(昨年末、未投稿のままになっていた写真に、簡単な文を添えて…)
昨年12月28日、体調に不安を感じて、T医院で診察を受けた。
帰りは、タクシーを呼んだ。
途中、先日来気になっている、大谷海岸へ寄ってもらった。
そこから、<魚待鼻灯台>が見えると、PCに写真が出ていたので、確認したくなったのだ。
しかし、魚待鼻灯台は見えなかった。
(PCの写真は、海上から撮影されたものだろう。)
洋上遥かに高島が浮かび、島の灯台は白く光って、存在を示していた。
大谷海岸には、初めて訪れたので、タクシーに待ってもらって、海辺を歩いた。
「漂流アメリカ兵上陸の地 大谷海岸」の立札があり、そんな過去があったのかと驚いた。
終戦日の前夜、小さな漁港で、住民を驚かせる出来事のあったことや後日談のあることを、私は初めて知った。
(詳細を記す根気がないので、その内容は省略する。)
タクシーは、来た路に引き返さず、海岸道路を通り、国道を走って送ってくださった。
タクシーの走った道を逆に歩けば、大谷海岸に行けることを知った。
しかし、あの距離を歩く体力や脚力は、私にはないのかもしれない。
昨年12月28日、体調に不安を感じて、T医院で診察を受けた。
帰りは、タクシーを呼んだ。
途中、先日来気になっている、大谷海岸へ寄ってもらった。
そこから、<魚待鼻灯台>が見えると、PCに写真が出ていたので、確認したくなったのだ。
しかし、魚待鼻灯台は見えなかった。
(PCの写真は、海上から撮影されたものだろう。)
洋上遥かに高島が浮かび、島の灯台は白く光って、存在を示していた。
大谷海岸には、初めて訪れたので、タクシーに待ってもらって、海辺を歩いた。
「漂流アメリカ兵上陸の地 大谷海岸」の立札があり、そんな過去があったのかと驚いた。
終戦日の前夜、小さな漁港で、住民を驚かせる出来事のあったことや後日談のあることを、私は初めて知った。
(詳細を記す根気がないので、その内容は省略する。)
タクシーは、来た路に引き返さず、海岸道路を通り、国道を走って送ってくださった。
タクシーの走った道を逆に歩けば、大谷海岸に行けることを知った。
しかし、あの距離を歩く体力や脚力は、私にはないのかもしれない。