日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

環境にやさしさ説いて滅び行く人のこころの身勝手さかな

2008年07月05日 | Weblog
 7月が始まりました。そろそろ梅雨も終わりをつげるころでしょうか。以前は、梅雨明けといえば雷が鳴り響き、雨が突然降り出したかと思うとパッと止み「そろそろ…梅雨あけかな」と思わせていましたが、最近は雷も無差別に鳴り響いてわからなくなりましたね。
このブログは2週間ほどご無沙汰しておりました。これっといった理由もなく、ブログを休んでいました。そろそろネタもつきたし、潮時かな…と思っていました。新しいテーマも見つからず漠然とブログを書いていても無気力になるばかりになるように思えていました。そして、7月からもう一度「自分が書きたいテーマ」なるものを探ってみようと書き始めました。とあえず、素朴な疑問からはじめるしかないということに気づきまして少しずつまたはじめようと思います。
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 最近やたらと「環境、エコ、環境ザミット、洞爺湖」という言葉を多く耳にします。「地球を大切に、環境を大切に、自然保護…」などということは誰でも大切なことは知っています。それをあえて大きく聴こえてくるのはいったいどういうことでしょうか。
 私は思うですが、エコ社会と命うってゴミの削減、クーラーの節電、できるだけ自動車を使わないような社会といったところで「何をいまさら!」という気がします。
 国民がこのことを一回ていど実行したところで、社会の仕組みがそうわさせじと動いているわけですからしょせん無理なことだろう思います。
 例えば、クーラーを控えめに温度設定して仕事していても、能率は落ちるし仕事に集中できなず、残業になったら長時間、電気を使うわけです。その時間排出された二酸化炭素は増えつづけます。地球温暖化は仕事の量と比例していきます。それでも仕事はあります。さらに、貨物運送は電車から大型トラックに変わりそれも時間指定便で日夜、休まず走るトラックが出す二酸化炭素たるやものすごい量でしょう。コレも便利なので使っている…などなど。
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 環境にやさしくしたかったら「人間にもっとやさしい社会」が問われてもいいと思います。それが道理でしょう?
 この社会のすべてをコントロールしているのは、地球の地殻変動以外、人が動かしているのですから…。
 今月からまたがんばっていきたいと思ってます。
*読んでくださった方、ありがとうございました。