ぶらぶら人生

心の呟き

冬の旅 その1(墓参ほか)

2015-12-12 | 旅日記
         (冬の旅の整理が遅れてしまった。写真を中心に、簡単にまとめておこくことにする。)

         旅の第一の目的は、恩師のお墓にお参りをすることであった。
         平成16年から続く墓参だから、それ以来12年が経ったことになる。
         いつかは、なわぬ時がくるだろう。
         とにかく、今年の墓参は果たすことができた。
         
         京都に途中下車して、気の向くままに、京の晩秋(初冬)の景を愉しみ、東京へという旅。
         京都は天気に恵まれたが、東京は、半日雨に降られた。

         東京では、まず谷中へ出かけた。
         谷中の桜並木には、木々がなお葉を残し、公孫樹は、黄葉をためらっている感じだった。
         例年の初冬とは、趣がかなり異なっていた。

          

              

         東京の二日目は、雨のち曇り。
         傘なしで移動できる国立新美術館へ行った。
         <日展>を観る。
         作品が多く、幾度も休憩しながら…。

         下・左の写真は美術館内(2階)。    下右は、ホテル17階から見た風景。
         写真の中のレストランで昼食。

      
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弾ける笑顔

2015-12-10 | 身辺雑記
 <お城のおばあちゃん>十河博子さんは、かなり前から話題の人らしい。
 が、私は知らなかった。
 先日8日の夕、地方ニュースを、見るともなくつけていたテレビから、十河博子さんのことを知った。

 四国の丸亀市にお住まいの方である。
 1936年生まれとあるから、私より3歳お若い。
 裁判官である父親の転勤で満州に渡り、敗戦後は引揚者としての苦労体験もなさった様子。
 ご主人は医師であり、2男1女のお子様もいらっしゃる。
 が、ご主人が先に亡くなられ、哀しみから立ち上がるために、お城のスケッチを始められたようだ。
 68歳の時から…。
 以来、お城の、十河さんの周辺には、多くの人が集まるようになり、ひとりでに「お城サロン」ができたという。
 年間、1万2000が、<お城のおばあちゃん>を訪れるというから、すごいことだ。
 日本各地から、さらに他国からも来訪される方があり、様々な方々との交流が続いている様子だ。
 
 丸亀には、二度訪れている。
 最初は遠い昔のことで、四国を旅していて、ぶらりと下車したのだった。
 二度目は、駅前に、<猪熊弦一郎現代美術館>ができてからである。
 そこを訪れる目的で、丸亀に下車した。
 そう遠い過去のことではない。(その時、お城を訪れていれば、十河さんにお会いできたのだろう。)

 ブログにも書いたはずだが、正確な年月日や何を書いたかも、思い出せない。
 ただ入口から、猪熊源一郎の世界に迎えられた印象は強く残っている。
 レストランで食事をし、中庭の壁面を流れ落ちる<水の景>を眺めたことなども、覚えている。
 二度とも、小さな丸亀城の姿を、はるかに眺めただけだった。

 十河博子さんについての紹介をテレビで見た夜、PCを開け、本が出版されていることを知って、早速アマゾンへ注文した。
 

 今日は雨が降り、終日黄昏のようなお天気であった。
 そして、心もメランコリーだ。
 その上、目の調子がよくない。
 白内障の手術前の状態に戻った感じで、ものが鮮明に見えない。(多分、天候と体調のせいであろう。)
 
 ぼんやり過ごしているところへ、注文していた本が届いたのだ。もう一冊の『もう戦争がはじまっている』(辺見庸著)と一緒に。
  『お城のおばあちゃん こころの絵手紙』 (KADOKAWA・2015年8月28日刊)を、早速開いた。
 そして、十河博子さんに、この本でお会いした。(写真) 

    
      表表紙             裏表紙

 本の表と裏、どちらの十河さんも、弾けるような笑顔だ。
 中にも、10枚近くの写真が載っている。
 みな、笑顔、笑顔である。
 どんよりした気分が、吹っ飛んだ。
 (真似はできないけれど、私もせめて、ほほ笑みを忘れないよう生きたいと思う。)

 絵がお上手だ。
 どことなく、素人ぽくて、素朴なところがいい。
 添えられた言葉が、決して説教じみなくて、心にしみる。
 だからファンが多いのだろう。

 今なお、亀山城の、十河さんの周辺には、しみじみとした対話や笑顔の弾ける時間が流れているに違いない。

 絵手紙の前後に添えられた文章を読み、お城のスケッチや絵手紙を、しばらく楽しだ。
 その中から、私が一枚いただくとすれば、<赤(色を帯びた)チューリップ>の絵だ。
 それには、

   今日、今を大切に
   できることをする 


 という一言が添えられている。
 今の私に、一番似合った言葉である。     
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12月の庭 (様々な活け花・椿ほか)

2015-12-09 | 草花舎の四季
             昨日は、郵便局からの帰り、草花舎に立ち寄った。
             美味しいケーキとコーヒをいただいた。

              

           昨日も、冬日和の一日であったが、庭歩きはしなかった。
           室内に、眼福の得られるものが、たくさんあった。


         

          花自体の持つ美しさが、Yさんのセンスのよさで、形よく活けられ、
          花瓶の椿は、いっそう美を際立たせている。

          椿に限らず、花は、人を欺かない。
          野に咲く雑草の草花さえ、それを眺める人の心に寄り添ってくれる。
          人の心を傷つけたりはしない。

          が、人間という存在は、花のようにはゆかない。
          人の心(その人の内面)は、必ず表情となり、声の調子となる。

          私は、人と語る時、花を眺めるように、表情を見、口調や声色に耳を傾ける。
          不機嫌な顔や打ちとけがたい口調で語る人との対峙は疲れるばかり。
          時には、哀しく、寂しくさえなってしまう。

          そんな時は、むしろひとりで、花を眺めていたくなる。          


           以下、Yさんの美意識を感じさせる、草花の配置の妙。

         

  

  

  

         

                      
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『カーライルの言葉』

2015-12-08 | 身辺雑記
 Yさんから、本が届いた。
 昭和の終り頃、Yさんとは2年間、同じ職場で過ごした
 その当時から、はやくも30年近くが過ぎ去ってしまったのだ。
 (烏兎怱怱! なんという時間の速さ!)
 
 そのYさん自らが、翻訳なさった『カーライルの言葉』 (写真)。

             

 受け取ったのは、旅に出かける直前だったので、礼状も送れなかった。
 大変失礼をしているようで、気になっていた。
 しかし、全く読まずに、礼状をしたためる気にもなれない。

 旅から帰って、やっと本を開いた。
 小説と違って、どこから読んでも支障がない。
 そこで、まずLetters と‟A History of His Life” (by James Anthony Froude) の二章を読んだ。
 
 カーライル(1795~1881)については、箴言集などで、その言葉を目にしたことはあるけれど、無知に等しい。
 この本は、Yさんの心に残るカーライルの言葉190を、英文と共に紹介されたものである。
 いろいろ学ぶことが多い。 

 本に記された文章は、すべて至言である。
 人の生き方の指針として、異議など唱える余地のない、確信に満ちた思想が記されている。
 ただ、少々堅苦しく感じた。
 それは、私自身の脆弱な人間性のせいもあろう。 
 一方、カーライル自身の考え方の堅実性や、この本の訳者のまじめな性格とも関係があるのかもしれない。

 贈呈に当たって添えられた手紙によると、<朝は二時に起床し…>とある。
 きっと夜明けまで、読書三昧なのであろう。
 また、英訳を試みたり…。
 日々だらだらと夜更かしし、気ままな生活をしている私とは大違いである。
 
 「訳者略歴」によると、Yさんは、私より10歳若い。
 職場では、年齢差など考えたことがない。
 休憩時間など、椅子をくるりと回転すれば、話せる位置に、互いの席があった。
 読書が共通の趣味で、よく本の話をしたように思う。
 賀状にも、今読んでいる本のことが、毎年、したためられている。
 
 Yさんの読書は、一つの道を究めるタイプである。
 私のように、恣意的な読書ではない。

 (私は今晩も、十河博子著『お城のおばあちゃん こころの絵手紙』と辺見庸著『戦争は
  もうはじまっている』をアマゾンへ注文した。
  二冊は、全く接点のない本である。)

 『カーライルの言葉』は、折角いただいた本なので、未読の部分を、一日に数話ずつでも読んでゆこうと考えている。
 できれば、英文も…(!?)。

 (手紙をしたため、今日やっと礼状を投函した。
  大切な用件を一つ済ませて、安堵した。)


              ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

  【余録】 
   今日は、ソコロシステムズのTさんが来てくださった。
   この12月で、退職なさるという。
   2年間ぐらい、一か月に一度来ていただいたのだろうな、と思っていた。
   が、過去の日記帳を調べてみると、2012年の8月から、お世話になっている。
   3年と4か月!
   ここでも、時間の感覚に、狂いが生じた。
   Yさんは、PC・タブレット・スマホのことなど、何でも質問に答えてくださった。
   とてもありがたい存在だった。
   今日も、昨日気づいた賀状の宛名の修正など、最後の最後まで、お世話になった。
   コーヒ―を飲みながら、雑談を楽しむこともあった。
   Tさんは、確かな私見をもった、頼もしい若者である。
   若いTさん(28歳?)には、新たに試みたいことがおありなのだろう。
   私にとっては残念なことだが、いい道が開けることを祈るしかない。

   前回から、Tさんの仕事を引き継いでくださる方が、一緒に訪問してくださっている。
   やはり頭文字はTさん。
   新年からは、女性のTさんが、PCの点検や私の疑問に付き合ってくださることになっている。 
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冬日和に誘われて その3 (N邸の椿)

2015-12-07 | 散歩道
 散歩の目的の一つは、N邸の椿を覗いてみることだった。
 早咲きの椿は、咲いているにちがいない、と。

 駐車場に車がないので、ベルを押すまでもなく、Nさんの不在は分かった。
 が、「いつでも自由に入ってみてください」と、昨年の椿の季節に言われている。
 そこで、私の庭であるかのように、臆することもなく、入らせてもらった。

 個人の庭なので、決して広くはないけれど、美しく整備され、花を愛する人の心が見える。

 あでやかな花があるかと思うと、ひそやかに咲くものもある。
 その形は、大型あり、小型あり、花色もさまざまだ。

 冬から春にかけて、しばらくは咲き続けるのだろう。
 今日のように天気がよく、坂を上り下りする元気のある日に、また花見をさせていただこう。
 花との語らいには、飽くことがない。

        

        

        

        

        

  

  

  
 
  

   
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冬日和に誘われて その2 (海と高島)

2015-12-07 | 散歩道
 見慣れた海を、今日も眺めた。
 冬にしては穏やかな日本海である。
 高島も、くっきりと見えて。

 海辺に暮らしながら、海が好きになれない私だった。
 が、最近は、茫洋とした広がりに、心癒される日もある。

        
               鳶が、海上の空に、悠然と羽を広げていた

  

   

  
                          波打ち際の眺め
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冬日和に誘われて その1 (初冬の眺め)

2015-12-07 | 散歩道
 PCで賀状づくりをする季節がやってきた。
 宛名の印刷など、うまくできるだろうかと試みた。

 明日は、ソコロシステムのTさんが来てくださることになっている。
 問題があれば、教えていただこう、と。

 やり始めると、印刷は簡単なことだ。
 (ただ、宛名の文字が大きすぎたり、レイアウトの不自然さが気になるものが3枚あった。なぜそうなるのかよく判らない。明日、見ていただこうと思う。)
 裏面の文面や添付の写真選びもした。
 まあこの程度の出来ならいいだろうと、簡単に妥協して、印刷を完了した。

 昨年は、賀状書きの時期、体調がよくなかった。
 自らの文字で、言葉を添える元気がなかった。
 今年は、何とか自筆文を添えられそうな気がする。

 今年の方が、昨年に比べて元気だというわけではない。
 が、日々をの暮らしの中で、自らの老いとの付き合い方が上手になった。
 それは、妙薬のようなものだ。
 <老い>を自然に受け入れてから、心身が楽になった。

 旅から帰ると、早速、撮影した写真をPCに取り込んだ。
 が、まだブログに投稿するための準備はできていない。
 留守中にたまった雑用もある。

 仕事の順番が違うと思いつつ、賀状の印刷を済ませた。
 旅の日の記録は、後日に譲ることにする。


 快晴の冬日和なので、散歩がしたくなった。
 (出かけようとしたところに、先月末に依頼していたガラス業者が、強化ガラスの取り付けに来てくださった。
 その仕事は簡単に終わった。)

 そこで、3時、海に向かって歩いた。
 ススキの輝きを眺めたり、青空を見上げ、色づいた木々を眺めたりして。
 水仙の花の咲き方が、今年はずいぶん早い。
 海辺には、トベラの赤い実が弾けていた。

         

  

  

  


        
         一輌の電車が、目の前をすばやく走り去った。(山陰本線)
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「大雪」の日の庭

2015-12-07 | 小庭の四季
 今日は、暦の上では「大雪」に当たるという。
 朝食の後、庭に出てみた。

 葉を残すのは、ヤマボウシだけだと思っていたが、杏子も結構、葉を留めている。
 格別の美しさはないので、いまだかってその色づきに、目を止めたこともなかった。

 杏子の場合は、可憐な花のみを愉しみ、後は知らぬふりをしてきた。
 葉をしみじみ眺めることなどなかった。
 よく見ると、大きめな葉が、それなりに色づいている。
 地味な味がある。
 人間同様、木々も、それぞれである。
 そんな常識的なことを実感する、朝の庭めぐりであった。

    
            ヤマボウシ                 杏子

    
                             同上

           
              南天の木は増えるばかり (庭のあちこちに)
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