ぶらぶら人生

心の呟き

3月の庭 (土筆の坊や)

2016-03-14 | 草花舎の四季
                   3月12日  春日和

     
                     「草花舎」の入り口
     

  
            久しぶりにいただいた昼食(カレーライスとコーヒー)
                     おいしくいただく。


                           室内の花々
  
         
         
           白木蓮とヤシャブシ     

                     草花舎の土筆も、ぽついぽつり
                      (群生にはあえなかった)
  



                   空は楽しい! (雲さまざま)
         
              飛行機雲                  遊ぶ雲

                 
                           湧く雲
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言葉(=人)に遇う

2016-03-13 | 身辺雑記
 私にとって、言葉との出逢いは、人との出逢いである。
 10日、<とみ>で食事をした後、お手洗いを借りた。
 その部屋の、すぐ目につくところに、葉書大の額が置いてあり、処世訓らしき言葉が書かれていた。(写真)

       
   (光線の具合で、写真画面に、私の手やカメラまで写ってしまったので、修正を加えた。)

 私は、心で肯き、<そのとおりだな>と思った。
 読む人に、ふと自分の人生をふり返させる言葉。
 <他人と自分>、<過去と未来>、<変えられるものと変えられないもの>との対比において。
 私は、未来(残生)の短さを感じながら、それでも心の持ち方次第で、余生は自分の意思で変え得るものだなと、瞬時に考えていた。

 これは、だれの言葉かしら?
 文字にも味がある、と思った。

 お店の人に尋ねると、
 「鬼の絵の入った額ですか?」
 と、聞かれた。
 私は、中央にある小さな絵には、全く気を止めていなかった。
 「あれは、鬼?」

 「山口県の人?」
 「日原の方?」
 と、<とみ>の母子お二人の記憶は、曖昧そうであった。

 「家に本があります。読まれますか」
 と尋ねられ、借りることになった。
 「ポストへ入れておきますから…」
 とのことであった。
 そして、10日の夕、本とポストカード5枚が、届けられた。

         ポストカード(5枚のうちの3枚)と本 
      

 翌11日、しの武著 『もう、なげかない』 を読んだ。

 この本 『もう、なげかない』 は、2013年12月1日に、初版が出ている。
 (月刊誌「エデュー」に、2010年12月号~2013年1月号まで連載されたものをもとに、書き下ろしされたもの、とある。)

 著者は、1972年生まれで、まだ若い。
 が、その生い立ちは平坦ではなかった。
 この本は、出生から現在までを、人に語りたくないようなことにも目を背けず、虚飾を排して書かれたものである。
 『もう、なげかない』は、赤裸々な自叙伝である。
 
 ごく平凡に、挫折を挫折とも思わず、のほほんと生きてきた私には、驚きであった。
 不幸をプラスにかえて、このように生きた人もあるのか、と。
 現在は、しっかりした信念と自信に満ちた生き方をなさっているからこそ、この本は書けたともいえるだろう。

 この作者について、私は全く知らなかったが、ご存知の方は多いのかもしれない。
 テレビ出演、講師、<おにの絵展>の開催など、いろいろな場で活躍なさっているという。

 下関市長府には、しの武さんの店「おにの家」があるという。
 私は、この本を読んだ後、しばらくタブレット上で、そのお店を訪問し、たくさんの<おにの絵>と人生訓や名言に出会った。

 考えてみると、<おに>は、誰の心にも、潜んでいる。
 やさしい<おに>より、醜悪な<鬼>が、多いのかもしれない。
 その人が潜ませている<おに>は、それぞれの人柄と無関係ではないだろう。

 <おに>の発想は、面白い。
 作者は若くして<おに>に気づき、描く対象にも、それを選ばれたのだ。

 自伝によれば、著者の人生前半は、確かに紆余曲折があり、不幸せに追っかけられる日々であったようだ。
 にもかかわらず、今の幸せは、どうして得られたのだろう?

 いかなる不幸の中にも、微かな灯(ともしび) は存在する。
 言い換えれば、人生に<僥倖>皆無ということはない。
 彼女は、その<僥倖>を見逃さなかった人である。
 微かな灯を素直に受け止め、心の中で、それを大切に温めることのできた、希有な人である。

 もう一つ、彼女は、独創的な潜在能力に恵まれた方でいらっしゃった。
 その能力を、自らの人生に生かす力にも優れていらっしゃる。
  
 彼女の現在の幸せは、そうした背景があって、築かれたものだろう。
 
 私は、この本から、人の様々な一生に思いを寄せ、また私自身の人生を顧みた。

  ※ 著者は、山口県生まれであり、中3の1年を、日原で過ごしておられる。
    <とみ>の母子が、語っておられたのは、どちらも真である。 
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朔日降り(ついたちぶり)

2016-03-12 | 身辺雑記
 3月は、不安定な天候が続く。
 先日、 『美しい日本語』 (小学館)をパラパラめくっていると、<朔日降り>という言葉が、目に留まった。
 
 <月の第一日目に雨や雪が降ること。これがあると、その月は雨や雪の日が多いと考えられていた。>

 との解説があった。
 なるほど、と思った。

 この月は、雪で始まった。
 <朔日降り>の言葉どおり、天候不順である。
 昔の人たちの生活体験から生まれた言葉であろう。
 (私には、なじみのない語彙であったけれど…。)
 

 今朝も、雨が降った。
 今日は、庭師のO夫妻が、庭木の消毒と施肥に来てくださることになっていて、空模様が気になった。

 雨の止み間に、外に出て空を眺める。
 青空がのぞき、日差しも漏れていた。

 杏子の蕾、椿の花にも、雨滴が光っている。

       

       

       
        軒下の蕗の薹(2個)の周りには、その葉も伸び始めた。


 昼前、庭木の消毒は無事終わった。
 施肥も。(こちらは隔年に。)
 すべて、Oさん任せである。

 夕方、また雨となった。
 施肥の浸透にはいい雨かもしれないが、消毒の効果はどうだろう?
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6000歩の散歩

2016-03-11 | 散歩道
        3月10日の散歩。

 往路は<とみ>まで。(国道を通って最短距離を歩く。)
 復路は<自宅>まで。(山沿いの道を歩いて、遠回りする。)
 6000歩の散歩となった。(5000を超える歩数を歩いたのは、実に久しぶりである。)

 途中は、木の花や野の草花を眺めながら、ゆっくり歩いた。
 新葉が最も目立つのは、紫陽花。

 家猫の出迎えを受けた。白木蓮の花咲く家で。

  

  

   
              
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レストラン「とみ」にて

2016-03-11 | 散歩道
            3月10日 レストラン<とみ>にて昼食
                    安らぎのひと時

                 窓からの眺め(遠山と入江)             


        

        

        

        

                   天婦羅定食とコーヒー
                    すべて美味!

        

            


                   二組のお客が食事中だった。
         駐車場に止まっていた香川および広島ナンバーのお客だったのだろう。  
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白木蓮と紫木蓮

2016-03-10 | 散歩道
 桜に先立って、木蓮の花が開き始めた。

 国道沿いにある家の庭に、白木蓮の蕾がこぞって上を向き、、銀白色に輝いている。
 大木の下に佇み、多数の蕾をつけた枝々を見上げた。

 木蓮は、開花すれば、短命な花である。
 この時期、そのたたずまいには、静かさと気品がある。


        

        

         

  


 <とみ>からの帰途は、遠回りをした。
 勾配の激しい路をゆっくり歩いた。
 昼過ぎから雨が降るとの予報が出ていたため、長い柄の傘を持っていた。
 それが、杖代わりをつとめてくれた。

 民家の近くに、紫木蓮の大樹があった。
 やはり天に向かって、たくさんの蕾がついている。
 家にあるシデコブシの蕾を力強く膨らませた感じだ。
 雰囲気は、よく似ている。

 シデコブシの天敵はヒヨドリだが、紫木蓮にはカラスがきて蕾を突いていた。
 ヒヨドリは、人影を見ると慌てふためき、低空飛行して飛び去る。
 その点、カラスは悠然たるものだ。

 紫木蓮の開花は、白木蓮より少し遅い。
 この紫木蓮も、花色ののぞいた蕾の数は、まだ少なかった。

        

        

  


 駅裏まで帰ると、瓦屋根の上に、白い花が咲き満ちていた。
 枝々が天上に向かってまっすぐ伸びている様子や、花が小ぶりなところから、辛夷だろうと眺める。
 大樹は家裏にあり、断りなしには近づけないのが、残念である。
 辛夷の白い花は、楚々として美しい。

        


 春には、あまり見栄えのよくない、房状の花をつける木が多い。
 下は、その一種。
 
  
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土筆(ツクシ)と菫(スミレ)

2016-03-10 | 散歩道
 目的地は<とみ>。
 一停留所分、バスに乗ろうかとも思ったが、風もない曇り日なので、のんびり歩くことにした。
 日々、<老い加減>をテストしているようなものだ。

 道々、土筆を探す。
 中学校前の斜面で、この春、初めて、土筆の坊やに出合う。
 ぽつり、ぽつりと生えている。
 もう少し、にぎやかに生えているところはないものか。
 土色の大地から、類似色の土筆を見つけるのは、意外とむずかしい。
 私が、特別下手なのかもしれない。
 私自身が撮った写真の中から、土筆を見つけるのもむずかしい。
 同じ地下茎から生ずるというが、スギナは目立つのに、淡褐色の胞子茎(土筆の坊や)は、地味すぎる存在だ。
 春が訪れるたびに、和え物が作れるほどの土筆を摘んでみたいと思うのだが…。

  

  

 私が目にする菫は、コンクリートの隙間などに、窮屈そうに生えているものが多い。
 もっと広々とした草原に咲けばいいのに…と、かれんな花を眺める。

  
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杏子の蕾

2016-03-09 | 小庭の四季
                3月8日 また雨となる。
                雨の止み間に庭に出る。
                 杏子の蕾、膨らむ。
 
      

            今朝、家の庭でも、ウグイスの声を聞く。
            遠い山から届く春の声に、耳を傾ける。



                 3月9日 今日も雨。

  
           わが家の3種目の椿が、時間をかけ開いた。

   
        今のところ、ヒヨドリからの難を逃れているシデコブシ。
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庭にも春

2016-03-09 | 小庭の四季
             散歩から帰り、庭に見つけた春。(7日撮影)

       
                      蕗の花

       
        咲いては(あるいは花開く前に)、ヒヨドリに食べられるシデコブシ

       
           ヒヨドリに食べ残されたアオキの実が、色づき始め…
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散歩 4 (昔の通学路を歩く)

2016-03-08 | 散歩道
 津田海岸の浜辺を東へ向かって歩いた。
 思いのほか、足が軽い。
 行けるところまで歩くことにした。

 海辺から旧国道に出た。
 遠い昔(1950年頃)、通学のため、家から津田駅まで歩いた道である。
 半世紀以上の時間が流れ、当然のことだが、目にする風景は相当変わっていた。

 就中(なかんずく)、小さな集落と集落の堺(昔の村境)と、木部川の眺めは、思い出と大きく異なるものであった。

 民家の途切れた村境は、「じょうぐら」と呼ばれていた。
 どんな字を書くのかも知らない。
 「じょうぐら」は、とにかく寂しく怖い場所だった。
 春夏秋冬の別なく、平常心では通過できなかった。
 特に、とっぷり暮れた宵や暮色の漂う時間帯は、恐怖心の塊になって、歩いたものだった。
 防風林のような雑木が繁茂し、冬など特に、怒号のような海鳴りの音が、襲いかかる道であった。

 ところが、どうだろう。
 津田海岸が見えなくなった後、一つの集落(昔は、人気のない傘工場があった)を過ぎると、また小さな湾が見えてきたのだ。
 目の前にあるのは、波穏やかな入り江である。

 雑木林の向こうには、こんな風景があったのかと、足を止めて眺めた。
 奇岩の見える小さな岬には、洋風の建物まで建っている。
   (そこに至る岐路の入り口にはロープが張られ、通行止めの標識があった。別荘の類だろうか?
    得体のしれない建造物が不思議ではあったけれど、昔のような閉ざされた恐怖感はわいて
    こなかった。)

 昔とは、まるで異なる展望である。
 歳月は、こんなふうに風景を変えるものかと、驚いた。


  
         津田海岸の東の端                   「じょうぐら」の全貌

         
                     「じょうぐら」の奇岩

         
                     「じょうぐら」の眺め

        ※ 「じょうぐら」という地名については、古くからこの地に住んでおられる方に
              尋ねてみたいと思っている。

          (追記 昨夜、ベッドに入ってから、「じょうぐら」は、<常に暗い>から来たの
              では? と考えた。
              さらに、<じょうに暗い>という方言から来たのかもしれない、とも考えた。 
              この地方では、「たくさん」「いっぱい」のことを「じょうに」という。
                (「じょうに」の<じょう>は、過剰の<剰>か?)
              蓋然性は、後者の方が高いのかもしれない。
                  (あくまでも、就寝前の思案〔私案〕である。)
              いずれにせよ、漆黒の闇の深さから生まれた地名のような気がしてならない。
              現在でも、闇夜に歩けば、おそらく不気味さを覚えるだろう。 
 




 家に帰る途中、かならず木部川の橋を渡った。
 その川は、昔の川に比べ、よそよそしくなっていた。
 昔は、もっと野趣に富む川であった。
 整いすぎた感じは、堤防工事が行われたせいだろう。

 通学の途次、山の端に、点々と連なる狐火を見たこともあった。
 通学路には、寂しく怖い思い出ばかりである。
 (当時の私は、隣の市の高校に通う<汽車通学生>だった。未明に出かけ、日暮れて帰ることが多かった。)


         
                        木部川

         
                       木部川の河口

      木部の停留所で、バスを待った。
      待ち時間は15分あった。
      次のバス停までゆけるはずであったが、足が危険信号を出したので、その声に従った。
      4700歩の散歩であった。

                              (以上は、昨7日のこと)
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