべき自分の家もわからなくなったというニュースを多く聞くようになった。信じられないと思えない。体は健康でも脳がそれと同じだと思えないニュースである。とくに高齢者は記憶の一部分が消えて忘れる、ということも多く聞く。以前、NHKの番組を放送した後にテレビをみた家族が、「自分の親」ということがわかり施設からひきとったということが話題となった。他人事ではないように思えた。


 6月がはじまって一週間。
 役職定年制で部所のちがう職場で仕事をするようになった。次から次へと持ち込まれる校正紙のチェックをする職場である。日本語がこれほど豊富に使われる場所もあるまい、と思った一週間だった。
 日本語は多種多彩。一つの表現に何種類もの言葉があるのにいまさらのように気がついた毎日だった。辞書をみつつ、一日が終わる日々だった。

 日々チェックをしていると、お客様も気がつかないところもけっこうあることに気がつく…。記憶のどこかにずっと昔から固定された知識がって「当たり前」と思っているところに以外と違うことが多いこtに気づかされる。人間の記憶なんて、いつも危ういと思っていたほうが正解だな、と思うようになった。とにかく、読んで調べる日々だった。

 ふと『窓際族』という言葉がうかんだ。
 定年まじかの中高年労働者が、これまでのやってきた仕事がいかされずまるで「雇用調整」の一環として「隠居」状態になる…というイメージが浮かんだのだった。
 辞典で調べてみると
※窓際族=高度経済成長期大量採用した社員が、経営合理化が求められる低成長期に入って余剰人員ということで雇用調整のラインにのる……(昭和流行語辞典:三一新書)
 
 いったい日本の中高年に対する雇用はどうなっているのだろうと考えた。
 最近、若者の正規社員が減り、派遣社員が激増しているという。私は、結局のところ、企業にとっては派遣社員は雇用調整の一部として契約いるのだろうと思う。これでは、年金も減るのもあたりまえだろう。なぜなら、ちゃんと年金を払うほどの収入もなく、日々、低所得で生活すれば年金ふぉころではないだろう。それが、「年金を払え」というのは酷な気もする。年金をちゃんと払えるようにしてもらいたいならば、国は企業に正規社員として雇用し、働くことを保障しなければならなだろう。まして、ブラック企業を野放しにしている現実では「経済成長」ふどころではないと思う。

 今は、中高年に限らず「追い出し部屋」で労働者の雇用が不安定になっているともいう。では、いったい、労働者はなにをもって仕事をすればいいのか、と思えた。最近にもニュースになっていた。

※詳細はこちらでどうぞ。追い出し部屋  


 問題は日本の中高年の雇用だ。
 これから、いったいどうなっていくのだろうか……という不安な日々があることは事実だ。定年60歳から65歳……。年金が払えなくなったら70歳定年も出てくるかもしれない。いつまで働かせる気でいるのか。日本年金機構の職員はいった何をしているのか……。
 今月、このことについて勉強してみようと思う。

 と、まあ今週は中高年の厳しい現実を考えてみた。
 昔は、経営合理化の先頭に中古年の人件費がやりだまにあがっていた。俗にいうリストラの中心人物でもあった。今も昔もきっとかわらないのだろうと思う……。結局ところ、派遣の多い若者も年よりも同じ労働者なのだ。
 ただ、年寄りは再就職するのに難しく、体が重いという年齢なのに、ね。

 さて、来週サッカーワールドカップブラジル大会が始まる。
 来週の日曜日にグループCの日本代表はコートジボワールと第1戦が始まる。楽しみだな……。
 しっかり応援しないと…と思う。どんなサッカーをやるのか楽しみである。
 いろいろと心配事の多い中高年になってしまったことは仕方がない。いつかはみんな年をとるのだから。
 とりあえず、今日を楽しく送るように工夫していきたいと思う。
 読者のみなさんもがんばって楽しんで日々をつくってください。
 では、ではまた来週……。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。