goo blog サービス終了のお知らせ 

日々徒然に

今日はどんな一日で明日はどんな日にしよう?
 今日があることを感謝。
  あしたを考える一日をつくりたいね……

ことしも後わずか・・・百年に一度というけれど・・・

2020年11月29日 | Weblog

 こんにちは。
 朝夕は寒くなってきました。それもそのはずでもう12月にはいっていきます。なんだかんだといううちに新型コロナウイルスと共に年を越しそうです。それも、少しも減速することもない様子で12月の突入となっていきそうです。まだ、身近な人に感染者はでていませんが、このままだと他人様の心配をするどころが、自分のことや家族の感染が心配になってしまう気持ちになります。とくに高齢者の感染は多くなってきたとも聞きます。
 とはいえ、やれることは決まっているのです。その繰り返しの日々しかないのでしょうか。日々、蜜を避け、マスクをして、手洗いうがいに気をつけながら仕事に行く日々でしょう。最近になって、テレビニュースの最後に、2月ごろと新型コロナウイルスへの注意喚起が同じことを聞いていることに気づきます。他にできることはないのでしょうかね。

 さて今週は、サッカーアルゼンチン代表であったマラドーナさんが亡くなったというニュースが驚きでした。それも60歳という若さです。アルゼンチンでは、国民的英雄でしょうから、大きな悲しみに暮れていることでしょう。マラドーナのプレースタイルは、体が小さいながら、全身でサッカーをしている印象の強い選手でした。やはり「神の子」にふさわしいプレーヤーであったことは確かです。

 私にとって好きな選手は、マンチェスター・ユナイテッドの選手だったジョージ・ベストやブラジルのペレ、ドイツのゲルトミュラー、フォクツ、ベッケンバウアーが上げられます。それ以後の選手のことはよくわからないというところが正直なところです。私は、「ダイヤモンドサッカー」を見ていた世代ですから・・・。


 今月は、これまでためておいた本を読んでいたように思う。これまで新書はたまるばかりで、これではきっと全部は読めないのだろうなー思う日々になっているように思う。いつの間にか、世の中は、コロナ禍であっても、もすごいスピードで進んでいるように見える。それも、本当のことはまったく知らされず、にである。人類は、100年に一度の災難に遭っている。それでも、人類は最後に残るであろういう予言のなかに生きているように思える。事実、人類はこれまで、大きな疫病の災難を乗り切ってきた歴史がある。
 昔は医療や体制がととのっていなかったために多くの死者をだしてしまった歴史もその事実だろう。それでも、いまのような環境でなかったことは幸いであったいうことがいえるだと思う。

 今日の地球環境とウイルスは一緒に生きてきた存在だろう。その時代にかなったウイルスが出てきて、人類に危機のメッセージを送っているようにも思える。今回の新型コロナも同様、いまの時代にかなったウイルスなのだろう。では、なぜそうのうようなウイルスが出てきてしまうのか本当のところは、あまり詳細に語られずになっているのも世のなかの常識になってしまっているようにも思える。それをつきとめるには、日々流れるニュースや新聞では上っ面だけがいわれるだけだろう。


 今回読んだ『人新世「資本論」』という本は、これまでの地球環境のあり方から世界中で起きている異常気象の原因を資本主義の経済成長によって起こされていることを述べている。そして、今の世界は「人新世=人間が経済活動によって地球を破壊する」という段階であることを指摘している。
 いわれてみれば、今の新型コロナも地球規模でこれまで以上に温暖化によって、地球規模でのそれぞれの国や地域の季節が壊されいる状況になってきている。例えば、熊が民家に多く見られたり、アフリカでは大量のバッタが繁殖して作物を食べつくして、食糧不足を起こしている。新型コロナでは、都市から人を避難させようしたりしている。さらには紛争によって多くの難民が国境をこえて避難している状況がつくられている。そんななかで、今回のノーベル平和賞受賞にWFP(世界食糧計画)が選ばれたの意義は大きいことからもわかるような気がする。

 その背景のなかでこれまでの状況を著者はすべての経済活動によって起きていることを指摘している。資本主義経済の自由競争によって人々は競争を強いられ、貧しくなれば住む場所もなくなり、医療さえ受けられなくなる。産業革命以降の資本主義から比べれば今は、比較のならないほどに地球規模にすすんでいいる。そのなかで出てきたことは地球温暖化という現実だともいう。
 1%の富裕層が何億人分のエネルギーを使うのが現実となっている。
 その世界の様子をいちはやく気がつかせたのはマルクスの「資本論」の内容だというこも興味深いことだ。いまの世界のあり方を100年前に論じていたこと・・・に驚きである。
 そして、まさに今その論考が実践される時期にきていることが気づかされる本でもある。
 本当に資本主義経済で恩恵を受けいるのは、1%の富裕層であって、最終的には人類はどこへ避難するところもなくなると。「持続可能な社会」というが、これはマルクスの「宗教はアヘン」といっていいったたように、本来人類が進むべきではないとも指摘していることにも興味深い。
 日本の労働者はコロナ禍で多くの失業者が出ている。とくに、感染予防などで移動の自粛などによって観光業や旅行会社などは多い。非正規労働者に至っては、「使い捨て」状態であることが伝えられ、まさに資本主義そのもののであることがわかる。それらに向けての政治の貧困さが指摘され、すべてそのつけが弱者にいっていることは明らかになっている。そんななかで労働者政策として、「日本型」働き方「ジョブ型」に移行しようとする計画も持ち出されている。

 日々、本質をずらす幻想がいつまで続くのだろうか。
 この本を読んでみると、コロナ禍以後の過ごし方・働き方を考える選択肢としてあるのではないかと思えた一冊だった。

 「僕たちは今、地球規模の病気にかかっているところだ。数々の真実が浮かびあがりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなるだろう。」
『コロナの時代の僕ら』パオロ・ジュルダーノ(早川書房)

■p6 気候危機の原因までさかのぼる必要がある。その原因の鍵を握るのが、資本主義にほかならない。なぜなら二酸化炭素の排出量が大きく増え始めたのは、産業革命以降つまり資本主義が本格的に始動して以来ことだからだ。

■p28 帝国的生活様式とは要するに、グローバル・ンースにおける大量生産・大量消費型の社会のことだ。それは先進国に暮らす私たちのとっては、豊かな生活を実現してくれる。その結果、帝国的生活様式は望まなく、魅力的なものとしてグローバル・サウスの地域や社会集団から収奪して、さらに私たちの豊かな生活の代償を押しつける構造が存在する。
 支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判的になりそうな危機は訪れると、権力者という輩はにわかに団結し、チームワークに目覚めるのだ。
 一方、僕らはきっとぼんやりとしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようであり、また忘却の始まりである。

■p32 資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく、地球環境全体なのだ。資源、エネルギー、食糧も先進国との「不等価交換」によって、グローバル・サウスから奪われていくのである。資本主義は、自然もまた単なる道具として扱う資本主義は自然もまた単なる略奪の対象とみなす。このことが本書の基本的主張・・・。

■p33 ……例えば熱帯雨林を農園として切り拓いた結果、土壌侵食が起き、肥料、農薬が河川に流出して、川魚から減少しているのだ。この地域の人々は川魚が減少しているのだ。この地域の人々は、川魚からたんぱく質を取っていたができなくなり、お金が以前よりも必要となった。その結果、金銭を目当てに野生動物、とりわけオランウータンやトラなど絶滅危惧種の違法取引に手を染めるようになったのだ。
……中核部での廉価で、便利な生活の背後には、周辺部からの労働力の搾取だけでなく、資源の収奪とそれに伴う環境負荷の推しつけ欠かせないのである。

■p34 先進国と人々は単に「転嫁」に対する「無知」を強制されるだけではない。自らの生活を豊かにしてくれる、帝国的生活様式を望ましいものとして積極的に内面化するようになっていくのである。人々は無知の状態と欲望するようになり、真実を直視することを恐れる。「知らない」から「知りたくない」に変わっていくのだ。
 ……帝国的生活様式は一層強固なものとなり、危機的対応は未来へと先延ばしされていく。それによって、私たち一人ひとりが、この不公正に加担することになる。だが、その報いがついに気候危機として中核部に忍びよってきている。(オランダの誤謬)。

■p36 ……人類の経済活動が全地球を覆ってしまった「人新世」とは、そのような収奪と転嫁を行なうための外部が消尽した時代だといってもいい。(採取主義)

■p81 世界の富裕層のトップ10%が二酸化炭素の半分を排出しているという。プライベートジェットやスポーツカーを乗り回し、大豪邸を何軒も所有するトップ0.1%の人々は極めて深刻な負荷を環境に与えている。他方で下から50%の人々は、全体のわずか10%しか二酸化炭素を排出していないのにかかわらず、気候変動の影響に彼らが最初に晒される。

p90 電気自動車の生産、その原料の採掘でも石油燃料が使用され、二酸化炭素は排出される。さらに、電気自動車のせいで増大する電力消費量を補うために、ますます多くの太陽パネルや風が発電の設置のが必要となり、そのための資源が採掘され、発電装置の製造でさらなる二酸化炭素が排出される。(ジェヴォンズのパラドックス)

■p108 要するに、生産や分配をどのように組織し、社会的リソースをどのように配置するかで、社会繁栄は大きく変わる。いくら経済成長してもその成果を一部の人々が独占し、再分配を行わないなら、大勢の人々は、潜在能力を実現できず、不幸になっていく。

■p117 資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。その過程では、環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間から収奪を行ってきた。この過程では。マルクスが言うように「際限のない」運動である。(惨事便乗型資本主義)

■p235 資本主義は絶えず欠乏を生み出すシステムである。

■p238 ……囲い込みよって、このコモンズでは徹底的に解体され、排他的な私的所有に転化されなければならなかった。

■p274 要するに自然的「限界」は単にそこに存在しているわけではない。限界はあくまでも私たちがどのような社会を望むかによって、設定される「社会慣行的」なものである。限界の設定は、経済的、社会的、そして倫理的な決断を伴う政治的過程の産物なのだ。



 以前、NHKの海外ドラマシリーズで「モース警部」という刑事ドラマをやっていた。英国のドラマで落ち着いていて、ゆっくり事件を解決していく光景が好きだった。やはり、推理・探偵ドラマはシャーロック・ホームズを生んだ英国ならではと思えたドラマだった。
 事件はオックスフォードで起きた殺人事件。犯人を追うというより、それぞれの刑事や関係者の日々の生活がおざなりにならずよかった。途中で「殺人事件を捜査しているの?」と思うほどゆっくりしていた。
 あわてず、怒らず・・・そして犯人を納得させていく。そして逮捕。
 犯人であっても人間であるという視点がちゃんとあって、その動機を考えて犯人の立場をいつも考えるモース警部がよかった。



 今年5月ごろから、遠くへいくことより身近なところを歩きまわる休日である。まだまだ、都心の23区よりは、自然が多いことに感謝している。通勤時間にはめっぽうかっかるのが難点だが、休日になればどれだけ植物や虫を多く見られることかと思う。最近では少しずつ、このあたりでも都心化している。木々の向こうに目をやれば高層マンションが頭をだしている光景もみられるようになった。住んでいる人には、うらみはないのだが建ち並ぶビルをみていると、夕焼けや朝焼けもどこかへ行ってしまうのだろうと思う。

 家々の下にはそれぞれの人生がある。やっとまともに住めるようになった環境が、こともなげに遠くの景色まで変えてしまう速さである。
 写真家・今森光彦さん は、自分たちの住む地域の変容の中、そこに住む写真を撮っている。何十年もの間に住むのは人間だけじゃなくて虫や花が里山をつくってくれるようになるという。そこに景色を求めて、生態系は出来上がってくるものらしい。だから、壊されてしまうと人間以外の生物はいなくなっていく。そののまま放置していくと、人間の暮らしの中にひずみができてしまう。土地はそこに住む生物によっても人は生きていることを確認しなければいくない時代になっているのだろうと思う。そんな景色が人と人を結びつけるものであるのでは、と思う。人間だけがどえほどいい暮らしをしても、美しい景色はないのかもしれないということを言っているのではと思う。人それぞれ、落ち着ける景色が脳にインプットされているらしい。その景色をどこかでなつかしく思える人でありたいと思う。
 いったいどこへいけというのだろうか、人類は・・・。



 来週は12月に入ります。早いものですね。もう一年も終わりになっていました。どうにか、毎週、更新もできました。今年最初のページを見ていたら、なぜか昨日のことのように思い出されるページに記憶がよみがえってきました。

 今年は、「コロナに始まり、コロナで終わる一年」になるのでしょうか。”百年に一度の災難”と聞きますがまだ、トンネルのなかのようです。ここ四半世紀で地球の様子も、とりわけ日本は災害の多い時期だったようです。阪神淡路大震災から灰がし日本大震災、福島第一原発事故、大阪府北部地震 、熊本地震そして昨年の台風19号における河川洪水など、たくさんの災害にみまわれたことが記憶に新しいところだと思います。そして、今年は新型コロナウイルス感染です。
 どこまで人類は痛いめに遭わないといけないのでしょうか。地球規模で俯瞰すればさらに多くの災害(アフリカのバッタ大繁殖)あるのでしょう。いまは地球という惑星の変換期なのでしょうか。そして人類がの大転換期なのでしょうか・・・。

 そこにきて経済グローバル化。人・モノ・カネの移動も国々の覇権を競って戦争やら開発やらということで環境も時間経過とともにかわっていくのがこのごろです。その結果「地球温暖化」がでてきたのでしょう。人類は、それでも南北間や国境を越えて紛争をしている状況。人類のほとんどが望む結果になっていないということが「今」なのでしょう。

 考えてみれば、私が生まれて半世紀以上も前には、今のような状況は誰が考えたでしょうか。緑が多くて、人々があつまって唾を飛ばしあいながらも日々を送っていた時代。いつもの瞬間が光があふれ、まっすぐ一本道を駆けていくような景色や環境がありました。それが今では、それは本やどこかの国の放送でしか見られなくなりました。こころのなかの「原風景」だったのでしょう。今ではそれさえも、遺伝子組み換えは、大きく農村の風景を変えたことでしょうか。

 いつの間にか人類は、欲望かきたてる世界へと進んでいったようです。それも、今日を送れるだけのエネルギー以上の欲望を貯めこんできたようです。その結果、労働者はいつの間にか、自分が描く以上の労働状態や生活苦に巻き込まれてきたのでしょう。それが資本主義であることさえ考える余裕がないほどの日々を送ることになってしまったのでしょう。その結果、地球温暖化がうまれたこともつきつめて考える時間もないほどの労働実態、雇用形態をつくられるなかで今日をむかえていることということなのでしょうか。
 そしてとうとう、今年はコロナウイルス蔓延です。ここでも、これまでに作り上げられた経済格差のなかで犠牲の多くが、つきつめれば低所得者層に犠牲が強いられているようになっています。

 そして2020年12月が始まります。人類がこれまでの反省をどこまでできるのかということが、これからの地球の運命を決定する時代になってくるのではないかと思います。米国では、一国強化主義のトランプ政権がバイデン政権に変化していくようになったことが、小さいですがうれしい変化でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 個人的には少しもいいことがコロナでなかったように思います。それでも、老人になってもどうにか「五体満足?」で感染もせず、生きていることに感謝しなくては・・・と思います。
 最近、仕事のメールで末尾に「生き延びよう!」というメッセージありました。これまでにないメッセージに驚きましたが、考えてみれば「こうなるのか」とい気持ちもありますか・・・。
 読者の皆さには2020年はどんな年だったのでしょうか。私にとっては、2020年は最悪の年でありました。まあ、身近な人たちが亡くなったりすることもありましたがあらためて「こんなにも日本の政治がいいかげん」だったとは、コロナ感染の年に知ったこともあります。そして、資本主義の世の中というのはこんなにも残酷だったということを身近感じた年でもありました。知ればしるほど、地球の危険は秒読み段階のようにも思えました。



 とはいえ、それで「生き延びよう!」という言葉が冗談ではなくなってきた年末にもなってきたことも事実でしょうか。
 さて、今年の更新は今日で終わりです。来月は「開店休業」状態になります。再雇用で忙しさは、正規社員よりもないのですが、気忙しさは同じです。

 とはいえ、まだ12月があります。今年もいろんなことがあったはずなのですが、思い返せば、「コロナに始まりコロナで終わり」そうです。それでも、そのコロナがまだ身近なところでの感染者がないということが救いなのでしょうか。皆さんのところではどうでしょうか?。都会は地方とちがい感染のリスクは高い日常です。若い人以上にリスクの高さを認識し生活することぐらいです。

 最近、都知事の政府が「GoToキャンペーン」について話されて、65歳以上の高齢者に自粛を呼びかける報道がされました。「何とバカなこと言っている」とも思いました。感染でいちばん危険なのは高齢者なのはわかりなすが、感染させるいちばんの理由は『移動』であることを忘れているのでしょうか。ここは高齢者ではなく、若い人の感染させない行動が大事なのでは思います。すでに、老人は、今年は身も心も自粛ムード一色なのです。そんなこともわかってか、わかってないのか、意識的に経済活動の中心である若者の自粛を呼びかけていないことに不満がつのります。
そんな気がします。

 一年読んでくださった皆様ありがとうございました。読んでいて「誤字・脱字」が多いこともあったと思います。そんなところはご容赦をお願いします。
 来年は、知人・友人とコロナを気にせず飲みにいける年になるといいですね。

 また、元気であれば2021年から始まります。一年間ありがとうございました。
 それにしても、ここにきてコロナ感染が増えています。「病院が逼迫」という見出しがよく見かけます。これには、これまでの医療に対する政治の対応の怠慢という人災がつくりあげたものだと思いますが・・・。

 それはお元気で・・・。ありがとうございました。


コロナ禍、第3波の人災がやってきた・・・!

2020年11月22日 | Weblog
 こんにちは。
 「今年も終わりますね・・・」という挨拶がきこえるようになってきました。カレンダーに手帳に来年度用がお目見えしてきたこのごろです。最近、「喪中」のはがきも届いていました。
 今年はコロナ禍にあってなかなか昨年同様な気分にはなれませんが、時間は着実に年末にむかっているような日々を送っています。一言で言えば「温暖化」ということもあってか、日中は温かい時も多いようです。うっかり薄着ででかけて帰りには、北風にさらされてカゼをひいてしまうことに気をつかう日々でもあります。

 さて今週は・・・。あい変らずコロナ禍の日常には変わりはありませんでした。すでに「第3波」という勢いで、寒さといっしょに感染者が増えている日々がニュースになっています。都市圏では、これまでのコロナの規制が緩和された結果として、駅に歓楽街にひとが多くなってきました。それと同時に感染も都から地方に、発達した交通によって人の移動ははやくなってきました。結果として、毎日の感染者数が増えて傾向にありました。
 とうとう、経済政策として「GoToキャンペーン」が実施された結果がうらめに出てきたようです。その結果を重くみた有識者は政府に緊急提言をしました。それを受けて、さすがに「キャンペーン中断」を言わざるを得なくなった実情がうまれました。
 まさに「支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩はにわかに団結し、チームワークに目覚めるのだ。一方、僕らはぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようであり、また忘却の始まりである。(「コロナの時代の獏ら」パオロ・ジョルダーノ/飯田亮介訳・早川書房)ということになってきているように思えます。
 とうとう、コロナ禍は今年2月から始まり、年を越そうという勢いでもありようです。


 東京に住み出して40年以上。駅の形も変わってきました。
 私が思うに変わればかわるほど不便を感じるのは気のせいでしょうか。駅を作っている人のはうらみはありませんが「愚痴」になります。
 私のいう便利は、エスカレーターや自販機での便利さではなくて、乗り換えたりしたときなどをつくずく感じることの不便さである。
 例えば新宿駅から、次の路線に乗り換えるのに、どれだけ駅構内を歩くことか。歩くだけでなく、多くの階段を昇り降りしてあげく違う場所に着いていることさえありました。だんだん迷路は人生ばかりではなく、駅構内も同じようようになってきたのではないのでしょうか。とくに渋谷駅・・・。あそこには降りたくない駅ですワ。

 考えてみれば、これが都会に住む宿命なのでしょうか。土地が狭いため上へ・・・のびてしまうのでしょう。だから階段が多くなってしまうということなのでしょう。年をとればとるほど使いずらい駅が誕生していくのが今の東京でしょうか。
 10年ほど前は、利用していた、JR中央線からローカル線に乗り換えるときも、降りた反対側に乗りかえることができたように思います。それが今では、階段を降りて、改札をぬけて、階段をあがって・・・。2倍手間がかかるようになってきました。近所の駅がきれいになることにちっとも喜びも便利さも感じなくなったこのごろです。遠くから眺めていると、だんだん人から遠ざけて、人間にやさしくない、
走りやすい駅をつくっているように思えるのですが・・・ね。
 そう思いませんか。



 「勤労感謝の日」の3連休。休みはうれしいのですが、何も計画もなく終わったようです。とはいえ、世の中は、3連休を楽しもうと渋滞のなかを観光地へむかうニュースが流れていました。コロナに注意してのリフレッシュ休暇といきたいところです。
 私はどこへも行きませんでしたが・・・。紅葉がきれいなときですから行きたくなるのもわかります。

 とはいえ、新型コロナが日々増加することを思うとやはり、自分の年齢を考えれば「命」のことを考えるとちょっとガマンできそうなことはガマンしておこうとなります。新聞によると、最近は高齢者の感染者が増えていることがあるからでしょうか。

 月末バタバタと月刊誌の締め切りの作業に追われ、「やっとー終わった」とタメ息をついているころ、「今年も終わりかなー」とのささやきを聞いている。
 早いものです。日々、忘却にさらされては翌日、通勤電車に揺られている。なるべくなら、1週間のなかの忘れられない日常のことを・・・と思ってパソコンの前にすわるものの「なんかあったっけ」という忘却の日々となっているようです。生きていれば、忘れるということも大事な日々だということはこれまでの経験では知っています。それでも、やっぱり記憶に残しているはずのことが忘れやすくなるということは、年なのでしょうか。

 いやでも聞こえてくるのが「今日の感染者」の人数です。それを聞くたびに「これは本当に第3波」だろうと思えます。日々の感染者数の数字はただの数字ではないのでしょう。一人ひとりの感染者の人生があるはずですから。
 今週、通勤電車の人身事故が2回ありました。これは多いのだろうと思います。コロナ禍での生活。なんであれ窮屈な日々が続いているような中での事故に巻き込まれるたびに、「困った」と思う反面、きっとコロナ禍でのできごとなのだろうと思います。
 あかの他人のことだとはいえ、同じ空気のなかにいた人が命を絶ってしまうことは異常です。
 考えても考えても、どうにもなるようなことではないのでしょう。それでもやっぱりと思った一週間でした。 (合掌)
 読んでくださった方、ありがとうございました




寒さが本格化してきました・・・コロナ第3波心配の日々はじまる。

2020年11月15日 | Weblog
 こんにちは。
 毎日少しずつ寒くなってきました。朝夕の昼間との温暖のさが体調管理のむずかしさが感じる日々です。快晴の日々はうれしいのですが、乾燥がましてくるたびにコロナウイルス感染のこともこれまで以上に気になる日々でもあります。
 さらに、ここにきて都内の感染者が増えています。日本国内だけでなかく、世界中でも増え続けているとニュースもあります。大統領選が終わった米国でも1日の感染者が10万人に達する予想も報告されています。

 正直なところ、世界中がどれほど感染しても移動を制限していくことで防げるのですが、ところが身近なところ(毎日利用する通勤電車・会社・スーパーなど)から感染者がでたらいったいどうするのでしょうか? ということを日々考えることが多くなってきました。会社でも、今年始めごろ、感染防止に向けた対応がまじめに考えているとは思えません。いちばん困るのは、自分が生活して距離での感染防止が個人に任せれているような気がします。都知事もそれほど、注意をよびかけなくなっています。これは、来年の東京五輪があるからでしょうか。
 とはいえ、日本がよくても諸外国のコロナウイルス感染の状況から、開催は難しいのではと思います。移動が制限されれば、選手も開催地の住民も移動制限がされるようになることは困ります。


 『遠くのきみへ』
 ひとりができることは限りがあるけれど
 社会は あの手、この手で騒がしい
 はては栄養ドリンクの効用を宣伝していたりする
 電池切れのライトには充電を
 できないひとには「意識改革」と洗脳を
 そして「便利なひと」をつくりあげる
 その気になって、ひとは自問自答する
         〇
 「オレはだめなんだ」と借りた言葉をだれかがいえば
 他人がそのことばにうなずきもせず、うなだれる
 ひとりができることこと
 私ができること
 ちょっと踏み出した老い
 見えない影が頼って、頼られて
 どこかで気がつく 
 ひとりができること
 私ができることを
 社会は遅かれ早かれそうしてつながっていくしかない、と
 そして、限りある人生であることをこころに刻む時間があることも

 コロナ禍で世の中はリモートだオンラインだ、テレワークだということもあって、画面のなかの顔を見ることが多くなってきました。そうしたら、その人の癖がなくなっているこに気がつかないこともありました。「こんな人でしたか・・・」と、ふと思うことがあります。なぜなら、いままで、その癖を考えながら応対してきたのにちょっとちがってきたことを気がつかずいるのがテレワークでした。もういちど最初からその人のことを「おさらい」するようにしなければならなくなる。とうとう、その人自身、いつもの癖がなくなったことで、ノイローゼになってしまった、とか。
 コロナ禍で「新しい働き方」とは、常に新し人間をつくっていくようにも思えるのです。そんなに変われないことはわかっているのですが、無意識に変わっていくのも人間です。その原因はデジタル化です。人間はデジタルではなく、アナログな存在であることを思った日々でした。便利の影に不便な人間がいなくなっていくのも世の流れなのでしょうか。


 町を散歩していたら、上のようなポスターがありました。今年はコロナ禍でやれなかった五輪ロードレースでしょうか、と思いきや2021年は来年です。「おやおやこれはヤル気だ」ということでしょう。現代段階では、やれないでしょう・・・と思いながら写真をとってみました。去年でしたか、この予行練習をみましたが、楽しみにしていました。ところが今年のコロナ禍です。
 とはいえ、町は道路を駅を拡張している工事を見かけたりします。
 新聞によると、IOCバッハ会長が15~18日訪日するそうです。そのなかで、来夏の東京五輪の開催にむけた議論が政治家や五輪関係者と話し合うそうです。開発中のワクチンは医療従事者への投与を先行しつつ、五輪参加者用の確保を製薬会社や世界保健機構(WHO)と協議していると明らかにしました。
 国内では、東京五輪・パラリンピックの新型コロナウイルス対策を検討する調整会議もあった報道していました。内容は、海外からの観客を受け入れる前提に準備を進め、感染状況が安定した国・地域からの入国について、通常求めている14日間の自主待機措置を免除する。感染状況が悪化した国からの観客には自主待機を求めるなどの措置をとる。

 要は、これからの感染状況にかかってくるのでしょう。感染のいちばんの防止策は移動の制限ですから、現段階では東京五輪は、国内だけであればできるかもしれませんが、海外からは困難でしょう。はっきりいって、この状況だと共倒れをしてしまいます。そんななかで一番被害をするのは、体の弱いひと、子どもや老人です。弱者を考えるの大事だと思います。
 ポスターを見ていたら既成事実なかりつくっているのではなくて、都民に安全対策を示してから開催をすべきです。それは具体的であることは第一条件です。「安全神話」はつくらないようにしてほしいものです。
 日本はこれまでの大震災のなかで、原発事故が起きたとき、一番大変なことは、すでの学習しているわけですから・・・決して「見切り発車」はやめて欲しいものですねー。



 毎日コロナウイルス感染者のニュースが多くなってきました。いっとき、うすれていたのに残念なことです。寒さと乾燥も重なっているという条件がそろってきたことも原因になるようです。それでも、第一の原因は人の移動でしょう。「GOTOキャンペ-ン」ということもあって、人の移動が簡単になってきたことでしょう。経済復興というスローガンかそれとも、感染防止かの二択を選択することが強くなってきたようにも思います。ますます政治の手腕がためされる季節となってきたように思います。

 今週、これまで仕事のお客様として長い間、一緒に仕事をいただいていた社民党の臨時大会がありました。近年、さらに弱小党してきたときも応援してきました。今回の議題は「立憲民主党との合流について」とのこと。一年前から最大野党である立憲民主党から合流の誘いについて最終決着をつけようという大会であったようでした。新聞報道によると、国会議員4人中3人が立憲への合流が賛成過半数で可決しました。結果として、社民党には1人の国会議員が残ることになったようです。これでますます弱小に・・・冗談も皮肉にきこえます。

 思えばここ何年か社民党は不運つづきです。私は何度かその不幸に出席してきたわけです。高齢の元議員や応援してくださった人たちは病気などで他界しました。こんな光景を天国でどんな気持ちでみているのでしょうか。
 わたしも未熟ながら応援してきた人間として残念に思います。
 なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。世の中の流れに乗れなかったといことは簡単ですが、本当は、政治が「ながいものにまかれろ」式になってきて、議論がなくなり、数の力で民主主義を形骸化してしまっているからでしょう。それも自民党がその形骸化していることにも言えることなど思います。政治家の政治家たる言葉が消えて、不明瞭な見解がめだってきた「ごはん論法」に象徴されるようなことにつきるかともいえます。それを、追及すべき野党の言葉もなかったこともいえるともいえます。どちらも、自浄能力がなくなったともいわれています。故土井たか子さんが「やっるっきゃない」という真っ正直な政治が少なくなったように思えます。

 私は今回の臨時大会について、残るほうを支持していきたいと思います。
 企業で言えば、下請けも下請けになったような感はゆがめませんが、それでもどうにか経営に頑張る人を応援してけたらと思いますが・・・。立憲のような大企業に吸収合併されていくということなのでしょう。
 それでも、社民党がとってきた原子力政策や憲法問題の理念はすばらしいものだと思います。そういった理念をつらぬくことが政治には求められると思うのですが。
 現在の立憲民主党の原子力対策などについては原発のある当事者の市町村などでは安全性に疑問があるにもかかわらず原発政策には反対運動はみられません。
 社会党から社民党へ・・・時代の流れのなかで変わっていくのでしょうが、これまでのやったきた運動は大切な歴史になっていると思います。今回は党は残るということで安心しまた。これからも、かたちはちがえど応援していこうと思います。
 こんな事態になったことは、あとの人が歴史のなかで検証してくれるでしょう。今は、足場をつくることが大事だと思います。

 これからも、日本の民主主義の土台をつくるのに必要なことはだれでも認めるところです。もちろん共産党も同じです。ますますグレー化する政治を働く人に近づける政治を期待したいところです。ガンバレ社民党!!!


 毎日が寒くなってきました。乾燥もしてきました。こんな状況はインフルエンザがはやる下地にもなっているのでしょう。ということはコロナウイルスも同様なことがいえるのはと思います。
 日々感染に気をつけたいものです。それでも、むずかしい状況は政治がちゃんとやらないと東京五輪どころではないでしょう。

 今週の「わたしの悲喜こもごも」は社民党の分裂でした。ちょっと寂しいかぎりです。それでも、これからも残った人とたちともどうにかお手伝いをしていければいいのではなのでしょうか・・・。
 明日から、その月刊誌の締め切りの一週間です。バタバタとアタフタとしながら始まりそうです。これも、どうのかやるだけでしょうか。

 NHKBSでみている火野正平さんの「こころ旅」が福島です。寒いのに頑張るなーと、応援している番組です。楽しみにみています。そんなところですが・・・。
 そんことを思いつつ冬支度がはじまるように思えます。
 それでは今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。

海の向こうの「大騒ぎ」に思う・・・

2020年11月08日 | Weblog
こんにちは。
朝夕の寒さがきびしくなってきましたね。知らず知らずのうちに手をポケットにいれて歩いている日々があります。務めにいく朝方にははく息も白くなってきました。混雑した電車では「3密」などとは無縁な時間がつくられつつあるようです。

 新型コロナウイルス感染が今年の2月から始まって11月を迎えてもいまだにその勢力が衰えそうにもありません。これから寒くなれば乾燥もするだろうし、飛沫はさらに広くなっていく様子が浮かびます。米国などでは1日の感染さが10万人というところも出てきました。日本では、とくに大都市では感染者の数がいまだに減る傾向にはないことが現実のようです。少しずつ、病院も患者に追いつかぬないほどの感染者が増えていくとに不安があるようです。欧州では、「外出禁止」や「営業時間制限」なども出てきています。イベントが大きくなれば、感染者も多くなっていくいう形では、東京五輪というどころではないのでしょう。


 さて、今最もニュースになっていることは、連日報道されている「アメリカ大統領選挙の開票速報」でしょうか。それにしても、なかなか決まらないのには困ったものだと思います。いま米故国でやるべきことは民主党の共和党のたたかいだけに終わらず、コロナ感染対策でしょう。
 今日、朝方やっと米国のメディアも開票から、民主党のバイデン氏が大統領確実の報道がされていました。それを受けてトランプ氏は法廷闘争の準備にむかったことも報道されていました。やっと、一歩前に歩き出したようです。

 私は個人的に今回は民主党だろうと思います。これまでトランプ大統領がやってきた政治は、「力による分断と差別」ものだと思います。多くの働かない富裕層をつくり、貧しい人をさらに貧しくするという貧富の差も拡大させ、その差別が人種差別になり、さらにはコロナ感染者の拡大もつくったのだと思います。それでも不法移民への対抗処置としてメキシコ国境に壁をつくったことから始まった、トランプ大統領の政治が終焉をむかえることになったいうことでしょう。
 やっぱりトランプは経営者であって政治家ではなかったようにも思えます。
 これからは、どうやってトランプ氏が「負け」を受けとめて撤退をしていくかということが問われてくることになるでしょう。

 昨日新聞で読んだ「負けました」というコラムがのっていました。
 将棋の世界のように「負けました」という言葉から相手への気づかいがあるといいます。そういうことによって、これからもよきライバルとして「お願いします」という挨拶のようになっているのでしょうか。
 今後、負けたトランプ氏がどんな行動をとっていくのでしょうか。さらなる、泥試合になっていくのでしょうか。米国の民主主義を形づくるうえでますます、米国政治は、世界の鏡になっていくのでしょうか。



 もう11月なんだなー、と思いが強く持てた光景に「七五三」があります。
 今年もコロナ禍での散歩途中、神社で日々多く見ました。両親、おじいさん、おばあさんを引き連れて、さっそうと歩くはれぎ姿の子どもたちはこれからの希望のようにみえました。成長のはやい子どもの着物はもったいないと思いつつ、「何よりも今日まで無事に生きてくれてことに感謝」という気持ちが強いのかもしれません。親族、一族があつまってそのお祝いが七五三なのでしょう。
 私の子どものころ神社で遊んでいると「おびとき」という行事がありました。神社で遊んでいるところに、突然、お姫様のように着飾った同級生が親と一緒に神社詣りにみえました。私たち遊んでいるこどもにとっては、この日楽しみにしているのは、赤飯やきんぴらなどが手のひらにのせてふるまってくれたことがうれしい一日になりました。その時の赤飯がうまかったこと。

 落語に「かくばかり偽り多き世の中に、子の可愛さは真なりけり」という枕で始まる「子別れ」を思い出しました。内容は、酒と浮気で離縁して暮らす大工の熊五郎。そんな熊五郎にあいそがつきて妻は分かれる。妻に引き取られた亀。
 これはだめだと・・・熊吉は一念発起してまじめに大工仕事を再開して、これまでの生活を一新しまじにはたらきに出る日々を送る。ときおり、妻のありがたさを後悔する日々でもありました。ある日、仕事に向かう途中 偶然、友だちと遊んでいる亀坊を見かけ、そばによると自分の子どもだとわかる。子どもを中心に熊五郎と妻がまとに生活にもどっていくという人情噺。めでたし・・・めでたし。

 とはいえ、現実には子どもをめぐる環境は厳しいことは昔よりも悪いのだろうと思います。事実「子ども食堂」などで食事をする子どもが増えていることも多くきく。そんななかでも大人の善意ある人たちによって、どうにか子どもの栄養を考え食事を提供している。これまで、子殺し、親殺しというのは小説のなかのことだけと予言してきたが最近では、現実になっている。果ては、自分の子どもを虐待も増え、強姦する父親が裁判【最高裁で2017年愛知県で男(50歳)抵抗できない実の娘性的暴行に対するに準強制性交罪】で争われる時代になってきたことが最近のできごとである。
 背景には親の経済的貧困が多いのは原因があるのだろう。子どもを産んでも失業すれば生活は悪化していく。そうなるまいと、仕事をもって頑張っているのが今の状況だと思う。朝、保育所に子どもをあずけ仕事にいく。さらには時短で帰り子どもを育てる。さらには、二人目になれば、さらに親の負担は増える。とうとう限界、ということもあって仕事をやめてしまうこともありました。男が「保育休暇」をとるのは、日本の企業はいい顔をしません。公務員のようにしっかりした労働組合でもあればいいのですが、組合さえない職場が圧倒的なのが現実でしょう。政治がとりないさいといっても、現実に職場ではそうななっていません。「育メン」はまだまだ遠いことのように思えるのがリアルな姿のでしょう。

 要は安心して働き暮らせる社会がない仕組みが拍車をかけている。個人の限界がますます非正規社員という仕組みによってできがっている社会。
 それでもどうにか育る親が子どもを思う気持ちは「真実」なのだ。そのことに報いる社会がちゃんと責任をもって育てることが問われているの今だと思う。いずれにせよ大人の責任です。元気な子どもに育つ条件をつくるのも大人の責任・・・。そんな当たりまえができない現実はこれからも続くようです。


 寒さがきぼしくなってきました。そこへきて乾燥もしてきました。冬の到来です。光をとおして、埃が舞う様子も見えるようになってきたようです。人が動くたびに衣類からでる塵で空気の動きが見えています。
 この瞬間、タンポポの種でも飛ばしたらきっと種が浮遊して空気の流れも分かるのでしょうか。こんな気持ちになるのもやはりコロナ禍のせいなのでしょう。車内でクシャミでもしようものなら、体の位置もかえています。

 最近ではコロナ禍にどっぷりつかって当たりまえの生活なのでしょうか。とくに若い人たちの無関心ぶりには驚くばかりの日が多い。自分の身の周りに、少しでも抵抗力が弱い傷病者がいることを忘れているような気がするときもある。そんな中で、家族もその一人がいるということは、それを取り囲む人たちにとっては、コロナウイルス感染は重大な日々に変わりはない。

 きっとどんなことを言っても感染するときは、いつどこで感染しても不思議ではない・・・ということが記憶のどこかにあるのでしょう。わたしもそう思うことがある。そしてそれが軽いか重いかだけで、さらにはそれを誰に感染させていはいけないのかということを日々明確に覚えさせる日々がまだ続きそうだと思う。
 重要なことは、私ということより家族に罹ってはまずい人がいるということを考えて生きていくのだろうと思う。すぐに重症化するリスクがある人がいちばんの被害者になってしまう。日々マスクの下の笑顔にも、そのことをこれからは考えていくことが、寒さ対策と同じように考えないといけない季節になってきたということだろう。


 今日、いいことはありましたか。
 普通の日曜日だったでしょうか・・・。休日には唯一の体力づくり散歩をしていると、近場で紅葉を楽しもうとしている人が多いことに目につきます。花見のように知人・友人でしょうかお弁当持参の人たちがいました。日本はのんびりしているなー、と思う反面、こういうことが大事なことなのんだろうと思います。とはいえ、マスクと消毒スプレーは常時携帯ということなのでしょう。この同日・同刻ヨーロッパでは一日の感染者がひと月10万人以上も出ているニュースがあります。とうとう、第2波、第3波きたのか、という思いがあります。そのための経済活動を急きょ自粛させ、夜間外出禁止や営業も出てきています。寒さもあるのでしょうか。それよりは、夏がすぎ、経済活動や旅行などで人の移動が大量になったせいでしょう。そのつけが一気に出てきたようにも見えます。日本の例外ではなく、その軌道にそって動いています。また、増えてくるのでしょうか。



 きょう、やっと海の向こうの米国の大統領が民主党のジョー・バイデン氏が確定したようです。とはいえ78歳だそうです。高齢なのが心配なところです。副大統領が頑張ってくれるのでしょう。一方トランプ陣営は、裁判闘争に持ち込むそうです。どこまでも、「負け」を認めなようとしないのでしょうか。これからも、米国は大変でしょう。コロナも増えているのだろうし、まずはコロナ対策の政治をやる必要があるのでしょう。
 
 今週「年末調整」書類がきました。今年も終わりが近づいているようです。さらには、仕事での新年号についての準備がはじまりました。
 「何が新年か」と思いましたが、時間は過ぎていきます。
 はやいものですね。
 それが今週はこの辺で失礼します。
 読んでくれた人、ありがとうございました。



12月は、すぐそこです! 寒さがつらい!!

2020年11月01日 | Weblog
こんにちは。 
 朝夕が寒くなってきました。この時期は、昼間の暑さで汗をかいてそのまま放置すると夕方には寒く感じるのもこのごろです。うっかりしているとカゼをひくことさえあります。この時期は、寒さにこまめに対応して生活することが大事な季節なのかもしれません。老いて思うことは、寒さが身体を動かすのがおっくううになる時期になるのかもしれません。できるだけ、無理のないように体を動かす習慣が大事なのときだとも思います。
 とはいえ、私は「さむーい」ということが頭に固定されていていやな季節に思えてなりません。体を動かす「楽しみ」をさがしながらいくしかないのでしょうか。



 さて今週もあいかわらずコロナウイルス感染が続いています。それでも、世の中は、「GoToトラベル、イート」などで旅行に食慾にスポーツ観戦も観客が増えていく傾向にあります。都内でも感染者の毎日の数が減る傾向もありません。ここ一年間ずーっとコロナ禍のなかにいます。最近ではどれほど注意していたスポーツ選手の感染者もときおり出ています。そのため、国際大会に参加できなくなることもありました。
 ヨーロッパなのでは、感染第2波という状況でした。フランスでは夜間の外出禁止、イタリアでは飲食店の夜間営業制限もでているニュースもありました。さらにはべるごーでは薬局、食料品店以外は指定時間以外は閉店するということもありました。こんな世界の状況を聞いてていると「これで本当に東京五輪できるの?」とも思います。五輪のチケットの払い戻しもはじまっています。
 今の様子をみると、どの段階で「五輪中止」が決定されるのだろうかと思えてしまいます。「人命よりスポーツか」という選択を迫られているような11月、12月がやってきたように思えます・・・。

 毎日、同刻に同じところに立っている。それがだいたいのサラリーマンの生活なのだろう。私もサラリーマン生活40年ほどやっていて、いろいろな場所で通勤途中の数分間にわたって立って同じ景色を眺めてきたように思う。ある時は、毎日同じ電車に乗り、いつも目の前にいつも座っている人が居眠りをしていたところ、起こした経験もあった。よっぽど疲れたいたのだろうと思う。

 最近では、毎日乗るバス停。停留所の横にあるクリーニング店の二人の女性店員が目にはい。どこにでもあるチェーン店のなかの一つだろう。バスを待っているとき、どこにでもある数分間の光景。それでも、長い間見ていると二人の性格も違うこともなんとなくわかってくる。一人はとてもきれい好きななのだろう。お客様が来る前に、毎日ガラスを拭いたり、掃除をしている。もう一人は、そのガラスに可愛いワッペン(手作りか)を貼っては、店を明るくしようとしていた。
 夏の暑い晴れの日も、雨の日も、雪の寒い日にも、そんな景色を眺めながらバスを待っている毎日である。きっと、ときどきケンカもするのだろう・・・と思う。
 自然を相手にしているサバイバル家族の服部文祥さんではない限り、だいたい人は毎日同じことを繰り返しているのだろうと思う。

 若いころ、私には毎日会社帰りに立ち寄る定食屋さんがあった。すこし高齢のご主人と奥さんとの二人でやっていた。そこに、息子さんが「お母さん」といいながら、忙しいお母さんに甘えている光景をよくみながら食事をしていた。毎日、ビール一本と日替わり定食を頼んでいた。そのうちに、ご主人ととき折々のことを話すようになった。ときどき、近所の話もするようになった。私も、少しずつ同じ区域に住んでいる人たちの様子も浮かんでくるようになった。ご主人や奥さんと話しをしながらの夕方の定食屋さんは楽しい時間だったように思う。
 そんなことを思いながら職場の若い独身の子に「よく行く定食屋さんにないの」と聞くたことがる。そして独身者いわく「最近はチェーン店のお弁当屋さんですよ」とかえってきた。だから、そこで働く人と話すこともないという。

 今はなんでも早く・・・、というのが美学となっているのだろうか。ゆっくり思う、考えるといったことが少なくなったようにも思う。さらには、他人さまと一緒に話す時間も消えつつあるのだろうかと思った。私は、同じ空気のなか、毎日見る人、見える景色になんとわなく元気になれるものがあるのだろうと思う。
 そこで話をできれば、どんな内容であれ大事な時間だったように思う。
 そんなことを思いながら、人がいやがることをすればストーカーである。そして犯罪でもある。いやな時代だなー。わるぎがないとしても誤解される。なんとなく住みにくい世の中になってきたようにも思う。
 そんな世の中に思える自分、思えない自分。どれだけ、他人と元気のでる会話をつくってきたのだろうかと思うことがある。


 今週もなかなか更新がままならなくなったような気がする。これもコロナ禍のせいなのでしょうか。日々思うこと、考えることなどまとまらず今日を迎えている状況だろうか。一つのことを考え、どうまとめるか・・・などを考えて浅知恵ではなかなかうまくいまず、少しずつ当日更新がなくなり遅れてしまう傾向にあるようになってきたのが今年の特徴なのだろう。
 とはいえ、流れに身をまかせていたらどうなるかこれも不安であることは確かである。まして、世の中は、華やかに時を忘れることばかりである。ひとつにテレビ放送などをみればわかるように、その時ばかりの爆笑をさそう番組が多くなってきたようにおもう。「こんなこともあるよな・・・」と考えさせるテレビ番組がなくなったようにも思える。昔は、ゆっくり見たいテレビ番組も多かったように思う思うのだが。

 更新が遅れたせいか、「大阪都構想」の否決が決まったことが判明した。いったい「都構想」とはどんなことだろうか。ただこの法案に反対していた知人いるので気になっていた。その人曰く、「大阪都構想なんてちっともいいことはない。いいことは政治家が自分の思惑通り政治が行なわれることだろう」と、言っていた。それは、政治家は自分のやりたい政治をするために、いつでも法律をつくり、住民を説得していることが仕事なのだろうから仕方がない。ということは、大阪の政治は維新の会が進めてているわけでから、まあ、いいことはないだろうと思っていた。
 あんのじょう「否決」されたのだろうと思う。

 コロナ感染は、欧州などでは「第2波」がきているほど感染者が増えてきているという新聞記事が多くなった。英国などでは、外出禁止まででてきた。
 日本でも、これまで感染の減る傾向も期待できない状態。さらに「GoTo」で経済活動も少しずつ活発になってきた。その後は感染者が増えるのではと心配している。いったい、この先はどうなっていくのだろうか。
 「自助」ではもう限界ですが。
 まあ、ボチボチと行きます。
 読んでくれた人、ありがとうございました。