日々徒然に

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国立ハンセン病資料館を訪ねて…

2008年11月24日 | Weblog
 11月も終わりが近づき、寒さもきびしくなってきました。
 こんな時期は外へ出るのもおっくうになりがちなものです。
散歩をするにも歩き始めまでが大変なのではないでしょうか。
 それでも、健康を保持していくこを思うと無理せずゆっくりするこのごろです。
 なにはともあれ、「健康が一生の仕事」などと…どこかで読んだ記憶がよみがえってきました。
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 さて、今週は3連休の1日を利用して、東京の東村山市にある「国立ハンセン病資料館」に自転車散歩をかねて行って来ました。
 今回は企画展「ちぎられた心を抱いて-隔離の中で生きた子どもたち-」というテーマでした。(ちなみに30日まで)
 私がこのハンセン病という言葉を聞いたのは30年ほど前に観た「砂の器」(松本清張)の原作を野村芳太郎監督で撮られた映画のなかでした。
 蒲田駅で起きた殺人事件を追っていく刑事(丹波哲郎)は、一組の親子をひつようにおいけていき、その中でこの親子がたどった道(運命)を背景に逮捕するまでの話でした。
 この映画の時代は戦後だったように思いますが、事件の謎をとくために時代はさらに前にうごいて、ハンセン病に対する差別や偏見が親子に悲劇を加速させていく映画でした。
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 資料館をみて、この病気に対する偏見(感染する)は人々をさらに国家的に強制収容の形をとりおいつめていったようでした。子どもを産むことも禁止され、さらのは外に出ることも許されていなかったようです。
 まさに戦争が始まると、さらに拍車がかかり虐待が隠ぺいされて表にでてこなかったようです。
 ハンセン病の子どもたちは、2~3日の遊ぶの感覚でつれてこられて一生、親の愛情をうけることなく過ごすことが当たり前になっていった時代です。悲劇は子どもたちは成人になる前に多くは死んでいったいうことです。(資料館には子どもたちの作文がありました)
 現在では、1943年にアメリカで開発されたプロミンという薬や化学療法で治る病気となりました。
 詳細は「開けれた扉-ハンセン病裁判を闘った人たち-」(講談社)
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 この「ハンセン病資料館」その反省にたって建設されたものです。
 いつの時代にも、人は同じあやまちをしないように証拠として残して確認してきたように思います。
 そして思いました。
「無知は差別のはじまり」と…。いつでも言われることですがそんな思いをあとに帰ってきました。
 少しでも理解をしようとするものが大切なのだと思いました。またそういう機会をちょっとでも持てるような自分でいたいと思いました。
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 *読んでくださった方、ありがとうございました。