『ベラミ 愛を弄ぶ男』などのプロデューサー、ウベルト・パゾリーニが監督を務め、身寄りのない人の葬儀を行う地方公務員の姿にスポットを当てた人間ドラマ。『戦火の馬』などのイギリスの実力派俳優エディ・マーサンを主演に迎え、心を込めて死者を弔う孤独な男の生きざまを描く。主人公が淡い思いを抱く女性を、テレビドラマ「ダウントン・アビー ~貴族とメイドと相続人~」などのジョアンヌ・フロガットが好演。人生の最期にまつわる、ほろ苦くて切なく優しい物語に魅了される。出演/エディ・マーサン ジョアンヌ・フロガット カレン・ドルーリー
脚本・監督/ウベルト・パゾリーニ
あらすじ:公務員のジョン・メイ(エディ・マーサン)は、ロンドン南部ケニントン地区で亡くなった身寄りのない人々の葬儀を執り行う仕事をしている。いくらでも事務的に処理できる仕事だが、律儀な彼は常に死者に敬意を持って接し、亡くなった人々の身内を捜すなど力を尽くしていた。糸口が全て途切れたときに初めて葬儀を手配し、礼を尽くして彼らを見送ってきたが……、解雇通告を受けてしまう。彼の最後の案件は、言葉を交わした事のない近所の住人ビリーの弔いだった。
<感想>日本でも現在、1日あたり12人が一人静かに人生の幕を閉じている。そして、主人公ジョン・メイの静かな人生。そして彼が見送る孤独に亡くなった人々の人生。生をまっとうし、死に至ればそこですべてが終わるわけだから、その意味では文字どおり動かない人生なのかもしれない。
孤独死をあつかった映画であるが、悲しみや悲惨さを声高に訴えることはなく、ドライなヒューモアを交えて静かに淡々と描かれてゆく。昔のイギリス映画の品位と格調がありますね。喜怒哀楽を表してはいけないという難役を、エディ・マーサンは見事に演じている。表情はあくまでクソ真面目な顔だが、時々見せる優しさ真摯さがいい。
心を込めて亡き人を悼み、たった一人で身寄りのない故人を見送るジョン・メイの日常は、実に質素で日々淡々と過ぎてゆく。それにしても、英国の下級官史はこんなに簡単に解雇されるのかと驚いてしまった。ジョンが腹いせに、上司の車に立ちションをするところが滑稽である。
死者の回想場面ぬきで、孤独死した人の葬儀を執り行う公務員が、最後の死者の身元調査をする様子を淡々と描くだけ。孤独死した故人の遺族にそれを伝える伝令役というものは、招かざる客だろうから。
静かな物腰と佇まいは威圧感を与え、目の前に立たれたら遺族は責められた気分になるだろう。善意のはずなのに、死神のような存在感が物悲しさを誘います。その過程で、故人との娘と出会うのだが、場所が野犬の檻の前で、その内と外で人物が切り離される。
つまり向かい合う人物の距離は縮まらず、相手の境域には入らないのだ。それが破られる予感がした瞬間に、不意打ちが襲うのだ。
ジョンの生活は、淡々とした毎日で食事はツナ缶にトースト1枚とコーヒーの夕食。お酒は飲まない。この主人公のジョンもまた孤独な人生を送っている一人なのである。それが、最後の案件でどうしても遺族を探してあげようということになり、写真のネガをみつけて現像してアルバムに張り付ける。
その写真の綺麗な娘、一目惚れでもしてしまったかのようなジョンの様子が、まるで青年のようだ。その娘に会うために青いセーターを着てウキウキと出かけるのだが、向かい側に美しい愛する娘がいるのを見つけて走る。するとそこへバスが来てジョンが跳ねられるのだ。彼女にプレゼントするマグカップまで買ったのに~可哀相に。
なんとした哀しい結末なのか、これでは彼の葬儀も、神父だけの寂しい孤独死と一緒ではないか。彼の墓地は、最後の案件のビリー・スタークに譲って、今まで孤独死を見送ってきたジョンは、奥の共同墓地で独りぼっちの葬儀で、なのに、ビリーはジョンが必死になって説得した親戚や娘に元妻、フォークランド紛争でともに戦った空軍の戦友など、たくさんの人に見送られての葬儀である。
こんなはずではなかったのに、すると、棺が埋められ皆が帰ると、今までジョンが一人で葬儀をすませて見送った人たちが、幽霊となってジョンのお墓の周りに集まってくるではないか。何とも言えないラストの余韻に、人知れず涙がこぼれてきてしょうがなかった。
2015年劇場鑑賞作品・・・60 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
脚本・監督/ウベルト・パゾリーニ
あらすじ:公務員のジョン・メイ(エディ・マーサン)は、ロンドン南部ケニントン地区で亡くなった身寄りのない人々の葬儀を執り行う仕事をしている。いくらでも事務的に処理できる仕事だが、律儀な彼は常に死者に敬意を持って接し、亡くなった人々の身内を捜すなど力を尽くしていた。糸口が全て途切れたときに初めて葬儀を手配し、礼を尽くして彼らを見送ってきたが……、解雇通告を受けてしまう。彼の最後の案件は、言葉を交わした事のない近所の住人ビリーの弔いだった。
<感想>日本でも現在、1日あたり12人が一人静かに人生の幕を閉じている。そして、主人公ジョン・メイの静かな人生。そして彼が見送る孤独に亡くなった人々の人生。生をまっとうし、死に至ればそこですべてが終わるわけだから、その意味では文字どおり動かない人生なのかもしれない。
孤独死をあつかった映画であるが、悲しみや悲惨さを声高に訴えることはなく、ドライなヒューモアを交えて静かに淡々と描かれてゆく。昔のイギリス映画の品位と格調がありますね。喜怒哀楽を表してはいけないという難役を、エディ・マーサンは見事に演じている。表情はあくまでクソ真面目な顔だが、時々見せる優しさ真摯さがいい。
心を込めて亡き人を悼み、たった一人で身寄りのない故人を見送るジョン・メイの日常は、実に質素で日々淡々と過ぎてゆく。それにしても、英国の下級官史はこんなに簡単に解雇されるのかと驚いてしまった。ジョンが腹いせに、上司の車に立ちションをするところが滑稽である。
死者の回想場面ぬきで、孤独死した人の葬儀を執り行う公務員が、最後の死者の身元調査をする様子を淡々と描くだけ。孤独死した故人の遺族にそれを伝える伝令役というものは、招かざる客だろうから。
静かな物腰と佇まいは威圧感を与え、目の前に立たれたら遺族は責められた気分になるだろう。善意のはずなのに、死神のような存在感が物悲しさを誘います。その過程で、故人との娘と出会うのだが、場所が野犬の檻の前で、その内と外で人物が切り離される。
つまり向かい合う人物の距離は縮まらず、相手の境域には入らないのだ。それが破られる予感がした瞬間に、不意打ちが襲うのだ。
ジョンの生活は、淡々とした毎日で食事はツナ缶にトースト1枚とコーヒーの夕食。お酒は飲まない。この主人公のジョンもまた孤独な人生を送っている一人なのである。それが、最後の案件でどうしても遺族を探してあげようということになり、写真のネガをみつけて現像してアルバムに張り付ける。
その写真の綺麗な娘、一目惚れでもしてしまったかのようなジョンの様子が、まるで青年のようだ。その娘に会うために青いセーターを着てウキウキと出かけるのだが、向かい側に美しい愛する娘がいるのを見つけて走る。するとそこへバスが来てジョンが跳ねられるのだ。彼女にプレゼントするマグカップまで買ったのに~可哀相に。
なんとした哀しい結末なのか、これでは彼の葬儀も、神父だけの寂しい孤独死と一緒ではないか。彼の墓地は、最後の案件のビリー・スタークに譲って、今まで孤独死を見送ってきたジョンは、奥の共同墓地で独りぼっちの葬儀で、なのに、ビリーはジョンが必死になって説得した親戚や娘に元妻、フォークランド紛争でともに戦った空軍の戦友など、たくさんの人に見送られての葬儀である。
こんなはずではなかったのに、すると、棺が埋められ皆が帰ると、今までジョンが一人で葬儀をすませて見送った人たちが、幽霊となってジョンのお墓の周りに集まってくるではないか。何とも言えないラストの余韻に、人知れず涙がこぼれてきてしょうがなかった。
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