日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

ろくなことが起こらないが…頑張るしかない

2008年06月15日 | Weblog
派遣難民の行方は?
 ちょうど1週間前、白昼、東京秋葉原で連続殺人事件が起きた。歩行者天国の中をトラックが突っ込み3人を轢き、さらにくトラックから降りてサバイバルナイフで歩行者を次々に殺傷させた…という事件である。この事件で13人の何ら犯人とは関係ない人たちが地獄の絵図さながらのなかで亡くなって行った。なんともひどいことをする人も世の中にはいるものだ。またしても「不安」が今の社会に増幅させた事件であった。
 そのとき思った…。
 犯人の青年。地方から職を求めて点々として働く場所の不安定さなかの出来事だった。いわゆる「出稼ぎ労働者」だったのだろうと思った。
 昭和30年代から出稼ぎ労働者が年々増えた時代の労働者とどうちがうのだろうか思った。この時代の出稼ぎは農閑期に職を求めて全国の建設現場に出かけて働き現金収入を得て、自分が信ずるもの、愛すべき家族へ送金するというシステムであった。それが当たり前であったように思う。ときおり、その関係を全部消したい出稼ぎ者が「蒸発」して捜索願が多く出たいう年でもあった。しかし、今日のような大事件をおこしたことはなかったと思う。
* ……*………*………*……*……*……*
この秋葉原での事件を起こした青年も青森からの出稼ぎ者だったのだと思う。報道によると職を求めて関東地方を渡り歩いたという。派遣労働者として働いていた。資本の安全弁としての派遣では日々の不安は大きかったのだろうと思う。
 いろいろな「価値観の多様化」という言葉で全部くくってしまうのは嫌いだがこの多様化で「派遣」とうコーディネーターが商売になる時代。よくも悪くも資本の論理では企業の利益追求のなかでの「生産調整」のなかの一部にすぎないことは真実である。安い労働力を、いつでも切れる労働力という形で働いていた中でいった何がのこるだろうかと思う。それこそ使い捨てされたあとは「派遣難民」になるしかないのだろうか思う。
* ……*………*………*……*……*……*
私は事件の背後には働く現場の現実がいつもあるのではないかと思う。今回の「秋葉原殺傷」でも犯人の背後には労働の不安定があった。ひとは、どんな職であれ、どんな安い賃金であれ得ながら生活していくものには変わりはない。日々の生活の基になるはずの労働現場があれあはて、偽装で満ちていたらやっぱり不安は増幅されるばかりであろう。それが最近多くなった「内部告発」の多さに象徴されているようになる。あたりまえに、働いて、稼いだお金で遊び、夢をかなえる手段にしようという余裕さすらなかったらやはり、いちかばちか人生投げやりになってしまうことがあるかもしれない。
* ……*………*………*……*……*……*
これからの働き方はいったいどうなっていくのであろうか?
 労働組合もしっかりやっているのだろうがもっと、底辺のことも考えてほしい。組織を守るだけで大変な世の中なれど…。
 *読んでくださった方、ありがとうございました。