日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

一年間、ご愛読ありがとうございました。

2012年11月24日 | Weblog



 こんにちは……
 今日は、はやいもので今日は11月最後の日曜日。三連休のはざまです。
 楽しんで休日を送っていますか。
 わたしの方は相変わらずで、朝は多摩川の散歩と、図書館に寄ったり、神社に寄ったりとブラブラしています。

 連休中に山歩きを計画していましたが、天気がわるいためやめました。また、機会をみつけて行きたいと思います。山でホットケーキをやく予定でしたが、残念!

 さて、世の中は。
 選挙の公示(12月4日)も近づいたせいでしょうか、世の中が少しずつ政治的な発言が多くなってきました。
 衆議院の解散でいまや水面下では静かな権力闘争がはじまっていますね。

 昨日、バス停留所でバスを待っている時間に、某テレビ局のひとが「今回の選挙」についてアンケートをとっていました。私もそのアンケートに答えました。
 内容は「今回の選挙で首相にふさわしいのは誰。安倍か野田か」、「民主党の政治を評価しますか」「都知事にだれがいいですか」などのアンケートでした。

 新聞などを読んでいると少しずつ、各政党の代表の発言が報道されています。「自衛隊を国防軍」という名前にするという安倍代表。その背景には改憲があるのでしょう。これは、驚いた……。
 これは、ヤバイ!と思った。これだけで、私にとっての「安倍首相」はなくなった。
 かといって、民主党の「野田首相」。政権半ばで野党におしきられた解散。「増税と社会保障」がテーマだった。また、復興予算の使途についての疑問。あれや、これやで結局、自分の政治課題を野党とのかけひきによって解散してしまった。そこには、原発事故での避難生活者や雇用環境の整備もふっとんでいたように思う。結局、自分の政党のことだけが走りだしてしまったように思えた。

 混迷につぐ混迷……。政党が乱立する選挙。14党乱立だ。
 特徴的なのは、日本維新の会が太陽の党との統一が話題になっている。さすがに減税日本は維新の会とは、統一しなかったようだ。

 前回の選挙では「二大政党」が大きくクローズアップされた。アメリカの民主党と共和党みたいな関係だったのだろう。それはよかっただが、ふたをあけてみたらいまだに自分の財産を増やすための政治家が多い。鳩山前首相の資産問題から辞任。
 そして、いまだ尾をひいている小沢問題。あること、ないこと報道された。
 結局、民主党をとりまく状況はマスコミを中心に敵が多すぎたようだ。それでも、どうにか、政治がすすむかといえば、少数野党との連携がうまくいかなかった。あげくの果てに、解散まえの離党者がでてくる……。

 民主党が政権交代して3年間。やろうとしたことはわかるような気がする。
官僚支配から政治家主導の政治へ、安心して子育て教育ができる高校無償化など2009年度のマニフェストは、政治のありかたを少しずつ市民に近づけようとしていた気がする。そして、少数野党との連携を期待したが、難しかった。

 さてさて、今年はどうなるのか。
 政党がたくさん分裂くりかえした結果、多くなった。憲法を変える、というタカ派的な勇ましい発言もある。自衛隊を防衛軍という名前にして強化しようとしている。
 わたしは、そんな政党には絶対、投票しないと思う。少なくとも現憲法の下で育ってきた自分は、よくなるのであればいいが、悪くなるような方針には反対だからだ。さらには、原発問題、稼働を推進するのは止めて欲しいと思う。
 いまだに、地震の不安が消えないときに、原発稼働を推進する気がしれない。



 最後に、ラジオを聴いていたら、小説家の野坂昭如さんが今回の選挙の様子を「勇ましい発言が次からつぎへ出てくる……」まさに昔の大本営発表のようだ……と嘆いた。これは、まずいと思いました。

大本営  ※詳細はこちらでどうぞ。

PHOTO:日曜日、毎週つづけている多摩川散歩。途中で異様なマンション群に立ち止まりました。これは、今となっては「都会の常識」とでもいえるのでしょうか。隙間さえあれば、マンションを建ててしまいます。すぐ、うしろがこんな巨大な建築物があったら圧迫感を感じてしまいますよ。なにか、うしろの建物がまえの住宅をおどしているようにも見えます。これも「都会の常識」です。住んでいるひともきっと、こんな建て方までしなくても……と思っても、住むところを確保したいために購入してしまうのでしょう。「住めば都」。
建物がどうの、こうのではなく大事なことは住んでいる人との関係ではないかと思います。






 今年は通勤時間が多くなったせいで、電車のなかで本を読む時間があるようになった。これは、ありがた迷惑なことだと思っているのだが、現実、90分の通勤時間は、読書には貴重になったように思う。

 正直なところ、朝電車のなかで、自分のモチベーションをあげるための読書なのではなく、会社の事以外に世間の人間様はどう考えて生きているのだろうか…という気持ちで読んでいた。そして、この時間くらいは、仕事のことを忘れて、私自身に帰ろうと思っているかもしれない。

 さて、今月はこの「読書」について考えてみた。毎日、少しずつ読んでいることについて、もっと楽しい読書をしたものだと思い、何冊の本を読んでみた。

    

◎僕はいかにして指揮者のなったのか/佐渡裕/新潮文庫

【内容】


「大人になったらベルリン・フィルの指揮者になる」?小学校の卒業文集に書いた夢を、佐渡裕はついに現実のものとする。指揮者としての正式な教育を受けていない自称「音楽界の雑草」が、なぜ巨匠バーンスタインに可愛がられることになったのか。「ライフ・キャン・ビー・ビューティフルや!」という師の言葉を胸に、世界中の名門オーケストラで指揮棒を振る男の人生讃歌。(抜粋)

佐渡 裕
1961(昭和36)年生れ。京都市立芸術大学音楽学科卒業。’87年の「タングルウッド音楽祭」で小澤征爾とレナード・バーンスタインに才能を認められ、バーンスタイン「最後の愛弟子」となる。’89(平成元)年「ブザンソン国際指揮者コンクール」で優勝し、翌年デビュー。以後、欧州各地の名門オーケストラを指揮。国内では2005年より兵庫県立芸術文化センター芸術監督、’08年より「題名のない音楽会」の司会も務める。’11年5月にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会へのデビューが予定されている


・指揮者の限らないかもしれないが、師弟というのは、弟子が師匠に助けを求めるものではないし、師匠もまた手を差し延べて弟子を助けるられるものではない(p109)

・何かにこだわったり執着したりすることにより、常に、昨日までの自分、それまでの自分の枠を取り外すことができるかどうか考えて行動するのが大切なのではないかと思うのだ(p132)


【感想】

 最近、これおほど自分の仕事に執着してやっているか思えば疑問である。
 だいたい、楽しくない。入社してときはどんなだったかな……と思いました。今の仕事について、ゆっくり話す機会もないなかで、日々、ノルマに終われているような気がした。そんななかで、楽しくなんて、程遠いという感想でした。

 この本を読んで、そういえばクラシック音楽を聴く時間もなくなった。以前は、年に2~3回はいっていたのが……。それだけ、人的に、経済的に厳しくなったということだろうと思えた一冊。
 これからも、そう思いつつ、また仕事をはじめるしかないように思えた。

◎独学でよかった/佐藤忠男/チクマ秀版社


佐藤 忠男(サトウ タダオ)
1930年新潟県生まれ。国鉄(いまのJR)職員、電信電話公社(いまのNTT)員、「映画評論」「思想の科学」編集長を経てフリーに。映画評論を中心に幅広い評論活動を続ける。映画評論家。日本映画学校校長。紫綬褒章、韓国文化勲章ほか受賞多数。著書は百冊以上を数える(抜粋)



【感想】

 好きなことがあるって…大切なことです。それを、仕事にできてしまうことは、もっと大切なことです。
 「独学でよかった」は自分の好きな映画の仕事にへこたれず、独学で自分の持論をもつまでの話しでした。大事なことは、わからないことを好奇心をもって調べること……。そんな毎日が楽しい。

 やっぱり「夢をあきらめない人はすごい」と思います。それも成功した人はごく一部であれ、すごい!。

◎「本当こと」を伝えない日本の新聞/マーティン・ファクラー/双葉新書

【内容】

 3・11、そして福島第一原発事故を経て、日本人は新聞の限界を知った??。
なぜ日本の新聞は国民が知りたい事実を伝えず、「権力者の代弁」ばかりをたれ流すような報道に終始するのか。日本取材歴12年の米国人ジャーナリストが明らかにする「国民総新聞不信」の真実!
新聞は誰のためにあるのか??この当たり前の問いに対し、はたして日本の新聞は胸を張って答えを出せるだろうか。「社会の木鐸」と例えられ、権力を監視し、市民社会をより良きものにするために存在するはずの新聞。
だが、福島第一原発事故をめぐる報道では、当局の発表をそのまま報じる「記者クラブメディア」の限界を国民の前に自ら晒すことになった。著者のマーティン・ファクラーはそんな「発表報道」に背を向け、東北の被災地を自分の足で回り、地元の人々や行政機関の窮状や奮闘を全世界に向けて発し続けた。単身乗り込んだ南相馬市役所では、原発事故により記者クラブにいるはずの記者はみなすでに退避していた。桜井勝延市長は、著者にこう訴えた。
「日本のジャーナリズムは全然駄目ですよ! 彼らはみんな逃げてしまった!」(本書p42より)
 著者は12年間にわたり日本を取材し続けている。この国において、アウトサイダーと自覚するからこそ見えた、日本の新聞が抱える「ジャーナリズムの欠落」という根源的な問題。そのための議論を起こすために、あえて実体験に基づいた厳しい指摘をいくつもしている。同時に、志をもって働く日本人ジャーナリストたちと、3・11から立ち上がりつつある第二の故郷・日本にエールを送る。


つづく……



落ち葉

一年の空気を全部吸い込んだ葉っぱが落ちていく
ある葉は虫にかじられ
ある葉は強風に吹かれ成長半ばで落ちていった
であるが、落ち葉は最後の一枚になるまで
その消息を木々に知らせて落ちていった……

木枯らしは落ち葉の上にも
今日の空気でなでていった
「お疲れ」といっているようで
「さようなら」と別れているようで
寂しい冬がやってきた






※一年間、ご愛読ありがとうございました。
はやいもので、もうひと月たらずで今年モおわりです。
この、一年はどうでしたか……

 私にとっての今年は、体に仕事に異変がおきた年でもありました。家族にとっても、老人になりつつある夫婦のこれからが、問われるた年でもあるのでしょう。これまでの経験をいかして、まあ、のんびりいきたいと思っています。「無理せず、焦らず、怒らず」がモットーですから。

 反省するところが多すぎて、落ち着いたらまた、ブログを更新しつつ述べてみたいと思います。一年間ありがとうございました。

12月は、「豚の生活」が始まります。働いて、食べて、寝て、食べて……の繰り返しです。というわで、12月は1ヵ月間、ブログを休みます。ご了承ください。読者の皆様も体調をくずさないよう、寒い日には注意してください。

 ながいようで、短い一年でした。いろいろありました……。

*読んでくださった方、ありがとうございました。