今年の冬は暖冬ということもあってか、いまだ雪景色を見るに至っていません。
この時期、この雪を目当てに商売をしている人にとっては大変な経済的な痛手であることは言うまでもないと思います。これも「地球温暖化」の影響なのでしょうか。世界中で環境汚染のつけが少しずつ近くによってきたように思えるこの頃です。
温暖化を防止しようと「京都議定書」という法律があるのを思い出しました。これを批准することによって地球から排気ガスなどの削減を盛り込んだ法律です。これを守れば、少なくともこれからの地球は今よりは少しましになるだろうと思います。
働きすぎの日本さえ批准したにもかかわらず、経済の超大国でアメリカ、中国やインドが批准していないと記憶していますがいったいどうなっているのでしょうかネ。あれだけ大きな国が守れば、少しは環境もよくなるのではないかと思うのは、たんらくすぎでしょうか。
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さて、今週は「上司=とりわけ部長職」について考えてみました。
私の職場では、この部長ほとんど現場にはいません。なぜなら、元営業部畑でしたから顧客回りに出ている状況です。製造業である現場の部長とは名ばかりの存在です。
案の上、今週も3日間の出張でいませんでした。しかし、職場では何らの影響もなくスムーズに進んでいます。むしろ、いても今のところ技術的なホローができるわけでもないわけで、いなくても何ら影響がないということが実態というところです。
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「部長」とは、わが職場にあってはいったいどんな存在かということ考えてみました。現実的には私の上司です。
このごろ「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉をよく聞きます。これは、残業をどれだけやっても、残業代は支払われなくなり、時間的な制約を削り取って担当者の都合のいい時間内に働き、結果として、業務成績さえあげればいい…という法律です。その結果としての賃金(報酬)支払われるという仕組みです。いわば、何時間やっても結果さえよければいいというものです。
この法律はアメリカで実施され適用されているそうです。皮肉にも、世界ではじめてメーデーでも有名な8時間労働を多くの労働者の犠牲者をだしながら勝ち取ったアメリカで起こったということだそうです。(さすがにグローバルな市場経済を目指す国)この法律はこの部長のような人がとったらいったいどうなるのでしょう。
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私の入社したころは、上司は少なからず今よりも尊敬に値する人でした。気がつけばその上司も定年退職し、今は病気と闘っているところです。
そして、今の上司は、私と同年齢です。
私は「灯台守」ではありませんが、喜びも悲しみも共に味わってこそ信用できるものだと思っています。最近、その「信用=信頼」が死語になってしまったわけもないのに追求されなくなったような気がします。
上司には上司の言い分があるようですが…。
最近読んだ本に『上司は仕事のできる彼に多大な業務を与え、のみならず、上司自身の成績を上げるために無理難題を感じながらも顧客ばかり有利な約束を交わし、処理の一切を彼に託したのです』(「職場はなぜ壊れるのか」=荒井千暁著・ちくま)ということなのでしょう。
それを託された彼(現場)は人員削減であり、一人で何役もこなしてやっと回っている状況。顧客に気に入られるより、現場の人に信用される上司であって欲しいと思います。
人と人の関係は、いつ切れるとも限らない人間関係より常に付き合える関係を育てて生きたいものです。40~50人足らずの会社での現状は業務命令からすぐに作業ということにはなりません。少ない人数で何役もこなす職場ではもっと横の連携が強くならないといけないと思います。
もっとつっこんで「上司」という人たちを考えてみたとき、彼らは一つの「人種」のうよにみてもいいように思います。なぜなら、彼は「責任」という局面に対しては常に「鎧」をつけ難攻不落の要塞にたてこもっている「人種」と思えます。(「上司は思いつきでものを言う」橋本治著・集英社)もあわせて読むと、納得するでしょう。
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今年、うちの長女もとうとう就職活動に日々頑張っているところです。毎日、スケジュールを書き、履歴書を何枚もつくり何社も会社周りをしているそうです。
今年は「売り手市場」といわれていますが、さあ本当なのでしょうか。
そして、就いた会社での上司はいったいどんな人になるのでしょうか。親としては少し心配になっていますが、子どもの労働観とうまく合う人を探すことも大切な訪問なのではないかと思います。
残り少ない連休を有意義に過ごして下さい。
今日はこのへんで…
*読んでくださった方、ありがとうございました。
この時期、この雪を目当てに商売をしている人にとっては大変な経済的な痛手であることは言うまでもないと思います。これも「地球温暖化」の影響なのでしょうか。世界中で環境汚染のつけが少しずつ近くによってきたように思えるこの頃です。
温暖化を防止しようと「京都議定書」という法律があるのを思い出しました。これを批准することによって地球から排気ガスなどの削減を盛り込んだ法律です。これを守れば、少なくともこれからの地球は今よりは少しましになるだろうと思います。
働きすぎの日本さえ批准したにもかかわらず、経済の超大国でアメリカ、中国やインドが批准していないと記憶していますがいったいどうなっているのでしょうかネ。あれだけ大きな国が守れば、少しは環境もよくなるのではないかと思うのは、たんらくすぎでしょうか。
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さて、今週は「上司=とりわけ部長職」について考えてみました。
私の職場では、この部長ほとんど現場にはいません。なぜなら、元営業部畑でしたから顧客回りに出ている状況です。製造業である現場の部長とは名ばかりの存在です。
案の上、今週も3日間の出張でいませんでした。しかし、職場では何らの影響もなくスムーズに進んでいます。むしろ、いても今のところ技術的なホローができるわけでもないわけで、いなくても何ら影響がないということが実態というところです。
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「部長」とは、わが職場にあってはいったいどんな存在かということ考えてみました。現実的には私の上司です。
このごろ「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉をよく聞きます。これは、残業をどれだけやっても、残業代は支払われなくなり、時間的な制約を削り取って担当者の都合のいい時間内に働き、結果として、業務成績さえあげればいい…という法律です。その結果としての賃金(報酬)支払われるという仕組みです。いわば、何時間やっても結果さえよければいいというものです。
この法律はアメリカで実施され適用されているそうです。皮肉にも、世界ではじめてメーデーでも有名な8時間労働を多くの労働者の犠牲者をだしながら勝ち取ったアメリカで起こったということだそうです。(さすがにグローバルな市場経済を目指す国)この法律はこの部長のような人がとったらいったいどうなるのでしょう。
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私の入社したころは、上司は少なからず今よりも尊敬に値する人でした。気がつけばその上司も定年退職し、今は病気と闘っているところです。
そして、今の上司は、私と同年齢です。
私は「灯台守」ではありませんが、喜びも悲しみも共に味わってこそ信用できるものだと思っています。最近、その「信用=信頼」が死語になってしまったわけもないのに追求されなくなったような気がします。
上司には上司の言い分があるようですが…。
最近読んだ本に『上司は仕事のできる彼に多大な業務を与え、のみならず、上司自身の成績を上げるために無理難題を感じながらも顧客ばかり有利な約束を交わし、処理の一切を彼に託したのです』(「職場はなぜ壊れるのか」=荒井千暁著・ちくま)ということなのでしょう。
それを託された彼(現場)は人員削減であり、一人で何役もこなしてやっと回っている状況。顧客に気に入られるより、現場の人に信用される上司であって欲しいと思います。
人と人の関係は、いつ切れるとも限らない人間関係より常に付き合える関係を育てて生きたいものです。40~50人足らずの会社での現状は業務命令からすぐに作業ということにはなりません。少ない人数で何役もこなす職場ではもっと横の連携が強くならないといけないと思います。
もっとつっこんで「上司」という人たちを考えてみたとき、彼らは一つの「人種」のうよにみてもいいように思います。なぜなら、彼は「責任」という局面に対しては常に「鎧」をつけ難攻不落の要塞にたてこもっている「人種」と思えます。(「上司は思いつきでものを言う」橋本治著・集英社)もあわせて読むと、納得するでしょう。
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今年、うちの長女もとうとう就職活動に日々頑張っているところです。毎日、スケジュールを書き、履歴書を何枚もつくり何社も会社周りをしているそうです。
今年は「売り手市場」といわれていますが、さあ本当なのでしょうか。
そして、就いた会社での上司はいったいどんな人になるのでしょうか。親としては少し心配になっていますが、子どもの労働観とうまく合う人を探すことも大切な訪問なのではないかと思います。
残り少ない連休を有意義に過ごして下さい。
今日はこのへんで…
*読んでくださった方、ありがとうございました。