ぶらぶら人生

心の呟き

一日が過ぎれば…

2013-01-11 | 身辺雑記
 今日の読売新聞に、歌人・永田和宏氏のエッセイ「挽歌 君を忘れじ」が掲載されている。
 その文中に、次の歌があった。
 
   一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 もうすぐ夏至だ

 歌中の<君>とは、妻であり、今は亡き歌人・河野裕子さんのことである。
 哀しいけれど、いい歌だ。
 ガンを病む妻と共にある時間は、残酷にも刻一刻と減ってゆく。
 夏至が訪れ、さらに季節は巡りゆくであろうけれど、<君>との共有時間には、やがて終止符の打たれる日がやってくる。
 そんな痛切な思いが、さりげない言葉で詠われている。

 「一日が過ぎれば一日減ってゆく」
 とは、老いの身には、残酷さを突きつけられているような一面をもつ表現である。
 が、ごく当たり前の、否定し難い真実であり、切実に共感を覚える詩句でもある。

 
 昼前届いた郵便物の中に、一枚の寒中見舞いがあった。
 差出人は、小学校の5・6年生のとき担任だった師のご子息で、師の訃を知らせてくださったものである。
 「旧年中にお知らせを申し上げるべきものを年を越してしまいましたご無礼をお許し下さい」との言葉がそえてあった。
 元日には必ず賀状を届けて下さっていたのに、今年は、その賀状がなく、心配はしていた。(過日のブログ「淡雪の庭」に既述。)

 昨年の十月に八十八歳で他界なさったという。
 教えを受けた私たちの、わずか8歳年上だったわけだ。
 戦時下の特殊な時代、先生はずいぶん若く、師となられたことになる。
 しかし、子供心にも、信頼できる、毅然としたところのある先生であった。
 ついにお別れの時が来たのかと、生前に、お会いする機会を持ち得なかったことが悔まれる。


 私は私の、今日という一日を大事に生きなくてはならない。
 <一日過ぎれば一日減ってゆく>のだと、心に呟きながら、あまり天気がいいので、外に出てみた。

 小山の上に、小さな富士のような雲がかかっていた。
 
       
コメント
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