ぶらぶら人生

心の呟き

全国各地に大雪

2016-01-20 | 身辺雑記
 北海道を始め、各地に大雪が降った。

 当地にも、暴風雪警報が出た。
 (平地で20センチの雪、と予報された。)
  
 就寝の折、

   雪やこんこん
   あられやこんこん
   降っても降っても まだ降りやまぬ…… 

   山も野原も綿帽子かぶり
   枯れ木残らず 花となる  

 と、幼い日に歌った唱歌を、口から出まかせに、おぼつかなく口ずさみながら、白銀の景色が見られるようにと念じた。

 しかし、雪景色とはならなかった。
 19日と20の朝、ひと時、庭の一部が白くなっただけである。
 当地は、海に近いせいか、まれにしか雪が降り積まない。

   
                     19日朝、9時の庭

              
                   午後、ひと時の晴れ間

 19日は、風が終日吹き荒れ、騒々しさの中で過ごすことになった。


   
                    20日朝、8時半の庭

 20日は風がおさまり、静謐な冬日となった。
 ただ、相変わらず寒さは厳しく、外出する気にはならず、蟄居して読書を愉しんだ。


 贅沢な願望として、雪のある地を旅し、しんしんと降る雪を眺めたり、ぞんぶん雪景色を味わいたいという思いはある。
 (が、近年は、電車の運休や遅れが多く、果たしようのない夢である。さらに、<年齢を考えよ>という自重の声も聞こえてきて…。) 
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風が出て

2016-01-18 | 身辺雑記
 朝食時に、前歯が欠けた。
 すぐ歯科医に電話し、診察の予約をした。
 11時半に受診できることになった。
 急いで準備し、外出した。

 朝のニュースで、日本各地の積雪、雪による事故や交通網の乱れなどを報じていた。
 当地では、積雪こそないが、雨が降ったり止んだりの悪天候である。
 夕方からは、風が強くなるという。

 三日前に、歯の定期検診を受けたばかりである。
 今年は新年早々、予想外の、良からぬことがよく起こる。

 自分にとって不都合な出来事は、いつでも起こりうることである。
 理屈ではよく判っていても、お正月早々の不具合は、今年一年が占われているようで、快くはない。
 今日の、歯が抜け落ちるという異常も含めて。

 (今週は、日本列島が寒気団に覆われるとの予報なので、蟄居して過ごすしかないと思っていたのだが、早速出かけざるを得なくなった。)

 M歯科医の診察台から、庭を眺める。
 池の鯉は二つの群れに分かれて、隅に身を寄せ合っている。
 遊泳を楽しんでいる鯉はいない。
 冬ならではの池の風情である。

 庭石も、苔むしてきた。
 池の上に、一枝を這わせた松の木だけでなく、すべての木々が、風格を備えている。
 幾歳月を経たのだろうと、庭の歴史に思いをはせる。

 平成元年に、インプラントの最初の治療を受けた。
 それ以前に、造園されていたことに思い及ぶ。

 と、木々の梢が揺れ始めた。
 「風が出た」と思った。
 「風が出る」は、標準語? 「風が吹き始める」と言うべきか?

 (帰宅後、広辞苑で確認。 「出る」の意味の、<●3>源から起こる。 に、 <吹き始める。「風が出てきた」> とあった。)

 「風が出た」と心でつぶやき、「出る」の遣い方にふと疑問を抱いたが、方言ではないことを確認。

 治療を終え、Mレストランで、昼食をとった。
 大窓から外を見ると、駅前の風景も、風に揺れていた。 

        
       (デジカメをバッグに入れ忘れ、タブレットで撮ったもの。)


 このブログを書いている今は、風がますますひどくなり、雷鳴がとどろいている。
 先ほどは、霰が、ひと時、地をたたいた。
 歯科医の診察が、午前中でよかったと、荒れ始めた戸外を眺める。


 
 追記 
    先週は、T医院で、内科の定期診察(14日)を、M歯科医院でも、歯の定期の診察(15日)を受けた。
    T医院では、折々自覚する低血圧時の不調について相談した。
    ところが、その日の血圧は、178もあった。
    これまで高血圧で難儀だと思うことはないのだが、下がると浮遊感があり、不安が高まる。
    先生に相談すると、症状が出たときには、頭を低くし、足を高くして休むようにと言われた。

    歯科医では、いつもの歯の掃除の際、虫歯が見つかり、処置をしていただいた。
    自覚症状はなかったのだが、体調不良の日など、歯磨きがいい加減になっていたのかもしれない
    と反省。

    一日の中で、何か一つのことをすれば、大仕事をしたような気になってしまう。
    他のことが、全て疎かになる。
    かくして、内容の空疎な日々が過ぎてゆく。
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プロセス

2016-01-17 | 身辺雑記
 シデコブシの蕾は、低木の枝に、たくさんついている。
 その成長の具合は、早いのあり、遅いのありだ。
 成長のプロレスは、さまざまである。

 一つだけ、膨らみの、格別大きいのがある。
 毎日、楽しみに観察している。

 ついに花びらの色がのぞき始めた。(下の写真)
 開花すれば、淡紅色になるはずの花びらが、今は赤紫色をしている。
 一つの蕾の中に、幾枚もの花びらを折り畳んで。

 植物は植物なりに、成長のプロセスを持ち、また滅びのプロセスを持っている。

        
                      15日に撮影

        
                 16日に撮影(久々の青空の中)


 今日17日は、兄の祥月命日である。
 妹からの電話で、思い出した。
 昨年の日記には記しているのに、今年は言われて思い出した。
 それだけ、感覚や感情が鈍くなってきたのだろうか。
 兄が、79歳で他界して、7年の歳月が流れた。

 老いのプロセスも、人それぞれである。
 身近な人たち、父母の、師の、兄の晩年に思いを馳せる。
 みな、楽な老いではなかった。
 その朝まで、自分の足で歩き、96歳の生涯を終えた父だけは例外のように思っていた時期もあった。
 が、大往生と言われた言葉の陰に、ずいぶん苦悩があったのだろうと、今は考える。
 長寿には長寿なりに、老いの過程に、他人には説明し難い、個々の苦悩があるのだろう、と思う。

 今日は、阪神・淡路大地震(1995年)の記念日でもある。
 21年を閲した今も、癒えぬ哀しみを抱き続けている方も多いのだろう。
 哀しみが癒えるのにも、長い時間を経なくてはならない。


 今、震災の翌年、有馬温泉に行き、復興半ばの神戸の街を歩いたことも、思い出している。
 思い出を共有している人も、今は故人である。        
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眼科医院へ

2016-01-12 | 身辺雑記
 最近、テレビやPCの画面が見づらくなった。
 目に異変が生じたのかと心配になるほど。
 案ずるより、病院で診てもらおうと、連休明けの今日、S眼科医院へ行った。

 (今朝は、診察の必要があるのかと思うほど、よくものが見えた。
 テレビ画面も。
 しかし、一年以上、診察を受けていないので、この際、受診しておくことにしたのだった。)

 視力検査を受ける。
 すると、大文字、中文字ばかりでなく、小文字になっても、不思議なほどよく見えた。
 私の方から、
 「思いのほか、よく見えました」
 という。
 すると、看護師は、
 「1・5と1・2ですが、先生によく診察していただきましょう」
 と言い、しばらく椅子にかけて待つよう指示された。

 白内障の手術後の検査で、こんな高い数値になったことはない。
 今日は、なぜかよく見えた。

(そもそも、視力検査は、適当に答えても、4分の1の確率で当たる。
 それに、受診するときの微妙な光度や健康状態とも関係があるのだろう。
 その意味で、数値は絶対的なものではないと思うけれど、今日の結果から、
 1・0以上の視力はありそうだ。)

 先生は診察後、
 「問題はないようです。ただドライ気味なので、その目薬を出しましょう」
 と、言われた。
 安堵した。
 急に元気が出た。

 久々に川沿いの道を、悠然と歩いた。
 風もなく、雨も降らず、快適な散歩であった。

        
                病院近くに立つ辛夷の木(枝先に、たくさんの蕾)

        
                川向うにグラントワ(川沿いに標識が立っていた)

  
                     川沿いに咲く花(菜の花と水仙)

         
                      同上(咲き残る秋桜と山茶花)

        
                  うす曇りの空に、ほんわかとした虹 


 (補足) 帰宅後、時間がたつにつれて、やはりテレビやPCの画面が見づらくなった。
      きっと目の使い過ぎだろう。
      読書の時間とタブレットを見る時間を、少し減らしてみようと考えている。
      老いれば、趣味的な楽しみさえも、<ほどほどに>ということなのかもしれない…。
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賀状の言葉から

2016-01-11 | 身辺雑記
 私より10歳ばかり年上の人からいただいた賀状に、

   言うことも
   することも
     もとうらんように
     なりました


 と、しっかりとした文字で書いてあった。
 思わず微苦笑しながら、肯いていた。
 私も、<もとうらん>ことが増えている。
 
 <もとうらん>は、方言であろう。<もとーらん>と発音する。
 <ダメになる><あてにならない><頼りない>といったような、マイナスイメージのニュアンスを持つ言葉である。
 しかし、そうした言葉に言い換えてしまうと、味がなくなる。
 
 そんなことを思いながら、語源について考えた。
 広辞苑をひいてみる。
 
 <もとおる【回る・廻る】>という言葉がある。
 この動詞から派生した方言ではあるまいか?
 
 <もとうらん>の<ん>は、<知らん顔>などの<ん>と同じ、否定語(打消し)と考えれば、<もとおらない>→<もとうらん>へと音変化したものではないかと考えられる。
 <もとうらん>とは、「かくありたい」と思うことが、うまく廻(めぐ)らなくなる状態に近いような気がする。


 私はふと、Oさんからもらった、 「M市の方言」 (冊子)を思い出した。
 早速、取り出してみた。

 その冊子にも、取り上げられていた。

   ★ もとーらん   もどかしい、気がきかない  (意味)
             (広辞苑)類似の言葉が発見できない。
             (私 見)「もたつく」の変化だろう?


 Oさんは、一語ごとに、その意味、広辞苑での確認、さらに私見と、手順を踏んでまとめておられる。
 ただ、<もとうらん=もと―らん>については、考え方が少し異なっている。

 方言の意味には、微妙な解釈の違いがあるのだろう。
 この地の言葉に詳しい人に聞けば、また違った意味が示されるのかもしれない。

 「M市の方言」を手にしながら、今は亡きOさんを偲んだ。
 私の手元には、その他「O家の記録」(これは表紙つきのきちんとした冊子)や折々のエッセイなどが、遺っている。(一袋にまとめて)
 2007年の年賀状も、袋に保存していた。 

    9か月経ってもギックリ腰が治りません。
    今年夏には釣りに行けるよう頑張ります。


 と、記されている。

 土田の海に釣りに来るたび、私の家に立ち寄る人だった。
 腰の痛みは、内臓疾患からくるものであったらしい。
 良家の出らしい品性を備えた人であった。
 短命(60余歳)が、惜しまれる。
 私がPCを始めたとき、
 「PCの能力は無尽蔵だから、欲張らないように」
 と助言してくれた人も、Oさんであった。 

 賀状の方言のことからOさんを思い出し、在りし日を偲ぶことになった。


 もう一通、

    お父上がまっすぐ書けなくなったと
    嘆いていらっしゃったことなど思い出しています。


 と、父のことを記した賀状があった。
 宛名の表記をみると、確かに左に傾いている。
 なるほどと思った。
 私も、かなり以前から、まっすぐに書けない。
 文字列が、やはり左に流れてしまう。

 確かに父の晩年は、白内障もひどく、行がゆがんでいた。
 いただいた賀状の差出人(5歳年上)も、そして亡き父も、私とは違って達筆だった。
 が、文字や表記にも、老いは、容赦なく及ぶもののようだ。


 一枚の賀状から、私はOさんを偲び、亡き父は、生前親交のあった方から、偲ばれている。
 朝日新聞の「折々のことば」(鷲田清一) [昨年の12月?]に紹介されていた一文を思い出した。

  <人は思い出されているかぎり、死なないのだ。思い出すとは、呼びもどすこと。>(山田稔)


(この稿、2日に書き始めたのに、今日やっと擱筆に至った。生活すべてがスローペースになっている。書きたいことは、たくさんあるのだが…)

                     
                             ロウバイ
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赤い実

2016-01-10 | 小庭の四季
 このところ、家にこもりがちな日を過ごした。
 どこかが悪いというほどでもないけれど、頭がだるい感じなのだ。
 この感覚は、あまり経験したことがないので、少々薄気味悪く、気ままに読書などして、おとなしく過ごしている。

 昨日は、警察から行方不明者の知らせが、各家庭に伝えられた。
 見かけた人があれば、警察へ連絡してほしいとの協力依頼の放送である。
 住所と名前を聞いて驚いた。
 私の知っている人なのだ。
 同姓同名の別人ということもあり得るけれど、と思いながら、遠い昔、同じ職場だった人を思い出した。
 私より年長であることは間違いないけれど、正確な年齢は分からない。
 放送では、背恰好や頭髪の特色は伝えられたが、年齢や服装など詳細な説明はなかった。

 最初の職場で一緒だった人の大方は、すでに故人である。
 いきなり行方不明者として、記憶から蘇った人にも、半世紀以上、遇っていない。

 8日の朝から、姿が見えないという。
 行方不明者の名前を知っているというだけで、心が落ち着かなかった。
 暖かな冬とはいっても、やはり寒冷である。
 この寒さの中で、どうしていらっしゃるのであろうかと。

 今朝9時半ころ、行方不明者の無事が確認されたと警察からの知らせがあり、ほっとした。
 老いるということは、心もとない話である。

 しかし、案じても、なるようにしかならない。
 カメラを手にし、久しぶりに庭に出てみた。
 
 思いがけないところで、赤い実を見つけた。
 自生して、大きくなった木なので、名前も知らないし、無関心であった。
 ところが、その木に赤い実を見つけた途端に、その存在が嬉しくなった。
 名前が知りたくて、これまた久しぶりに、樹木の本をめくって調べた。
 樹皮の色に特色があるので、それを手がかりにずいぶん調べたが、結局、名前は分からない。
 樹木に関心のある人であれば、その名をご存じであろう。
 (庭師のOさんが来られた時、尋ねてみることにしよう。)


                赤い実(上)と、その木肌(下)
       

           

 花は見ても、その葉や樹皮には、あまり関心がなかった。
 今日は、庭木の木肌とその葉を眺めて歩いた。

       従来から、庭にある赤い実(左から、南天・万両・藪柑子)
   


        (今日の)ロウバイ・シデコブシの蕾・ノボタン
   
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新しい出会い

2016-01-04 | 身辺雑記
 ソコロシステムズから、新しい担当者が来てくださった。
 今日からは、M・Tさんのお世話になる。
 
 まず、画像ファイルの、並び替えの方法を教わった。
 ブログに画像を載せるとき、余分な労力を省くために。
 事前に用意したのは、今朝の庭に咲く花の写真であった。
 
   ぽつりぽつりと花数を増しているロウバイと、お正月になっても咲き続けるノボタンと、
   季節の花・水仙と。

  

                

 M・TさんのPC点検の仕事が終わったところで、一緒にコーヒーを飲みながら、雑談した。

 M・Tさんは、U高専の出身者だという。
 卒業後、しばらく大阪で働いて、昨年から、当地に帰省されたようだ。
 趣味も、変わっている。
 <関ジャニ∞>のファンだそうだ。
 ファンクラブにも入って、ライブに参加するという熱心なファンである。
 旅を兼ねてのライブ。
 その土地土地の美味しいものを食べるという楽しみ。
 また、地酒を味わったり…。

 どのライブでも、ファンの数は多く、行きたければいつでも参加できるというものではないのだそうだ。
 テレビ画面でしか知らなかった世界が、身近に感じられるようになった。

 私には、無縁であったが、ライブを楽しむ人の気持ちが、少しわかるような気がし始めた。
 ただただ働くだけでなく、人それぞれが、喜びを感じる世界を持てるのは、素晴らしいことだと思う。

 長生きしていると、いろいろな出会いがあるものだ。
 未知の扉が、思いがけず開かれる、得難い出会い。
 来月の訪問日が、楽しみである。


 午後、郵便局へ行く。
 往復の道、風景がかすんでいた。
 PM2・5の影響らしい。

 郵便局では、奇怪な人に出会った。
 局員に、無理難題を押しつけている不可解な人。
 当地の人ではなさそうだった。
 私は、急いで郵便局を出た。
 (円満に、話は解決しただろうか?)  
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大谷海岸

2016-01-03 | 身辺雑記
      (昨年末、未投稿のままになっていた写真に、簡単な文を添えて…)

 昨年12月28日、体調に不安を感じて、T医院で診察を受けた。
 帰りは、タクシーを呼んだ。

 途中、先日来気になっている、大谷海岸へ寄ってもらった。
 そこから、<魚待鼻灯台>が見えると、PCに写真が出ていたので、確認したくなったのだ。

 しかし、魚待鼻灯台は見えなかった。
 (PCの写真は、海上から撮影されたものだろう。)
 
 洋上遥かに高島が浮かび、島の灯台は白く光って、存在を示していた。

 大谷海岸には、初めて訪れたので、タクシーに待ってもらって、海辺を歩いた。
 「漂流アメリカ兵上陸の地 大谷海岸」の立札があり、そんな過去があったのかと驚いた。
 終戦日の前夜、小さな漁港で、住民を驚かせる出来事のあったことや後日談のあることを、私は初めて知った。
  (詳細を記す根気がないので、その内容は省略する。)

 タクシーは、来た路に引き返さず、海岸道路を通り、国道を走って送ってくださった。
 タクシーの走った道を逆に歩けば、大谷海岸に行けることを知った。
 しかし、あの距離を歩く体力や脚力は、私にはないのかもしれない。 


         

         

  

  
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水仙の里へ

2016-01-03 | 散歩道
 昨日と今日、テレビで箱根駅伝の放映を見た。
 往路・復路の各5区間を、合計10人で襷をつなぐ駅伝は、大変なスポーツだと思う。
 しかも、平坦な路だけではなく、山上りも山下りもあるのだから。
 個の力が、10人合わさらなくては、好成績を勝ち取ることはできない。
 資質があっても、それだけではどうにもならないのだろう。
 体力も、精神力も、鍛え抜かなくてはならない。
 選手の中には、途中、意識が朦朧としながら、<つなぐ>という使命感で走り続けた人もいた。
 毎年のことながら、勝敗を抜きにして、感動する。

 若い人たちの姿に刺激され(?)、正月三日の今日も冬晴れの天気なので、2時過ぎ、散歩に出かけた。
 <水仙の里>を目指して。
 しかし、途中棄権を覚悟の上で。
 歩けるところまで歩く。無理はしないと心を決めて。
 水仙の里まで歩けば、かなりの高低差を覚悟しなくてはならない。
 ポケットに舌下錠を入れ、杖を頼りにして歩き始めるようでは、最初から逃げ腰、弱腰である。

 好天と休日が重なり、車で水仙を見に来る人が多かった。
 県外ナンバーの車もあった。
 道幅が狭いので、車とすれ違う時には、立ち止まらなくてはならない。
 最近の車は、音が静かなので、後ろからの車の接近には、気を遣う。

 「あと1000メートル」の標識のところで立ち止まり、帰路を考慮して、引き返すことにした。
 歩道の両脇に植えられた水仙の香に浸り、海を見はるかすだけで満足した。

                      以下、カメラに収めた風景
      

  

  

  
                         名前を知らない植物 
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ロウバイ咲く

2016-01-02 | 身辺雑記
 今朝は、庭に出て、木々の様子を眺めた。
 今年は例年に比べ、一般に花の咲き方が早いようだ。
 裏庭の、種類としては遅咲きのロウバイが、早くも咲き始めた。

  
                               花と蕾

  
                      シデコブシの蕾と正月二日の空


                     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 


                  
                      今年使用の日記帳

           売り場には、多彩な日記帳が並んでいる。
           それらをよく吟味し、選んだ日記帳である。
           表紙の色もいいが、それより使い勝手のよさが、大いに気に入っている。

           後は、私自身が中身の濃い生活を記述できるか否かである。
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